● メディアウォッチ ●

メディアに登場したホットな同窓生をご紹介(敬称略)

中島 一生 (昭和 63年卒) イラク復興支援


イラク復興支援隊員としてイラクサマーワへ


第71戦車連隊第1戦車中隊長 3等陸佐 中島 一生
(元イラク復興業務支援隊所属)


イラク人通訳と

 昭和63年朝日校卒業後、防衛大学校に入校して陸上自衛官となり、平成15年3月から、隊員約50名、戦車14両を統べ率いる北海道千歳市の第71戦車連隊の戦車中隊長として勤務しておりましたが、その年の暮れにイラク復興業務支援隊の要員に選定され、平成16年2月末から7月末までの約5ヶ月間、イラクサマーワに派遣されました。現地では、プレスへの対応、活動状況の取材といった広報業務に携わり、様々な活動現場に赴く機会がありましたので、現地の状況や陸上自衛隊の活動の様子を、派遣間の印象、思い出を混じえながら皆様にお伝えしていきたいと思います。

 まず、現地の様子ですが、陸上自衛隊の活動地域であるムサンナー県は、イラク南西部にあり、その面積は岡山県の約7倍、人口は約44万人の県です。その中心都市であるサマーワは、ユーフラテスの大河が流れる人口約14万人の街で、部族関係を基盤としたイスラム教の教えを強く守る社会です。派遣前の正直な気持ちとして、宗教も文化も異なる日本からの訪問者が果たして歓迎されるものなのだろうかと不安に思っていました。ところが、多くの市民が街中を走る自衛隊の車列に気さくに手を振ってくれますし、活動地点では、子供たちがいつもどこからともなく集ってきます。現地に赴いてみて出国前の不安は杞憂だったことがすぐにわかりました。

サマーワ中心街にて

 日本では爆弾テロや米軍と武装勢力との衝突が連日報道されるため、イラク全土がそのような惨禍にあるような印象を持たれることと思いますが、サマーワ一帯は他の地域と比較すると不思議なくらい安定しています。派遣中の半年間で自衛隊に関係する事件は、日本でも報道された通り、宿営地近辺で起きた2件の砲撃事件だけでした。ただ、冠婚葬祭の催しで銃を空に向けて撃つ慣習があるので、これが時々発砲事件として報道されることもありました。

 気候については、派遣当初は涼しく心地よかったのですが、4月末から急激に気温が上昇し、帰国前には50℃を超える「超」真夏日(夜は涼しいと思いきや、熱帯夜が続きました。)の日々が続いておりました。日中、ヘルメットと防弾チョッキに身を包んで活動するには、まさに耐え難い暑さでした。

 次に、陸上自衛隊の活動状況を紹介したいと思います。16年2月末から逐次、医療支援、給水支援及び公共施設の復旧整備といった活動を展開し、それぞれの分野で着実に成果を収めつつあるところです。今までの国際平和維持活動と比較して、今回の活動が大きく異なる点は、PKOでは、国連から示された任務を遂行することが求められるのに対し、イラク派遣では、イラク特措法の枠内で、現地の行政組織と調整し、他の復興支援活動機関等と連携しつつ、外務省と協力しながら、活動の内容を主体的に決定して実行に移している点にあります。学校補修を一例として、どのような流れで活動が進んでいくか具体的に説明したいと思います。

現職務(戦車中隊長)

 ムサンナー県には、11の市町村があり、県内の各種学校の合計数は数百校に上ります。フセイン政権に長期間見放され、また戦争の被害が大きい南部地域には、補修を必要する学校が数多く存在します。これらの状況を掌握するために、教育局という地元行政機関と調整します。教育局は中央からの出先機関のため、必ずしも現地の人たちの意見を反映しているとも限りません。したがって、それぞれの市町村の評議会にも赴き、現地の要望も聴取します。また、ムサンナー県に派遣されているオランダやUNHABITAT(国連人間居住計画)といった国際機関も既に学校補修を進めているので、競合を避けるためにこれらの機関の補修計画、進捗状況も把握しなければなりません。さらに、支援が一つの地域に偏るのは、不公平感を生じさせる原因となるので、その他の支援活動を実施している地域とのバランスも考慮します。当然、実際に学校を偵察し、現状を確認することも必要です。

 このようなことを総合的に判断して、どの学校からどのように補修していくかを決定していきます。補修を必要とする学校は数多くあるので、地元の建設業者を活用することになりますが、この建設業者を選定する際も、作業内容、期間等を提示した入札を行って資源の効率的活用及び公正性の確保を図っています。そしていざ、選定された業者による補修工事が開始されたならば、この道のプロである施設隊の隊員が、作業のアドバイスや、計画通り進捗しているかどうか、現場を確認に回ります。このような要領により、現地雇用を創出し、より多くの学校をより早く補修することができます。補修作業が終了した学校では、引渡しの行事が行われるのですが、行事に集まった生徒たちとサッカーをしたり、剣玉で遊んだりしました。このときの子供たちの嬉しそうな笑顔がとても印象に残っています。これまでのPKOは、作業を行う自衛隊の隊員や車両を現地の人々がその傍らで見ているという感じでしたが、イラクでは、文字通り現地の人々とともに汗を流しながら、復興支援活動を行っているのです。

第7師団創立記念パレードにて

 今後の展望ですが、復興を加速させるためには、国際機関、民間組織からの大規模な支援が必要不可欠です。しかし、残念ながら治安の安定は進んでいない状況にあります。一部に多国籍軍が撤退すれば治安は回復するという論調もありますが、治安を乱しているのは犯罪組織であり、もし治安維持のシステムが崩壊すれば、かつてのアフガニスタンのような状態に陥る可能性があります。果たしてこのような状態が本当にイラクの人々に幸せをもたらすことになるのか疑問です。今後とも世界の各国が協力して、また官民が一体となって、粘り強く支援を継続していくしかないものと思われます。平穏なサマーワがイラク復興のモデルケースになり、最終的にはイラク全土の人々が平和と繁栄を享受することを願ってやみません。

 終わりに、このような投稿の機会を与えていただいたことに感謝申し上げるとともに、朝日高校の職員、卒業生の皆様、そしてご家族の皆様のご健勝をお祈り申し上げまして近況報告の結びとさせていただきます。

 
 
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト