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世界で、国内で、活躍する同窓生(敬称略)
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メディア年月日 会員名 ニュース
山陽新聞
(さんデジ)
R6/5/14
大森 青児
(昭和42年卒)
 映画「晴れの国」の関係者向け試写会が岡山市内の映画館であり、大森青児監督が、上演後登壇し挨拶した。
「晴れの国」は、都会のIT企業を中途退職して故郷の高梁市に戻った主人公が、山奥で仙人のように暮らす老人との交流を通じ、家族や周りの人との絆を見つめ直す物語。高梁市で全編ロケが行われた。
 大森監督は、小中高時代はこの劇場が遊び場だったそう。「この場所で映画のスタートが切れてうれしい」「地元の多くの人に助けられ、3年かけて完成した。高梁の美しい風景と、心温まる物語を全国に伝えたい」と話した。
山陽新聞
(さんデジ)

R6/1/6
三宅 エリナ
(平成22年卒)
 カナダの映画祭で主演女優賞の候補に挙がるなど注目を集める同窓生がいる。昨冬、カルガリーインディペンデント映画祭出品作品で主演女優賞にノミネートされた三宅エリナさん。
 9歳の頃、テレビで偶然目にした映画をみて俳優を志す。映画好きになり、内気な性格も変わっていったそうだ。朝日高卒業後、留学資金をためるため大阪へ。周囲の反対は強かった。当時の担任教諭に話を聞くと、思いがとても強く、説得を諦めざるを得なかったそうだ。
 過労で体調を崩したことが転機となり、2012年に突然、8万円を持って単身カナダへ行く。全くの素人で、レッスンでは英語も理解できないほどだったが、見よう見まねで食らいついた。俳優組合の決まりが強力なカナダの映画業界。オーディションは落選続き。国籍の壁という悔しさをばねに自主製作作品を中心に出演を重ね、次第に映画やドラマなど活動の場を次々と広げた。今後の目標は「見た人を笑顔にし、子どもに希望を与える俳優になる」と語る。日本でも三宅エリナさんの活躍をぜひ見てみたいものだ。
山陽新聞他
R6/1/6 
松北 真之介
(令和4年卒) 
若者らに献血を呼びかける「はたちの献血キャンペーン」(1、2月)に合わせ、岡山県赤十字血液センター(岡山市北区いずみ町)は5日、公募で選ばれた、松北真之介さんに一日所長を委嘱した。センターで委嘱状を受け取った松北さんは、献血ルームうららを視察。献血者に「引き続きご協力をお願いします」などと声をかけた。
松北さんは父が輸血を受けた経験を持ち、自身も16歳から計13回献血に協力している。「献血はたくさんの人の命をつなぐことができるボランティア。1日には能登地震が起きた。血液不足にならないよう若者に広報していきたい」と述べた。
 山陽新聞
(さんデジ)

R5/10/30
神田 利男
小野 邦夫
(昭和25年卒)
太平洋戦争末期、多くの命が奪われた岡山空襲。岡山城内に校舎があった旧制岡山一中も焼け落ち、戦後、各地に分散して教育を続けた。1945年9月から2カ月ほど、吉備津神社にある回廊の石段は、市西部の生徒たちの“教室”となった。当時2年生だった神田利男さんと小野邦夫さんを訪ね、78年前の様子などを聞いた。
 2人によると、神社本殿から最も離れた回廊の石段が学びの場だった。チャイムはなく、旧社務所でたたく太鼓の音が、授業開始の合図だった。季節は秋。とにかく寒かった。
 朝日高が創立130周年を迎えた2004年に久々に集まった際、「思い出を残そう」と、有志で資金を出し合い、翌05年に記念碑を建立した。二人は「当事者も、現代を生きる人も、碑を目にすることで昔を思い起こすきっかけにしてほしい。」と語った。

平成17年に開催の吉備津教場碑の除幕式の様子はこちらから (又は放送室→H17年「吉備津教場碑除幕式」をご覧ください)
茨城新聞他
R5/06/10
山崎 葵
(令和3年卒)

(別ページで開きます)
2023年7月11日から16日まで、スイスで行われる世界オリエンテーリング選手権2023に日本代表として出場する山崎葵さんらが6月9日に茨城県知事を表敬訪問した。
 山崎さんは筑波大学に入学してからオリエンテーリング競技を始めたが、日本代表選考会では2位になり、わずか1年3ヶ月のキャリア(史上最速のキャリア)で世界選手権への出場権を得た。
 朝日高校在学中は山岳部に所属。「良い結果はまだ出せないと思いますが、現在のベストを出せるように頑張ります。」と語っている。

朝日新聞他R4/03/15
村上 章
(昭和49年卒/転出)
 村上章さんが第112回(令和4年)の日本学士院賞に選ばれた。
 日本学士院賞は、明治43年に創設され、学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対して贈られるもので、日本の学術賞としては最も権威ある賞と言われる。過去の受賞者には、野口英世をはじめ後にノーベル賞を受賞した方々が名を連ねる。
 村上さんは、現在京都大学理事・副学長。受賞の内容は、農業農村工学・地盤工学の分野として、制御理論であるカルマンフィルタを用いた逆解析法を開発し、地盤工学の実際問題に応用。この方法は今日でいうデータ同化という手段の一つに相当し、多くの問題に用いられている。これらの研究成果は地盤変形予測や危険予知に実際に広く役立っており高く評価された。授賞式は6月に行われる。
テレビ東京
「新 美の巨人たち」R3/06/12
大野美代子
(昭和33年卒)
 大野さん(2016年没)は、橋に関する数々の賞を受賞した橋梁(きょうりょう)デザイナー。1977年建設の板橋区「蓮根(はすね)歩道橋」のデザインに関わり、土木学会が優秀な橋に贈る田中賞を受賞したのが転機。その後、首都高速湾岸線の「横浜ベイブリッジ」、熊本県の「鮎の瀬大橋」など全国で約70の橋をデザインした。そのうち田中賞を受賞したのは横浜ベイブリッジなど計19。鮎の大橋は同学会デザイン賞最優秀賞を受賞した。大野さんが橋に込めた理念とは何か。出身大学の多摩美術大で来月、研究展が開かれる。
 さて、本同窓会には2006年(H18)同窓生Now(北から南から)にご寄稿いただいた。その終わりに「一度は育った街の橋のデザインをしたい」と締めくくられていたが、実質的な遺作となったのは、2015年に完成した岡山県の「備前 日生大橋」(全長765メートル)だった。
(同窓生Nowのページはこちら (又はTopページ→同窓生Now/北から南から→H18/07)
山陽新聞R2/06/21 逸見吉之助
(昭和11年四修)
逸見千代子
(昭和43年卒)
 岡山や世界各地で採取された鉱物のコレクション展が「人と科学の未来館サイピア」(岡山市北区伊島町)で開催中(8月10日まで)。故逸見千代子さん(2018年没)と故逸見吉之助さん(1997年没)が発見・収集した約50点を展示している。
 千代子さんは岡山大学准教授で岡山を代表する鉱物学者、師匠でもある父の吉之助さんは岡山大学名誉教授だった。千代子さんが亡くなった後、二人が収集・発見した鉱物約300点がサイピアに譲渡されていたが、「鉱物の不思議を楽しんでもらうとともに、岡山に偉大な研究者がいたことを知ってほしい」と一部が展示された。
 目玉は1986年に高梁市の布賀鉱山で発見された「逸見石」。父子が発見者ではないが、青や水色の結晶が鮮やかで、2人の功績をたたえて命名された。自らが同鉱山で発見した鉱物では、白色の「布賀石」「大江石」といった新種、世界的に珍しい紫色をした「スパー石」などが紹介されている。
山陽新聞R2/02/04 岡本 想大
(平成28年卒)
 高校3年の夏の岡山大会で、シード校・城東高校を相手にノーヒットノーランを達成した岡本さんが、プロ野球選手を目指し、香川オリーブガイナーズに入団、今春からプレーする。香川オリーブガイナーズは、独立リーグ・四国アイランドリーグplusに所属する香川県の野球チーム。
 岡山大学時代は、YouTubeでプロの投球フォームを研究し、カットボールも取得して、2年の秋からはエースとなり、通算11勝を挙げた。教師を志し、野球は大学でやめるつもりだったが「自分の能力がどこまで通用するのか突き詰めたい」という思いから入団を決意した。「2年以内にプロ入りができなければ諦める。悔いが残らないよう、やり切る」と覚悟を決めて、1年目から新天地で勝負を懸ける。 
(今年の開幕は、新型コロナウイルスの影響で4月10日以降となりました)
山陽新聞
R1/09/07
金谷 顕人
(平成30年卒)
 第70回県美術展覧会の洋画部門で、金谷顕人さん(H30卒)が、一般応募の最高賞・山陽新聞社賞に輝いた。
 1年生の時に、日展で活躍する洋画家で、担任の河本昭政先生に誘われ美術部に入部。油絵を始めてからは日常の何気ないものを静物画に描いてきた。最高賞の作品「静物」は祖父母宅にある椅子と机を落ち着いた青でまとめ、「独特の世界に変容させている」と審査員から高く評価された。300点以上が集う洋画部門で10代での最高賞受賞はめったにないケースだそうだ。
 金谷さんは「うれしさもあるが、驚きのほうが大きい。将来は、美術関係の仕事に就き、創作活動を一生続けていきたい」と話している。

(−母校で制作中の金谷さんにインタヴューしました。)
短歌研究
5月号
小川 洋子
(昭和55年卒)
大森 静香
(平成20年卒)
 作家の小川洋子さんと歌人の大森静香さんの対談“「小説を書く」と「歌を詠む」の接点”が、月刊誌「短歌研究」5月号に掲載された。
 小川さんが平成18年に母校を訪問した際、生徒の有志を集めて座談会が開催され、その中に高校2年生の大森さんがいた―というところからこの対談は始まる。大森さんは、小川さんが高校時代に短歌の新聞投稿をしていたことを知り、自分も書き溜めていた短歌を新聞に投稿するようになったという。 そして3年生の時には「毎日歌壇賞」を受賞した。
 対談は、小説を書くことと短歌を詠むことについて示唆にあふれたものとなっている。
(小川さん母校訪問時の記事はこちらをクリック (Topページから朝日高Now→平成18年→12/05)
RSKラジオ
H31/01/30
NHKローカル
H31/03/08
末廣 健一
(昭和48年卒)
 一級建築士で山陽学園大学教授の末廣さんが『岡山表町商店街物語ー昭和の上之町で育った子どもたちー』を刊行した。
末廣さんは、昭和29年(1954)に表町商店街の履物店の家に生まれ、高校生まで過ごした。大学卒業後、東京で就職して家庭を持ち、その後の平成16年(2004)に49歳でふたたび岡山へ。岡山へ帰ってみると、子どものころはにぎやかだった商店街の衰退した様子に心を痛めたという。
 少年時代の生活を振り返りながら、子どもたちの遊び場であり大人たちの井戸端会議の場でもあった昭和30年代の商店街の魅力に思いを馳せながら、一級建築士としての目で商店街の現在と未来についても考える。
山陽新聞
 H30/07/20
 〜8/9まで
 6回連載。
佐藤 常子
(昭和32年卒)
 岡山文化界の先達に貴重な経験や人生哲学を聞き、将来へ伝えるインタビュー企画「伝 みらいへ」に染織家の佐藤常子さんが紹介された。
 佐藤さんは、高校時代は美術部に所属。顧問の坂手得二先生の導きもあり、女子美術大短期大学部図工科に進学。商工デザインを専攻し、卒業後は岡山のバス会社で広告デザインを担当した。
 結婚し子供ができたが、幼子がいると油絵や日本画は描けない。そこで、当時編み物をよくしていたことと短大時代の織物専攻の友達が、織機をトーントーンとしなやかに動かす姿を思い出し、33歳の時、小ぶりの機を取り寄せ草木染による織物を始めた。最初はタペストリーやマフラーから始まり、次第に着物を作り始め、染織歴3年目にして県展で岡山市長賞に選ばれた。
 1975年には、日本工芸会中国支部に入会。2000年には、岡山県の染織家で初の日本工芸会正会員になった。
 今まで独学で染織を織り続けてきた佐藤さんは、染物に興味があればだれでも参加できる楽しい集まりがあればと、昨年5月に染物の勉強会「樹の会」を発足させ、後進の指導にもあたっている。
山陽新聞
H30/07/06
小手鞠 るい
 (本名 川滝かおり)
(昭和49年卒)
 作家の小手鞠さんが、ベトナム戦争を背景とした新刊「炎の来歴」を刊行した。「アップルソング」、「星ちりばめたる旗」に続く“戦争3部作”の第3作となる。
 戦後、岡山から上京した男性が、ドイツ生まれのユダヤ系米国人女性の手紙を手に入れる。平和を求める女性に強烈に引かれ、男性は戦地へと向かう。戦後、平和運動に身を投じた男女が文通を通じ、魂でつながりあうラブストーリーでもある。「私の使命は過去を現在として描くこと」と語る小手鞠さん。物語は、武力衝突の絶えない昨今の世界情勢と符号する。
 小手鞠さんの作品には、岡山が登場するものもあり、2015年に発刊された「素足の季節」は、朝日高校を題材としている。この作品は、「県立岡山A高校」に入学した杉本香織が、同級生に誘われ演劇部に入部。脚本を任された香織と6人の仲間が、初公演に向けて奮闘する姿を描いた青春物語。物語では、総合選抜制度での振り分けや、「うどん小屋」「細謹舎」「天満屋」など、岡山朝日高校内外の風景が著され、物語に登場する教師も、在籍当時の教師に模しており、同窓生には興味深い作品である。
山陽新聞
H30/06/04
 
古関 すまこ
(昭和42年卒)
 自らの歩みを振り返る「フランス舞踏日記 1977-2017」を刊行した古関さんは、1977年に舞踏グループ「舞踏舎」の一員としてフランスの国際演劇祭に招かれたことがきっかけでフランスに移住。パリを拠点に、日本で生まれた前衛的なダンス「舞踏(BUTOH)」の踊り手として活動を始め、1987年アヴィニョン演劇祭でのソロ公演が高く評価されてからは、有名俳優との共演や演劇の殿堂コメディ・フランセーズでの指導など着実に活躍の場を広げた。
 同書には、体得した感覚を綴った日記や独自のスタイルを創り上げていった過程、創始者が残した言葉の解釈など「舞踏の魅力」を実体験も含めて解説されている。
 2016年には岡山に移り、国内外での公演や指導を続けている。
山陽新聞
H29/10/13
長谷井 宏紀
(平成5年卒)
 世界を旅しながら写真家として活動してきた長谷井さん脚本・監督の初の長編映画「ブランカとギター弾き」が、10月28日から岡山シネマ・クレール丸の内で上映される。
 ベネチア国際映画祭が新しい才能を発掘育成する「カレッジシネマ部門」に日本人で初めて選出され、全額出資を受けて2015年に製作。この作品は、フィリピンを舞台に路上生活の少女と老ギター弾きとの心の交流を描いたもので、同映画祭でジャーナリストが選ぶ「ソッリーゾ・ディペルソ賞」など2冠に輝いた他、各国の映画祭でも数々の賞を受賞した話題作。本年7月から全国上映されている。
山陽新聞
H28/3/05
山地 真美
(平成17年卒)
 ピアニストの山地さんが、この度、幕末の陽明学者山田方谷の生涯をオリジナル曲で表現し公演する取組を始めた。
 これまでも、古里の魅力を広く発信したいとの思いから、「岡山」をテーマに後楽園や倉敷美観地区、瀬戸内海などの情景を描き出したほか、「岡山の偉人列伝」として室町時代の画僧・雪舟の人生を取り上げてきたが、今回は偉人シリーズ第2弾と位置づける。
 首都圏を中心に活動するが、岡山での公演も増やしていくとの考えだ。
山陽新聞
H27/12/06
山神 孝志
(昭和60年卒)
 山神さんは、監督として同志社大学ラグビー部を8季ぶりの関西制覇に導いた。高校時代は、野球一筋。高校2年時には夏の岡山大会で準優勝した。同志社大学入学後、当時黄金期のラグビー部へ入部し、企業でもプレー・監督を務めた。
 「選手の思考をいかに引き出すか」をテーマとし、密にコミュニケーションをとりながら選手を指導することで、就任3シーズン目で監督として初めてとなる優勝につなげた。次なる目標は、全国大学選手権で関東勢を倒し、4強に入ることと話した。 (目標のベスト4には、惜しくも2点差で駒をすすめることは叶わなかった)
山陽新聞
H27/03/12
谷 義仁
(昭和25年卒)
 谷義仁さんが、古里の岡山市建部町の風景や亡妻との思い出などを滑らかな岡山弁を織り交ぜて紡いだ初の詩集「山桜」を発刊した。
 現代詩は約50年前に始め、同人誌で発表を続けてきたが、妻弥生さんの病没を期に、手を携え2人で歩んだ人生の記念に詩集制作に踏み切った。作りためた作品から30点を掲載。タイトルにもなった「山桜」が開花した様子を率直に表現した作品や、夫婦の軽妙なやりとりも盛り込まれている。
 弥生さんの死後、創作意欲が湧かなかった時期もあったという谷さんだが、「発刊を準備する中、日常に潜む心震える瞬間を作品に残したいという思いが強まった」と、次作の発刊を目指している。
山陽新聞
H26/03/08
河本 隆
(昭和54年卒)
 高校時代は映画館に通い詰めたという河本隆さん。生誕150年没後100年を迎えた岡倉天心の半生を描いた映画「天心」のプロデューサーだ。
 映画化に動き出したのは約6年前。茨城県に支援団体ができた矢先、東日本大震災が発生。大津波により、天心ゆかりの貴重な文化遺産「六角堂」も流され海中に消えた。映画化も危ぶまれたが、復興のシンボルにと茨城県内の行政、大学、企業、美術界、市民団体などが呼応。六角堂の再建、ロケの全面協力などの支援を受け昨年末、映画が完成した。「天心を師と仰いだ平櫛田中を登場させたかった」と悔やんでいるそうだが、同郷の役者(高校の同期も)が出演している。
山陽新聞
読売新聞
H25/01/20頃
末安 哲
(旧職員)
 末安哲さん(旧職員)が、朝日高校演劇部65年の活動をまとめた『演劇に燃えた高校生たちー岡山朝日高校演劇部史1948〜2012−』を自費出版した。
 そもそもの発端は、朝日高校の演劇部顧問をしていた1980年頃のことだったそうだが、何度も中断しながら、2011年から本格的に取り組み、2012年12月完成。元部員・顧問の回想記や写真約500枚を掲載し、B5版400ページを超えるものとなった。また、単なる部史ではなく、「演劇部から覗いた朝日高校文化活動史」の側面や、岡山の高校演劇の動向も窺えるものとなっている。
山陽新聞
H24/03/04
木浦 賢彦
(平成20年卒)
多田 遼太郎
(平成22年卒)
 郷土のアマチュア囲碁界最強の座を争う第56回山陽本因坊戦(岡山県アマチュア囲碁連盟、山陽新聞社主催)で、朝日高校囲碁部OBの二人が対戦。通算2―1で、木浦さんが初のタイトルを獲得した。
 第1局(2月26日)多田さん先勝。第2局は木浦さんが黒番中押し勝ち。最終局は序盤、黒番の多田さんが主導権を握ったが、中盤に入って木浦さんが逆転。終盤も緩まず、中押し勝ちを収めた。
 木浦さんは「強敵相手に連勝できるとは思っていなかった。積極的に攻めたのが勝因」と声を弾ませ、昨年に続いてあと一歩で栄冠を逃した多田さんは「いい碁が打てず悔しい。気持ちが空回りした」と振り返った。
山陽新聞他
H23/10/26
NHK報道
H23/10/25
三谷 太一郎
(昭和30年卒/転出)
 三谷太一郎さんが、2011年度文化勲章を受章した。
 東大名誉教授の三谷さんは、大正時代の原敬内閣や政治学者の吉野作造らの研究を通して大正デモクラシーの時期に政党政治が成立した背景を解明。その後も近代日本の政治史研究の第一人者として活躍を続けており、2005年には文化功労者に選ばれている。
 今後の研究については、「近代は『富国強兵』の時代だったが、敗戦で『強兵』が終わり、今回の東日本大震災で『富国』が破綻して、日本の近代が終わったのではないかと感じている。今後、日本の近代とは何だったのか書き残していきたい」と話している。
朝日新聞
H23/09/22
山下 俊英
(昭和58年卒)
 山下俊英さんが、第29回大阪科学賞(大阪府・大阪市・大阪科学技術センター主催)を受賞した。大阪科学賞は、ライフサイエンスをはじめとする様々な分野の科学技術の研究・開発に貢献した優れた若い研究者(50歳以下の研究者)を2名選び、顕彰する賞。
 山下さんは、脳や脊髄などの中枢神経がけがなどで傷ついた時、治ろうとするのをじゃまするたんぱく質や受容体を特定し、仕組みを解明。じゃまをさせないようにして、機能を回復させる薬の開発もすすめている。表彰式と記念講演は、11月2日(水)15時から大阪科学技術センターで行われる(要申し込み)
 山陽新聞
H23/03/12
末安 哲
(旧職員)
 末安さんが『わたしの高校演劇』の出版を企画したのは、定年退職後の2000年。何度か寄り道をしながら、この1月に完成した。演劇部顧問としての24年間に、自らの高校演劇部員時代の2年を加え、演目や大会成績などを集録。舞台に懸けた生徒と教師の情熱を伝えている。
 中でも特に記憶に残っているのが、朝日高3年目の76年の文化祭。死にざまに共感できず嫌悪していた三島由紀夫の「葵上」を、生徒の熱意に負け渋々認めたが、いざ取り掛かると、実に面白い本であり、いい脚本であることに気づき、人物の好き嫌いで作品を判断しようとした自分を恥じたそうだ。
 「高校演劇は、縁あって集まった生徒が限られた時間の中で作り上げる一期一会の舞台、その魅力を伝えたい」と話す。
非売品だが、県立図書館と岡山市立中央図書館で読むことができる。
山陽新聞
H23/03/14
東仙 明彦
(昭和53年卒)
 2010年ビリヤードアジア大会日本代表監督を務め、金・銀メダル獲得に導いた東仙明彦(とうせんあきひこ)さん。若いころ何となく趣味で始めたつもりが、いつの間にか日本協会入り。「娯楽のイメージをもたれがちだが、立派な競技」と熱く語る。
 次回アジア大会の競技からビリヤードが外れることになったが、諦めない。2019年の大会からの復活を目指し、アジア各国協会と連携を強めると同時に、国内での競技のいっそうの普及拡大に意欲を燃やす。
山陽新聞
朝日新聞他
H23/01/27
吉田みづ絵
(平成4年卒)
『にじのアイスクリームやへようこそ』。岡山市は1月26日、第26回市民の童話賞一般の部最優秀賞に大津市在住の吉田みづ絵さんの同作品を選んだ。子育てをしながら、2年前から児童文学の創作活動をはじめての見事な受賞。虹とともに現れる大男のアイスクリームやさんのお話し。子どもやお孫さんといっしょに読まれてみてはいかがでしょう。入賞作品集「おかやま・しみんのどうわ2011」は、市内の主な書店で販売中(千円)。
 (同窓会ホームページ「北から南から」に平成19年寄稿いただいています。→こちら
朝日新聞
H22/08/31
山陽新聞
H22/09/16
     他
大森 静佳
(平成20年卒)
 大森静佳さん(京都大2年)の短歌『硝子の駒』50首が、第56回角川短歌賞に選ばれた。大森さんは、高校時代は文学部に所属、現在は「京大短歌」「塔短歌会」に所属している。
 角川短歌賞は、角川学芸出版の発行する月刊短歌誌「短歌」が毎年公募する未発表50首の新作から選ばれる新人賞で、短歌の新人賞の中では権威あるものの一つ。第32回では、俵万智さんが受賞。また角川俳句賞では、平成元年、岸本(岩田)由美さん(S55卒)が受賞し、俳人として活躍されている。
山陽新聞
H22/08/23
曽我 英丘
(昭和34年卒・旧職)
梶浦 徳雄
(昭和45年卒)
 前衛書家の曽我英丘さんと、オーストリア・ウィーン在住の美術家梶浦徳雄さんが、2人展を開いた。書を手がける曽我さんは、高さ3メートルの大屏風「神龍」をメーンに、梶浦さんは「ma(間)」をテーマにした作品で空間に働きかける。書と幾何学的造形、対照的な作品が交互に並んだ。
 なお、母校創立136周年記念特別展(H22年11月18日〜26日・ 同窓資料館)で、梶浦さんの作品展が行われることになっている。
朝日新聞
H22/04/26
白神由紀江
(昭和44年卒)
 白神さんは朝日高校時代文学部に所属、以来、小説や童話を書いてきた。中学校国語教諭となってから本格的に創作をはじめ、1998年に「リンゴのおじいちゃん」で岡山市が募集した「市民の童話賞」最優秀作品に選ばれた。今回は、『ソッカー先生とホタルの海』が第25回を迎えた「市民の童話賞」最優秀作品に選ばれ2度目の受賞となった。来年に退職を控え、ますます創作活動への意欲をふくらませている。
朝日新聞
H22/04/26
多田遼太郎
(平成22年卒)
 10歳から囲碁をはじめ、昨年、初の高校生県朝日アマ囲碁名人となった多田さん。4月25日に行なわれた第5回朝日アマチュア囲碁名人戦県大会(県アマチュア囲碁連盟、朝日新聞岡山総局、日本棋院主催)で2年連続優勝を果たした。昨年は朝日高校3年在学中、今年は岡山大学薬学部入学早々の快挙。昨年につづき、日本棋院会館での全国大会(7月18日、19日)に出場することとなり、念願のベスト8入りを目指す。
山陽新聞
H21/07/31
高畑壮平
(昭和47年卒)
 ドイツ在住のバイオリニスト高畑壮平さんを中心に、朝日高校吹奏楽部OBや市内外で活躍する音楽家計6人が、8月1、2の両日、サロンコンサートを行う。高畑さんは、ドイツのオーケストラのコンサートマスターとして活躍する一方で、カフェなどで開く小規模な「サロンコンサート」にも積極的。当日はドイツでのサロンコンサート同様、バイオリン2本にビオラ、チェロ、コントラバス、ピアノの構成で、「世界音楽巡り」と題し、各国の民謡やシャンソン、タンゴなどを披露する。
 約30年ぶりとなる郷里での演奏会に、高畑さんは「好評なら毎年の開催も検討したい」と張り切っている。
  
 (−コンサートの様子を掲載しました。)
山陽新聞
H21/07/06
西村洋輝
(平成17年卒)
 空手の全日本強化選手に現役東大生で初めて西村洋輝さんが選ばれた。
 西村さんは高校時代、朝日を団体組手で初のインターハイに導くなど活躍。昨年7月の国体関東ブロック予選を制し、続く8月にカナダで開かれた所属流派・和道会の世界大会で優勝した。
 高校時代から、限られた練習時間の中で倒し技やけりなど多彩な攻撃を研究してきた西村さんは、毎月行われる全日本強化合宿では、同じ階級で昨年の世界選手権に出場した藤元選手らと実戦形式の練習を積み、レベルアップに懸命だ。
「12月にある東アジア大会、来年の世界選手権の日本代表入りを目指す」と意欲満々に語っている。
山陽新聞
H21/02/18
黒住倫代
(平成14年卒)
 若手日本舞踊家・花柳大日翠(はなやぎおおひすい)。朝日高校から東京芸大邦楽科を卒業。
 今年1月国立劇場を会場に、流派を超えた計84人が参加し、4日間にわたって行なわれた新進舞踊家の登竜門「各流派合同新春舞踊大会」で、最高賞の文部大臣奨励賞を受賞した。
 その後、国立劇場が主催する「明日をになう新進の舞踊・邦楽鑑賞会」(4月25日)に「若手実力派」の一人として出演が決定。
「もっと上手に踊ることはもちろん、見る人が幸せを感じたり、楽しくなったりする踊りを踊りたい」と語る。
山陽新聞
H21/01/16
光畑三枝子
(昭和47年卒)
 岡山市の光畑三枝子さんが、レカンフラワーの全国コンテストで二年連続「特別賞」を受賞した。
 レカンフラワーとは、花や葉を特殊な乾燥剤につけ込んでそのままの形で乾燥させ箱の中に並べて作る新しいアート。従来の押し花と違い形や色をそのまま保てるのが特徴の一つ。「自分だけの作品が出来る楽しさをひろめていければ」と語る。
山陽新聞
H20/12/21
神野 力
(昭和11年卒)
戦後おかやま文化回想記@−
 神野(かんの)さんは、半世紀以上にわたり、岡山の文化財保護を中心に地域文化を支え見つめてきた。
 この歩みをほぼ1年にわたり毎週日曜日に掲載していくシリーズ。第1回は大学を卒業後、潜水艦の艦長として訓練中に終戦を迎え、その後岡山県教育委員会で文化財保護行政にたずさわる事となった道程を回想。
朝日新聞
読売新聞
    他
H20/10/31

竹崎博允
(昭和38年卒)
 第17代最高裁長官に、竹崎博允氏(現東京高裁長官)が指名された。
最高裁判事を経ずに長官になるのは、1960年に第3代長官に就任した横田喜三郎氏以来48年ぶりで、現役の14人の判事を飛び越す異例の抜擢。
 来年5月に始まる裁判員制度に向け、制度作りに主導的役割を果たした竹崎氏の経験や手腕が期待される。任期も約5年8ヶ月と長期にわたり、制度の定着と安定が図られる模様。
 
 ***三権(立法・行政・司法)の長−日本国では4人(衆議院議長・参議院議長・内閣総理大臣・最高裁判所長官)−のうち2人が本校同窓生。もう一人は参議院議長江田五月氏(昭和35年卒)***
山陽新聞
H20/07/07
岡田 滋
(昭和33年卒)
 サイクロンで大きな被害を受けたミャンマーを訪れ、医療器具や抗生物質などを地元の医師に託した。
 岡田さんは、同国で貧血治療のために輸血を受けた患者に若くから肝臓がんが発症することに注目。岡山大教授であった1990年より本格的に研究。輸血用血液のウィルス検査が不十分なためC型肝炎が広がり、鉄分過剰が発がんを促すという構図を浮き彫りにした。
 C型肝炎対策として、2000年より同国の検査技師を招き岡山大学などで研修してもらう事業を始めた。これまでに20数名のミャンマー人研修生が来日。帰国後は感染抑制に成果を上げているという。
 大学退官後の2006年には、NPO法人「日本・ミャンマー医療人育成支援協会」を設立。研修内容は子宮がんの検診技術などにまで拡大。研修生への宿舎提供や交流を支え続けている。
山陽新聞
H20/07/07
木村正明
(昭和62年卒)
 青年版国民栄誉賞と銘打った「人間力大賞」(日本青年会議所、NPO法人人間力開発協会主催)にファジアーノ岡山スポーツクラブ社長の木村正明氏ら20人が選ばれた。
 この賞は文化、芸術、福祉、スポーツなどの活動を積極的に行う人間力あふれる20歳から40歳を対象に毎年表彰されている。木村正明さんは、2006年に外資系証券会社からファジアーノ岡山の社長に転身、Jリーグ入りを目指している。地域密着型クラブとして街づくりや人づくりへ尽力する地道な活動が評価された。
「ファジアーノが県民の誇りになるように育てたい」と話した。
朝日新聞
H20/06/25
大林丈史
(昭和35年卒)
 キャリア40年超のベテラン俳優。テレビ欄の「TVフェイス」で紹介された。
 木村拓哉が総理大臣を演じる「CHANGE」で与党大物議員4人組の1人、垣内・元外相を演じている。従来の政治や権力を象徴し、若い力を迎え撃つ側。「若い力?いいと思う。ただ我々にも若い頃はあった。来るなら来てみろ ! それぐらいの気持ち」と語る
NHK大河ドラマ「篤姫」では長野主膳役。時代劇の奉行や悪代官でもなじみがある。
山陽新聞
H20/02/15
吉田全作
(昭和48年卒)
 吉備中央町の吉田牧場のチーズが全国的な人気を集めている。
 吉田全作さんは、北海道大学を卒業後、東京で5年間会社勤めをした後脱サラ。吉備中央町で妻とともに酪農をはじめた。当初は思うような製品ができなかったが、ブラウンスイス種の導入後、同牧場のチーズの評判が口コミで広がり、全国の一流レストランや愛好家から注文が殺到。種類によっては一般向けの販売を断っているものや半年待ちのものもある。
 「私のチーズ作りは道半ば。後継者の長男夫婦と4人で理想の品作りに取り組みたい」と語る。
文藝春秋
平成20年
新年特別号
H19/12/10
宮原耕治
田原秀子
菅 滋正
(昭和39年卒)

 朝日高校昭和39年卒の、日本郵船株式会社社長の宮原耕治氏、文化出版局季刊「銀花」編集者の田原秀子氏、大阪大学教授大学院基礎工学研究科の菅 滋正氏が、「同級生交歓」に登場し高校時代の思い出を語った。
 実は常日頃の交歓メンバーは他にもおられたが、連絡や先方の事情によりこの3名での登場となったとのこと。他のメンバー江尻公一氏、平松博子氏、福田浩国氏にはMessage欄で登場いただいた。
朝日新聞
H19/12/02
秋田麻早子
(平成7年卒)
 日本オリエント学会会員の秋田麻早子さんが、考古学と発掘物をめぐる様々なトピックスを軽妙な口調で書いた『掘れ掘れ読本』を出版した。
 秋田さんは高校卒業後、アメリカの大学で古代中東の美術史を専攻、現在はブログで国際ニュースの中の美術や考古学の話題にコメントするなどしている。
 「考古学で昔の人々の心を知れば、今の中東も、より理解できる。ロマンだけでなく、実利的な学問でもあるんです。」と話す。
山陽新聞
H19/10/31
森 久美
(昭和27年卒)
 岡山市民ホールの「市埋蔵文化財発掘調査速報展」に展示されている岡山市立中央中学校の一角にある岡山城三之外曲輪跡から出土したセルロイド製の「定規」の持ち主がわかり、約60年ぶりに対面した。
 第二岡山高等女学校に通学していた森(旧姓馬場)久美さんは、「戦争が終わったばかりで、物が無い次代だった。定規にも自分で名前を刻み、大切に使っていた。また出会えるなんて。」と感慨深そうに語った。当時は焼け跡のバラックのような校舎で、授業の他がれきの片付けもあったそうだ。「手に取ると仲間と一緒に勉強した青春の日々が蘇る。あれから60年、懐かしいですね。」と振り返っていた。
山陽新聞
H19/09/12
清水信義
(昭和34年卒)
 岡山大学副学長の清水信義氏が、がん対策に貢献した個人や団体に贈られる本年度の「日本対がん協会賞」に選ばれた。
 本年度のこの賞は、清水氏ら6人の医師と、2団体に贈られる。
 清水さんは岡大医学部第二外科に所属し、これまでに約2300件の肺がん手術を手掛け患者の治療に尽力したほか、県内の肺がん検診に携わり、肺のレントゲン写真のチェックや内視鏡診断を通じて早期発見に努めた。「受賞は検診や治療をともに行った仲間のおかげ。手術の第一線からは退いたが、禁煙の重要性を訴えることで肺がん予防に関わりたい」と清水氏は話している。
山陽新聞
H19/08/17
大山ますみ
(昭和55年卒
 井原市内で整体院を開業している元中学校英語教師の大山真善美さんが、いじめや不登校が起きる構造や対処法を記した『学校の裏側』を出版した。
 〇 いじめ〇不登校〇学級崩壊〇教師〇学校の隠ぺい体質の五章で構成されていて「いじめを続けていると集団の快楽に変化」「自分のルールを子どもに押し付ける先生」 など元教師の視点で、学校が抱える様々な問題に鋭く切り込んでいる。
山陽新聞
H19/06/22
金谷朱尾子
(昭和47年卒)
 日展などで活躍し、平成16年に51歳で亡くなった日本画家 金谷朱尾子さんの遺作が6月21日、人の目にとまる場所に飾りたいとの父親の呼び掛けにより、母校の朝日高校に寄贈された。
 作品は50号のキャンバスに描かれた「西の京 はつなつ」(1991年作)で、生徒がよく集まる職員室前の廊下に飾られた。
  
山陽新聞
H19/05/25
光畑俊行
(昭和46年卒)
 吉備の中山の山麓約5千平方メートルに平成17年11月、宮脇昭・国立生態学センター長の指導でシイノキ、アラカシなど二十種類約一万五千本を植樹。この地で、地元公民館でアウトドア講座を開いている光畑俊行さんが、次代を担う子ども達に森の大切さを考えるイベントとして、26日小学生らを招いての植樹やフルート演奏を計画している。
 山林を所有する光珍寺の石渡住職が「地元で有効利用し森の大切さを訴えてほしい」と一般開放を申し出て実現した。当日は、桃の木と広葉樹計五十本を植樹。秋の収穫に向けサツマイモも植える。岡山在住のパンフルート奏者今井勉さんによるミニコンサートもある。
山陽新聞
H19/03/08
田中恵美
(平成12年卒)
 若手作家に海外経験を積んでもらおうと、美術作家の高橋秀さんとコラージュ作家の藤田桜さん夫婦が、昨年私費1億円を提供し設立した「英桜(しょうおう)基金留学賞」の第1回受賞者に版画家田中恵美さん他2名が選ばれた。
 田中さんは、朝日高校卒業後、武蔵野美術大、同大学院に進んだ。3人にはそれぞれ300万円が送られ、夏から秋にかけて、ヨーロッパに渡航。1年間、現地で生活しながら芸術学校に通ったり制作活動を行なう。「多くのことを吸収し、自分の可能性を試したい」と語った。帰国後は、展覧会も予定されている。
山陽新聞
H19/01/19
大久保憲作
(昭和41年卒)
 倉敷コミュニティ・メディア(KCM=エフエムくらしき、倉敷ケーブルテレビ、玉島テレビ放送の三社で構成)は、総務省消防庁の「第11回防災まちづくり消防庁長官賞」を倉敷市とともに受賞した。この賞は、1995年の阪神大震災を機に、地域の防災力を高めようと翌年度から始まった。一般、防災情報、住宅防火の三部門があり、152団体が応募。防災情報部門で総務大臣賞に次ぐ消防庁長官賞に選ばれた。
 KCMの技術スタッフが、2004年秋の台風被害を教訓に、災害時に自動的に電源が入り、避難勧告情報などを伝えることができる緊急告知FMラジオを、翌年半年がかりで開発した。これまでに倉敷市が、市内学校園や公民館、福祉施設等に900台配置している。
 エフエムくらしきの大久保憲作社長は「地域防災はコミュニティーメディアの役割の一つ。消防庁に認められたことは大変うれしく、全国にシステムが広まって欲しい。」と語った。
山陽新聞
H18/11/23
宮尾紀子
(平成6年卒)
 愛媛大学教育学部出身で倉敷管弦楽団に所属し岡山県内を中心に活動しているフルート奏者宮尾紀子さんのコンサート「「フルートの戯れ」が、22日岡山市柳町の山陽新聞さん太ホールで開かれた。
 これは同市の音楽愛好家グループ・Ruhe(ルーエ)が開催したもので、ピアノとベースとの共演で、ドビッシーの「夢」や「亜麻色の乙女」を優雅に、またオリジナルアレンジの「きらきら星」をスイング感たっぷりに奏で、300人の聴衆を魅了した。
山陽新聞
H18/09/19
永瀬正己
(昭和7年卒)
 永瀬正己氏(昭和7年卒)91歳。現「がんの悩み電話相談室おかやま」室長。
 昭和42(1967)年から、岡山市医師会長、県医師会理事・日本医師会理事、県医師会長を歴任。昭和58年には、日医生命の倫理に関する検討委員会委員長として、体外受精、脳死、臓器移植など急速に進む医療に対し医の倫理を問い直し、新たな理論構築の確立へリーダーシップを発揮した。ぞして岡山県の臓器移植の基礎をつくり、岡山臓器バンク理事長に就任。
 また、日本医師会代議員会議長の時、厚生省がん末期医療のケアの在り方研究班に開業医を代表して参加。末舛国立がんセンター病院長ら5人でマニュアルを作成し、がん告知の配慮、痛みのコントロール、家族のケア、精神的な支えなど末期がん患者のケアの在り方を示した。これをもとに、80歳からがんの電話相談に取り組んでいる。
山陽新聞
H18/08/30
河田一臼
(旧職員)
山崎信義
(昭和32年卒)

 岡山県における前衛書・墨象の第一人者として活躍した河田一臼(いっきゅう)(2000年89歳で死去、朝日高在職昭和25年〜46年)の遺作展開催を目指す準備委員会が、朝日高書道部の教え子が中心となって発足した。
 来秋の岡山市内での開催を目指して作品整理を進めているが、60年代から70年代にかけての彩色を施した作品群や大作の行方が知れず、同委員会は「河田一臼の歩みをたどれば、県内の前衛書発展の歴史が分かる」と情報提供を呼び掛けている。
 準備委員会代表を務める山崎信義さんは「ただ、創作だけを追求した書家の在り方を通じ、現代社会や書壇へ一石を投じたい」と話している。
朝日新聞他
H18/08/08
山海嘉之
(昭和53年卒)
「ロボットスーツ」着用での登山第一歩!
8月7日スイスアルプスのブライトホルンで、アルプス登山を夢見る身体障害者のための「おんぶ登山」が実施された。今回はロボットスーツを着用しての挑戦だった。
 サイボーグ型ロボットの開発で世界の最先端を行く筑波大学大学院教授山海嘉之氏が、依頼を受けて製作した。「ロボットスーツ」は、筋肉を動かそうとする時の生体電流をセンサーで読み取り、コンピューターで解析してスーツのモーターを回す方式で、重労働軽減やリハビリの支援、障害者の歩行支援などが目的。人を背負ってもほとんど重さを感ずることなく歩くことができるという。
山陽新聞
H18/08/04
安井明子
(昭和48年卒)
安井優子
(平成11年卒)
 うらじゃ振興会(事務局:岡山市表町)が募集した総踊り用の新しい曲に、音楽教室講師安井明子さん、ラジオパーソナリティー優子さん親子の作品が選ばれた。6日、岡山市の市役所筋で行われる「おかやま桃太郎まつり」のうらじゃおどりで、BGMとして披露され、さらにアレンジや振り付けを加えて、来年のまつりから本格的に使われる。
 明子さん作曲、優子さん作詞の新曲はテンポが良く、三味線で始まるイントロなど和風な曲調。「人を引き付ける出だしに苦労した」と明子さん。分かりやすさを心掛けたという詞には、「空と大地に抱かれて・・・」などと岡山で生まれ育ったことに感謝し、歴史と伝統を継承する大切さを込めた。曲名は未定。二人は、「みんなで楽しく踊れると思う。どんな振りが付くのか楽しみ」と話している。
山陽新聞
H18/05/11
江木英二
(昭和43年卒)
 岡山県中学校体育連盟会長に江木英二操南中校長が選出された。
江木さんは、朝日高校在学中にサッカーを始め、岡山大学、岡山教員団MFとして活躍した。国体には3度出場し、1978年長野大会では教員の部5位に貢献した。「中学の部活動は競技スポーツ、生涯スポーツ両面で出発点になったり、基盤を築く大切な時期。重責だが“県中体連チーム”として頑張りたい。」
中学生には「寝食を忘れて夢中になれることを一つ見つけて欲しい。スポーツは他人を受け入れたり自己主張したり、苦しい時に頑張るなど人生に必要なことを教えてくれるから。」と望んでいる。
山陽新聞
H18/01/30
H18/02/12
赤木啓治
(昭和32年卒)
 通称「ミスターサワラ」の赤木さんは、岡山商工会議所観光委員長として、1人当たり消費量全国一とされるサワラ料理を岡山名物として全国に発信する運動を展開している。
 岡山には、サワラの刺身のほか、しゃぶしゃぶやたたきなど多彩な料理法があることはあまり知られておらず、岡山県出身でプロ野球阪神タイガースの星野仙一前監督をサワラ大使に任命したり、関連グッズを作成したりと岡山独自の食文化の発信に懸命に取り組んでいる。
 中でもユニークなのは、高知のカツオのたたき、鳥取の松葉ガニ、下関のフグとの味比べ。昨年行われた高知県のカツオ、鳥取県の松葉ガニとの対決はサワラが制したが、2月11日に下関市南風泊(はえどまり)市場で行われたトラフグとの「たたき料理味比べ対決」は、37対37で劇的に引き分けた。
サワラのホームページはこちらです
朝日新聞
H18/01/29
松井 貞彦
(昭和30年卒)
 トリノ・パラリンピックでアルペン監督を務める元五輪代表監督。
3月10日開催のトリノ・パラリンピックの前哨戦として、30日に始まる日本初開催の障害者アルペンスキー・ワールドカップ(W杯)志賀高原大会で日本代表の指揮をとる。障害者スキーの選手の真剣さに心を動かされ、04年10月に監督を引き受けた。メダリストを育てるという夢への再挑戦である。
 「己に勝つ」が指導者としてのモットー。「サポートされるのが当然」と考える障害者選手に「敵は自分の中の甘え」と説く。「障害者でも健常者の挑戦できるくらいのチームを作る。」そんな思いが、もうすぐ古希を迎える体を支えている。 
山陽新聞
H18/01/10
曽我 英二
(号は「英丘」)
(昭和34年卒)
 曽我さんが会長を務める、書・絵画・写真など多様な表現グループ「玉龍会」の初の海外展覧会が、朝日高時代の同級生が在住していることが縁で、昨年12月26日から1月31日までの間、タイ北部のチェンマイの中心部のギャラリー・レストラン「プレーン」で開催されている。
 総勢15人が書を中心に日本画、写真など日本をイメージさせる21点を出品し、曽我さんは会場で公開制作も行い、タイ人だけでなく現地に滞在している外国人ら約50人を前に「和」「心技体」「平常心」など約30点を揮ごうした。
 この展覧会は現地の人にも好評だったそうで、曽我さんらはこの”チェンマイ展”の継続も考えている。
山陽新聞他
H17/10/29
三谷 太一郎
(昭和30年転出)
平成17年度文化功労者15人が発表された。
三谷太一郎氏。東大名誉教授。
日本政治外交史の研究で、日本の政党政治の解明に優れた業績を挙げた。69歳。
日経産業新聞
H17/10/06
山下 俊英
(昭和58年卒)
 脊髄(せきずい)損傷などによる神経障害の治療につながる研究を表彰する「2005アメリテック賞」の受賞者に千葉大学の山下俊英教授が決まった。米アメリテック財団による同賞は今回が10回目で、日本人の受賞は初めて。
 中枢神経の再生に関連するたんぱく質を突き止めた研究成果が評価された。同たんぱく質の機能を抑制する抗体をつくれば、神経の再生を促す治療に役立つという。
 授賞式は11月13日にワシントンで開催された。
山陽新聞
H17/10/06
畑 公一
(昭和40年卒)
 JICA(国際協力事業団)のシニア海外ボランティアの出発激励会が、10月5日岡山県庁で開かれた。
11日からアフリカ南部のザンビアに渡航する畑公一さんが「おかやま国際協力大使」に委嘱された。畑さんは、首都ルカサの職業訓練校で、2年間電気設備の技術指導にあたる。
 激励を受けた畑さんは、「これまでの経験を生かし、ザンビアの産業発展に貢献できるよう頑張ります。」と決意を述べた。
 国際協力大使は赴任中、電子メールなどで現地の状況を報告したり、県に支援物資の要請などを行う。
朝日新聞
 H17/06/14 

山陽新聞
 H17/06/26 
日笠 俊男
(昭和27年卒)
 1945年6月29日の岡山大空襲から今年で60年を迎える。空襲を体験した日笠俊男さんは、今のうちに、体験者として正確な記録を残したいと岡山大空襲に関する資料収集を進めている。
 今回、国立国会図書館所蔵の米軍資料の中に、「日本本土への空襲は、3月10日以前とは投下高度が違い、単独で焼夷弾を投下する攻撃法を導入した。」と報告されていることを知り、知人とともに邦訳し、「米軍資料 ルメイの焼夷電撃戦 参謀による分析広告」を出版した。
 日笠さんは、「一連の空襲で米軍は、低高度から単独で焼夷弾を投下する攻撃法に自信を深め、終戦まで継続した。岡山大空襲をより理解するうえでも貴重な資料だ」と話している。

  
山陽新聞
 H17/05/12 
三井 秀也
(昭和48年卒)
 岡山大大学病院医歯薬学総合研究科心臓血管外科助手の三井秀也医師が、下肢切断の危機にある多くの患者を救うため、潰瘍治療に使う医療用マゴット(ハエの幼虫)を繁殖させ、医療機関に販売するベンチャー企業を4月に設立した。「これまでは、マゴットの幼虫を豪州から輸入するため、コストも高く長時間の輸送で弱る幼虫も多かった。国内で安くて元気なマゴットを生産できないか、との想いがあり会社を立ち上げた。全国の潰瘍による下肢切断患者は年間1万人以上いるので、今後はこの治療法の普及に努め患者を救いたい。」と語った。
 医療用マゴット治療・・・糖尿病などでは足の血流悪化で皮膚の傷が潰瘍となる。抗生物質で治療するが耐性菌が出現しなかなか治らない場合もあり、最悪の場合足を切断していた。最近欧米などで注目を集めているのがマゴットを使った治療方法。ハエの幼虫を用いたマゴット潰瘍治療では、この潰瘍を幼虫が壊死した組織を溶かして吸い取り、殺菌もする。岡山大でしか治療実績はないが、これまで8人を治療し、いずれも足を切断せず歩けるようになり、良好な結果が出ている。会社設立により国内の4施設で新たにこの治療が始まった。

山陽新聞
 H17/03/28 

大橋 洋治
(昭和34年卒)
 幕末に備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷(1805−1877年)の生誕200年を記念した講演会が3月27日、岡山市の岡山商工会議所で行われ、全日空社長(4月から会長)の大橋洋治さんが講演した。
 大橋さんは戦後高梁市で過ごしたことで方谷に興味を持ち、全日空で行った経営改革で方谷の不屈の精神が役立ったことなどを語った。
山陽新聞他
H17/04/11
清水 慶一
(昭和50年卒)
 家系図は普通、先祖を中心に下に枝分かれしたものを想像しがち。だが、最近、自分を要に両親、さらにその両親、兄弟姉妹と過去にさかのぼり「末広がり」の扇形家系図が、注目され始めた。
 この扇形家系図に取り組んでいるのが倉敷市の眼科医清水慶一さん。
 江戸時代末頃までなら戸籍や墓碑で追跡が可能で、多様な人たちとのつながりで今の自分があることに気づくはずだ。
朝日新聞
H17/03/10
山陽新聞
H17/04/04
後神 俊文
(昭和27年卒)
 岡山朝日高等学校が、後神先生執筆により、創立130周年を記念して、統合され岡山朝日高校となった岡山中学・岡山一中と岡山二女との過ぎし日々を語る『岡山朝日高等学校の生い立ち、戦前篇』を創立記念式典の日に上梓した。
 これは、朝日高校の歴史に関する初めての書物であるばかりでなく、創立130周年にして初めて発刊された書物でもあり、快挙であるといわなくてはならない。

 詳しい本の内容はこちらへ
山陽新聞
H17/04/04
中島 豊爾
(昭和40年卒)
 中島豊爾県立岡山病院院長が代表を務める「被害者サポートセンターおかやま(VSCO)」の社団法人としての設立総会が4月3日開かれた。
 定款や本年度事業を承認し、理事長に中島代表を選んだ。今秋をめどに県に設立認可の申請書を提出する予定。VSCOは犯罪被害者を支援する目的で2003年に任意団体として設立。犯罪に遭った直後から積極的に被害者支援をするため、社団法人化し、犯罪被害者等給付金支給法で県公安員会が指定する「犯罪被害者等早期援助団体」になることを目指している。
山陽新聞
H17/03/16
田中 紀章
(昭和37年卒)
外科医養成へ初のNPO設立
 岡山大大学院医歯学総合研究科の田中紀章教授(消化器・腫瘍外科学)は、大学や病院の枠を超えて外科医の専門技能の指導や就労支援などをするNPO法人「ザ・ファースト」を初めて設立した。中四国の大学医学部、研修教育病院に協力を呼びかけ、人材育成や地域医療の質向上を図る。
山陽新聞
朝刊 他
H17/02/17
篠原 真祐
(昭和59年卒)
 小学校再編で、2001年度に深柢小、内山下両小が統合して岡山中央南小となった。
さらに2005年度には、岡山中央北小(旧南方小跡)と統合し、新たに岡山中央小学校として旧弘西小跡地に開校する。現在の校地はなくなる。
 今春で無くなる岡山中央南小学校(旧深柢小学校跡)に通ったほぼ全員の姿をOBの篠原真祐さんが3年がかりで撮影した。
今回その中から約220枚を選び「児童の等身大写真展」を、表町のギャラリーで2月17日から21日まで開催。
山陽新聞
朝刊 他
H17/01/19
松田   久
(昭和46年卒)
 スペシャルオリンピックス日本(SON)・岡山誕生
 陸上や水泳などさまざまなスポーツを通じて知的発達障害者の社会参加を進めるスペシャルオリンピックス日本(SO)の岡山県組織「SON・岡山」が1月18日発足した。
 会長に松田久氏が選任され、顧問には岡山市出身の女子マラソン五輪メダリスト有森裕子さんが就任した。障害者が日常的にスポーツに親しめる環境づくりを目指している。
山陽新聞
H16/12/19
木原 幸子
(昭和51卒)

ハリー・ポッター人形岡山に登場
 木原さんは、「ハリー・ポッター」の公式ハリー人形をワーナー・ブラザーズ映画の日本法人から制作依頼され、黒いローブをまとったハリーが杖を振り上げた姿  、 ランプを手に夜の図書館を冒険する姿  、そして、 ほうきに乗って疾走知る姿 の三体を完成。今夏、映画「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の封切りに合わせ全国を巡回した。少し面長で内に勇気を秘めた表情と姿が評判を集めた。
 木原さんの個展が12月21日〜30日まで、天満屋岡山店五階美術画廊で開かれ、それに合わせて杖のハリー一体が一階メーンステージで特別展示される。木原幸子さんのホームページはこちらです
TOP POINT
6月号
山本 秀也
(S55年卒)
『本当の中国を知っていますか?』 草思社刊
 中国の経済的成功を伝える情報はたくさんあるが、内陸では、清朝時代からほとんど変わることのない農村の姿がある。産経新聞海外特派員として、北京等で勤務した経験をもとに、知らぜらる中国の実態を紹介している。

山陽新聞
H16/09/01

 
中島 一生
(S63年卒)
 自衛隊のイラク復興支援隊員としてサマーワで活動していた岡山市出身の中島一生三等陸佐(34)が8月末、岡山市内で帰国報告会見をした。
 中島陸佐は朝日高を卒業後、防衛大学校から陸上自衛隊に入り、現在は北海道の第七師団戦車連隊中隊長。今年2月の第一次部隊で派遣され、医療や給水、施設復旧などをPRする業務支援隊の報道係長を務めた。会見では「サマワは不思議なほど安定し、危険はなかった」と治安状況を報告。「荒廃したイラクを見て平和の大切さを感じた。再び行って復興状況を確認したい」などと話した。
山陽新聞
H16/08/03
小合 洋一
(S31年卒)


 
 太平洋戦争末期の1944年8月5日、オーストラリア・カウラの捕虜収容所で日本兵が集団脱走し、多数の死者を出した。
 この「カウラ・ブレークアウト」の慰霊祭に出席するため、岡山県内から30名が2日出発した。毎年開かれた慰霊の公式式典が、関係者の高齢化で今回が最後となる。20年間慰霊を続けてきた県柔道連盟副会長の小合洋一さんは「平和の尊さを訴えるため、今後も事件を後世に語り継ぎたい」と語った。
 一行は5日慰霊祭に出席する。またカウラの日本庭園の和室に畳やふすまを贈る。
RSKラジオ
H16/06/27
三船 文彰
(S49年卒)
 日曜の朝10時から放送されているクラシック音楽を取り上げた番組「ラヴ・アンダンテ」に出演。司会はS61年卒の奥富亮子アナ。
 岡山市内で歯科医院を経営している三船さんは、診療のかたわらチェリストとしてリサイタルやコンサートで楽歴を重ねる一方、特に学校、病院、施設などで音楽を通しての人々の交流に力を注いでいる。また数年前から一流の演奏家を招いて、一期一会のコンサートをプロデュースし、音楽と人間の純粋な関係を追求しつづけている。
 今回番組の中では、昨年初来日した伝説のピアニスト、ルース・スレンチェンスカさんとの出会いと、彼女が伝説のピアニストと呼ばれる所以について紹介した。
なお三船さんは同番組に来年3月まで毎月一回最終日曜日に出演の予定。
   
山陽新聞他
H16/01
上旬掲載
小川 洋子
(S55年卒)

第55回読売文学賞(小説賞)受賞
1988年「揚羽蝶が壊れる時」にて海燕新人文学賞。
1991年「妊娠カレンダー」にて第104回芥川賞。
2003年「博士の愛した数式」にて第55回読売文学賞・第1回本屋大賞を受賞。
新著「博士の愛した数式」(新潮社)
 数学と文学−かけ離れているように思えるこの二つを 見事に融合し静謐な世界を描き出した。
 内容は、交通事故による障害で記憶を保てなくなった老博士と家政婦、家政婦の息子との交流をつづった物語。
山陽新聞
H16/04/18
日高   一
(S26年卒)

 終戦直後の旧満州(現中国東北部)での辛酸の日々を『間島の夕映え』と題して4月18日から週2回(日曜、水曜)、山陽新聞朝刊に連載している。
 日高一(ひとし)さんは1931年、神戸市生まれ。終戦時、旧満州東部の間島(かんとう)市=現延吉市=にあった間島中学に通っていた。『間島の夕映え』はソ連軍の侵攻、略奪、飢え、極寒の地での過酷な生活で肉親や友人を次々に失い、幼い 弟と2人残された体験を冷徹な筆致で描いている。
 山陽新聞創刊125周年記念の連載。日高さんは戦後、朝日高から早稲田大に進み、山陽新聞社入社。津山支社編集部長など務め89年退職。著書に「津山城物語」「夕映え」など。
山陽新聞
H16/02/22
篠原 真祐
(S59年卒)

 岡山市中央町の蔭凉寺副住職の篠原さんは母校の岡山中央南小学校(旧深柢小)で6年生のため等身大の卒業写真の撮影を続けている。
 篠原さんは京都の大学で仏教を学ぶとともに、写真家として活動。母校の同小が05年度には別の小学校と統合することからPTAの依頼を受け2年前から空き教室で一人一人を撮影している。今回は約40人を写したが、等身大の卒業写真は「家に飾れる」「近所の人と話がはずんだ」など児童らに好評。等身大の写真は個性が際立ち、アートとしても優れている。篠原さんは「最後の年となる04年度には全校児童を撮影、街頭に展示して学校と地域を結びたい」と張り切っている。
山陽新聞
H16/01/12

読売新聞
H16/02/02
岡  将男
(S48年卒)

 岡将男さん(49)は岡山の市民団体「RACDA(路面電車と都市の未来を考える会)」の代表。障害者、子ども、お年寄りに優しい超低床路面電車「MOMO」の導入に尽力した。
 また岡山中学卒業の文豪・内田百閨i1889−1971)を顕彰する「百鬼園倶楽部」の会長としても活躍している。
山陽新聞
H15/11/12
横山  学
(S42年卒)
 ノートルダム清心女子大の横山学教授(日本文化史)は『書物に魅せられた英国人−フランク・ホーレーと日本文化』を出版した。ホーレーは第二次大戦前後にジャーナリストとして日本に滞在、一万冊以上の本を集めて日本文化や琉球の研究に没頭した。横山教授は研究のためハワイ大学を訪れた際、ホーレーの蔵書に出合い、この忘れられた日本研究者の生涯や研究を発掘した。
 197頁、1700円。問い合わせは吉川弘文館(03−3813−1951)
山陽新聞
H15/11/03
谷  義仁
 (S25年卒)
 岡山県建部町で文化センター館長を務める谷さん(72)が二冊目の紀行エッセー集
「あの町この村 谷義仁随想U」を出版した。
 スケッチ旅行が趣味で、岡山県全市町村や全国四十七都道府県すべてを訪問、81年に第一集を出版。その後に訪れたまちなどをスケッチを添えて七十八編にまとめ収録した。元岡山建築士会長で、文化やまちづくりにも造詣の深い谷さんの視点は温かく複眼的だ。
 314頁、1905円。問い合わせは吉備人出版(086−255−8627)。
山陽新聞
H15/08/05
沢原 一志
 (S40年卒)
 6月に岡山県成羽町の成羽町美術館副館長に就任、企業で培った経営感覚やサービス精神を生かし美術館活性化に取り組んでいる。本職は岡山市のデパート・天満屋の「美術統括」。手腕を買われて民間からの登用となった。
 天満屋では長く美術を担当。50歳を機に通信講座で学芸員資格を取得。今春から倉敷芸術科学大の非常勤講師も務めている。来年は同美術館の開館10周年。「気軽に足を運べる親しみやすさと、芸術に触れる楽しみ。バランスをとりながらやっていきたい」と張り切っている。 
  
 
山陽新聞
H15/07/30
環展
―KANTEN―
 平成15年7月29日〜8月3日、岡山市天神町、県総合文化センターで洋画、日本画、書、そして彫刻など多彩な分野の作品を集めた「第16回環展」が開催された。
 同展は、16年前、岡山朝日高校坂手得二(美術)教諭と曽我英丘(書道)教諭が制作者と鑑賞者の輪を広げようと、仲間に呼びかけて発足。今回、15人が、約40点を展示した。
         (山陽新聞平成15年7月30日朝刊)
山陽新聞
H15/04/18
大倉 道昌
(S19卒)
 岡山市出身の洋画家 ・ 大倉道昌さん(77)の フランス在住40年記念展が4月中旬、岡山市表町の天満屋岡山店で開かれた。
 記念展には、光あふれるノルマンディーの風景や洋ナシやサクランボの静物など油彩、パステル作品29点を出品。会場には多くのファンが次々に訪れていた。大倉画伯は77歳の今も毎日キャンパスに向かい、気候に誘われるままスケッチに出かける生活。「これからも構図、形、色などハーモニーを大切に描き続けたい」と意欲を見せている。
   
山陽新聞
H15/04/18
菅  滋正
(S39卒)

 30年にわたるドイツと日本の研究交流による功績が認められ、オイゲン・イルゼ・ザイボルト賞(ドイツ)を受賞。専門は応用物理学で、Spring−8(大型放射光施設 西播磨)でのナノテクノロジー分野における最先端研究が評価され今回の受賞となった。
 東京大学助教授を経て、現在、大阪大学大学院基礎工学研究科教授。大学院やゼミでの講義はすべて英語だそうで、国際学術交流を若い学生たちにもすすめている。
  
注)メディアウォッチはお寄せいただいた情報を元に掲載していますのですべてを網羅しているわけではありません。ご了承ください。
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト