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メディアに登場したホットな同窓生をご紹介(敬称略)

篠原 真祐 (昭和59年卒) 


児童らの等身大写真展覧会(岡山中央南小閉校記念に)


2002年作品「PAPER PEOPLE 1」
(個展来場者を撮影、クリアフィルムに等身大プリントしたものを2m×9mのライトボックス前に吊して行く。日毎、写真は増殖する)

謹啓
 朝日校同窓の皆様に於かれましては益々ご清祥のことと存じます。昭和59年卒業の篠原真祐と申します。京都・南禅寺の専門道場にて10年ほど修業後、現在は西川沿い、旧国道2号線と交差する辺りの禅寺で副住職を務めております。

肖像 (撮影:クラブ写真館 小山 博氏)

 趣味として中学の頃から写真を撮ってきました。高校時代は勿論写真部にも所属していました。うどん小屋にあった暗室の、あの酸っぱい臭いが懐かしく思い出されます。今も相変わらず撮影していまして、数年前からは、本人と同じサイズ、即ち等身大の写真を使った活動を展開しています。きっかけは平成14年の「おかやまパリ祭」で、等身大のプリクラ屋を出店したことです。巨大写真が1時間前後で、しかもたったの千円でもらえるということから大人気となりました。以降、等身大の写真を使った作品を発表、それらを足掛かりに人権問題のイベントや岡山市の文化事業等に係わらせていただいております。
 等身大写真の醍醐味はなんと言っても「実物」サイズのリアリティでしょう。撮る側と撮られる側とのコミュニケーションがとてもダイナミックになりますので、自ずから活き活きとした作品となります。以前家族写真をお作りした方から、「空き巣に入られ部屋中を荒らされたが、壁に貼った等身大写真にびっくりしたのか、全て(写真の)前に放り出して逃げていた」と感謝されたことがあるほどです。

 写真のことばかりお話ししていますから「坊さんの道楽話か」とお思いの方もいらっしゃるのでは?確かに道楽でしょう。マスコミからも「坊さんがデジタル写真!?」といったコントラストの報道を幾度も受けました。ですが私は、これも方便の一つだと考えています。
 仏教とは本来「今を、どう生きるか」を説く、生きた人々のための教えでもあるのですが、葬式仏教と言われるように、日本の仏教は、先祖崇拝や自然に対する畏怖を充足させることに偏重しすぎたのではないでしょうか? 先祖供養はとても大事なことではありますが、江戸時代に幕府の思惑から生まれた檀家制度に少々あぐらをかきすぎたような気がしています。(勿論、全ての寺院がそうでだと云うわけではないのですが・・・)

会場全景

 遥か昔、寺院は様々な点でコミュニティの中核を成していました。人々が行き交い、安らぎを得て行く中、文化が生まれました。能・茶・花・庭園などの開花した東山時代や五山文学もその一例でしょう。元々音楽や芸術は宗教を基盤として発展してきた経緯があります。僧侶が言葉や筆を使って説法してきたように、私はカメラを手にしているのです。抹香臭くなくても、人々が安らいだらそれで充分だと思っています。「目指せ、生臭坊主!」といったところでしょうか。

 さて、平成17年2月、表町のギャラリー「すろおが463」に於きまして「学びの庭は我らが誇り」と名付けた等身大写真インスタレーション展を開きましたのでご報告致します。
 これは岡山中央南小学校の閉校を記念して執り行いました。ご存じの方も多いと思いますが、中央南小学校は岡山市街地の幾つかの小学校を統合して、中央小学校という一つの学校にまとめるまでの4年間、暫定的に存在した小学校です。内山下小と深柢小、それに出石小の一部児童が、中山下の旧深柢小校舎に通いました。これらはいずれもかつてのマンモス校で、朝日高校以上に歴史の古い学校もあります。皆様の中にもご出身の方が多数いらっしゃることでしょう。私自身、深柢小の出身なのですが、母校がなくなるというのは想像以上に寂しい出来事でした。これで私の通った幼稚園から中学校まで全部なくなりました。高校は校舎が建て替えられていますね。立派になるのですから喜ぶべきですが、これまた少々寂しくもあります。  

等身大写真

  岡山中央南小学校はとても寛容でのびのびとした、素晴らしい校風でした。私は数年前から、友人たちと「アートで盛りあげ隊」なるものを結成、地域のコミュニケーションや情操教育にアートの力を活用しようという活動を行っていました。 特に地域のつながりの希薄な都心部の学校ということで同校には色々と持ち寄り、NHK「ドレミノテレビ」等で活躍中の山口とも氏による「廃品打楽器ワークショップ」等を開催させて頂きました。等身大写真も6年生を3年前から撮影、タペストリーにしたものが卒業記念品となりました。
 今回は閉校ということで、1年生から6年生まで全員、また、中央南小学校一期生に当たる中学3年生も撮影する運びとなりました。11月中旬より学校内に設けたスタジオに毎日通うこと約1ヶ月、総数266名、撮影カット数は5500枚に上りました。中央南小に通った9学年分の児童全員と写真を通じて知り合ったことになります。
 その後、各人にコンタクトプリントを配り、等身大に伸ばす写真を本人に決めてもらい、それをポリプロピレン製のロール紙に大型顔料インクジェットプリンターで実物大にプリント、各自の名前も打ち込みます。上下にバーをつけてタペストリーにします。子供たちと同じ身長の、今しか残せない写真が次々と出来上がって行きました。

装置クローズアップ

 かねてより、アートによる活動を小学校から地域全体に発展させたいと考えていましたので、出来上がった可愛い写真たちを広く皆様にお見せすることにしました。準備期間が短くて厳しい状況でしたが、岡山市の後押しも頂いて、無事開催の運びとなったのです。
 場所は学区内のギャラリーに決めたのですが、等身大写真をまともに並べたのでは岡山ドームですら入りきるかどうか解りませんから、何か工夫をする必要がありました。そして「大きな写真が動くと面白いだろうな・・・」そう思ってイメージしたのがファッションショーのあの舞台です。
 カーテンレールを利用して上から吊り下げ、約6メートルの間を手前に向かって滑らせることにしました。レールには少し傾斜をつけていますが、それだけでは動きませんから扇風機を10台設置して、凧のように風の力で動かすことにしました。まるで図画工作ですね。後ろの壁には、小学校の点景をプロジェクターで投影しました。 

今展覧会のポスター

 今回の展示は閉校記念展なのに、学校の景色はバックにぼんやりと見え隠れするだけで、あくまでも主体は子供たちの元気な写真です。思うに、本当の母校というのは子供たちの心の中にあるのではないでしょうか?小学校という物体はなくなるけれども、子供の数だけ、中央南小学校は今なお存在しているように思います。彼らが生きている限り、同校は在り続けるのです。この春、とても立派な岡山市立岡山中央小学校が開校しました。中央南と中央北の各小学校から子供たちが移るわけですから、これからも脈々と、母校の伝統は受け継がれて行くものと期待しています。

 おかげさまで「学びの庭は我らが誇り」展は大成功、短い期間にも拘わらず大勢の方にご覧頂きました。特に嬉しかったことは、毎日通ったり、一日中見入って帰らなかった子供たちがいたことです。彼らの心の中に、物質的でない価値観を見出す、何某かのお手伝いが出来たのかなあと、実感しています。

 蛇足ですが、「あいうえおんがく」という団体名で、自坊の蔭凉寺を中心とした様々なジャンルの音楽会も開いていますので、興味のある方は inryoji@mac.comまでお問い合わせくださいませ。
 もちろん、等身大写真に関するお問い合わせも歓迎致します。  合掌。

 

 
 
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト