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仕事机の前で |
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近 況
小川 洋子
朝日高校在学中は、弓道部でお世話になり、吉備津神社へ試合に行ったことや、夏休みに学校の食堂の2階で合宿をしたことなど、懐かしく思い出されます。校庭の片隅にあった弓道場は、今はどうなっているのでしょうか。すぐ脇に、藻の浮いたプールがあり、周囲は緑に囲まれて、とても心落ち着く静かな場所でした。朝日高校を思う時、胸に浮かぶのはいつも、あの弓道場です。
もう一つ心に残っているのは、図書室です。朝日の図書室で出会った数多くの本たち(万葉集や大江健三郎や太宰治やガルシア・マルケスやカフカや川端康成や辻邦生や立原道造や……)は、今でも私の財産になっています。図書室の窓際に座り、体育館から響いてくるバスケット部の練習の声を聞きながら本を読む時間が、何よりの喜びでした。
卒業後は、早稲田大学の文学部文芸科へ進み、小説の創作を学びました。この頃から少しずつ小説を書きはじめ、同人誌を作ったり、文芸誌の新人賞に応募したりしていましたが、評価されることは全くありませんでした。
大学を出てからは岡山へ戻り、川崎医大にしばらく勤務したのち、結婚して倉敷に落ち着きました。1988年、運良く海燕新人賞をいただくことができ、以降、今日までずっと、執念深く小説を書き続けております。
振りかえってみると、ただただ毎日、ひたすらに小説を書いてきた、としか言いようがありません。いい小説を書きたい、という願いだけが支えです。そしてそのことを、とても幸せに感じています。
仕事机に座っている写真は、同じ55年卒業で、現在は山陽新聞の記者をしている、太田隆之さんに撮ってもらったものです。高校時代は、同じクラスになったことがなかったのですが、お互い社会人になってから、仕事の関係で何度か顔を合わせるようになりました。同級生、というだけで心強く、いつも励ましてもらっています。
また、先日大阪でサイン会をした折にも、同窓の方がいらして下さり、3月にあったホームカミングディの様子など、教えていただきました。日本史でお世話になった、後神先生のお話も出て、懐かしい気持で一杯になりました。
子供の頃から、小説を書いて生きてゆきたい、というのが私の夢でした。初めての自分の本が書店に並んだ時の感動は、今でも忘れられません。もしかしたら、朝日高校の図書室に、私の本は並んでいるのだろうか、とふと考えます。もしそうだとしたら、何と素晴らしいことでしょう。私の小説を必要としてくれる高校生が、私の本に手をのばしている姿を想像すると、それだけで書く勇気がわいてきます。
母校のために何のお役にも立てていない私ですが、いつでも、朝日高校のますますの発展をお祈りいたしております。 |
現在の朝日高校弓道場・プール・図書館 |
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弓道場 入り口 |
弓道場 射場 |
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今は使われていないプール |
図書館 |
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