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メディアに登場したホットな同窓生をご紹介(敬称略)

山本 秀也 (昭和 55年卒) 「本当の中国を知っていますか?」


中国報道の原点

産経新聞外信部次長 山本秀也(昭和55年卒)

 いま思えば昭和という元号は甚だ使い勝手がよろしく、25年の足し引きで西暦の末尾2ケタとたやすく換算できましたね。昭和55年3月卒の仲間400余人は1980年代の訪れとともに高校を巣立った訳で、どこでどんな人生を歩んでいても八〇年代の世相と無関係に生きてはいないような気がします。操山の麓を巣立ってちょうど10年後、すなわち90年前後に国内外で相次いで起きたバブル経済の崩壊や東西冷戦の終結といった大きな変化はまだ想像すらできず、戦後型の古い枠組みが(よくも悪くも)まだ機能していた中で、それなりに恵まれた青春時代を過ごすことができたのが私たちの卒業年次といえましょう。

拙著と小生の写真

北京でイラク戦争反
対を叫ぶ中国人学生
(2003年3月)

いずこも帰省ラッシュの
辛さは同じ 北京駅で
(2003年旧正月)

祖霊を祭るのは中国の
伝統。浙江省奉化に残
る蒋介石旧居の霊廟
情報隠しも中国の伝統?
新型肺炎(SARS)騒ぎの
最中、真相不明のまま開
かれたWHO調査チーム
の記者会見(2003年4
月、北京のWHO事務所)

 それだけに、高校卒業と同じ年の秋、北京の学校に進むために渡った中国大陸の光景は、私に鮮烈な印象を与えてくれました。腹を空かせて国営食堂に入れば「食糧配給券は?」と聞かれ、覚えたての中国語で「配給券ないんだけどメシが食べたい」とまず申告しないと始まりません(当時の中国は食糧配給制。一般食堂での外食には現金のほか配給券が必要だった)。学生寮のテレビ室に恭しく置かれていた中国製白黒テレビをつけると、折からの四人組裁判(プロレタリア文化大革命の首謀者に対する政治公判)が延々と中継され、被告の江青女史(毛沢東夫人)がキンキン声でわめきたてている、という具合で万事勝手が違っていました。

 若造の私が目にした光景は、中国が文革に代表される極左イデオロギーの時代を脱して、ケ小平のリーダーシップの下で経済重視に路線転換する大きな渦の断片だった訳で、新しい時代のうねりと古い制度の遺物とが同居していたのですね。この80年代初期の空気を直に吸うことができたのは、後に北京特派員(1998‐2003年)として中国報道にあたるうえで大きな財産になりました。北京のほかシンガポール、台北、香港に駐在した経験も加味して、現代中国への自分なりの視点をまとめて「本当の中国を知っていますか?―農村、エイズ、環境、司法」(草思社)を今春上梓しましたが、どこまで「本当の中国」に迫ることができたかはともかく、既存の中国報道の枠にとらわれない視点を提供することはできたのかな、とそこだけは自負しています。このコーナーにも登場した昭和55年卒の星、小川洋子先生の作品のように心温まる読後感想はまったくお約束しませんが、中国や台湾問題に関心のある方にはお薦め致します。年末には中国語訳も出版されます。

 中国談義は拙著に譲るとして、高校時代のあの自由な校風と自学自習を尊ぶ姿勢が、不惑を過ぎたいまも仕事の背骨になっていると感じるのは、決して私一人ではないと思います。海外で活躍する本校の同窓生はあまたいるにもかかわらず、中国大陸で「あなたも朝日で」と驚きの声を上げる機会が他の任地に比べてことのほか多かったことを思い出すと、あの国の荒っぽいエネルギーが案外、わが母校の校風に通じていることの証左かも知れません。

 
 
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト