ミニ同期会フォトアルバム ● 母校創立130周年記念 ●

Home-coming とは、同窓会で母校を訪問することです
平成16年3月27日(土)に母校創立130周年のオープニングとして岡山朝日高校ホームカミングデイを開催

母 校 回 遊
ミ ニ 同 期 会 13:00〜16:00  昭和40年卒〜49年卒

昭和26年卒〜38年卒 昭和40年卒〜49年卒 昭和50年卒〜61年卒 平成01年卒〜13年卒

昭和40年卒



山陽新聞社提供

 (記事は山陽新聞社の了承を得て公開しています)

 今回のホームカミングデイでは、毎年恒例で開催している総会等とは違う感動をたくさん覚えました。

 この日、東京、大阪や金沢からも同級生が駆けつけてくれ、久しぶりに会いました。ところが会ったとたん、すぐに高校生時代にタイムスリップしてしまいました。
 外のベンチでおしゃべりをしながら、「私たちの頃はこんな素敵な場所はなかったよね。」などと、話していると、新聞記者の方が来られてスナップ写真をとられました。なんと、このときの写真が翌日の山陽新聞に掲載されたのです。
 
 大講堂での朝日高等学校校歌の大合唱、中山先生と共に力いっぱい歌いました。特に「〜昇る日の名に負う朝日朝日〜」の部分では、とても勇気づけられました。昇る日とともにいつまでも夢と希望をもって生きていこうという気持ちが湧いてきます。
皆と別れがたく例によって、二次会・三次会と大いに盛り上がり、来る9月19日・20日の40周年同期会での再会を期して家路につきました。
 
吉村淳子

昭和43年卒

3時間目が終わるとたまらず駆け込んだあの「うどん小屋」。昭和30年、40年代の卒業生にとって、この言葉の響とシンプルなようで実は奥行きのある当時の「うどん小屋」の味と香りにこみ上げる懐かしさを覚える人は少なくないのではないでしょうか。

1月3日に28名が集まった際、3月のホームカミングデーでは何をするかという話になり、検討の結果、ここは「寄ってみん会」らしく是非あの懐かしいうどん小屋を再現しようというアイデアが全員一致で決まりました。本番までに試食会や打ち合わせなどを重ね、煮干の効いたダシ、向こうが透けて見えるほど超ヒラヒラのかまぼこのことなど想い出話に花を咲かせました。

ホームカミングデーの当日、準備した250食は2時間余りで完売の大盛況。活気あふれる調理グループ、深夜に及ぶのれんの作成、工夫を凝らしたHPへの宣伝など、わが「寄ってみん会」女性チーム各人の奮闘があればこその目標達成でした。三光荘での二次会の盛り上がりは激しく、冷たいビールは格別の美味しさでした。

またの機会があれば私たちの「うどん」を召しあがれ。
この「うどん」は絶対にうまい。
 
藤井進正

昭和45年卒

45卒のホームカミングデイ
 私達45卒は2000年に全体の同窓会をして(小さな集まりは数知れずですが)以来の集合となりました。
昼間の同期会については、45卒のHPにリンクしていただくと写真や集合した人の顔や名前が出ていますのでここでは省略。

 さて、夜の部は30名位で同級生の店に押しかけました。
幸いその同級生の担任の藤原明美先生に来ていただくことができ、皆、年令を忘れて昔にタイムスリップしていました。
藤原先生が一足先に退席されたときには、「ものごとの本質をはずさないように」といったようなお話をされましたが、高校のときに聞いていたような顔で真剣に頷いていました。
 これで終わらないのが45卒。明くる日にはフランスからわざわざ帰ってくれた友を囲み、また有志で操山を登るというようにいろんな楽しみ方をしました。
 当初は戸惑ったHCDでしたが、終わってみれば、計画していただいてよかったと心からお礼を申し上げたいです。
皆様ありがとうございました。

畠瀬 真治


昭和46年卒

 ちょうど10年前の母校創立120周年の時から、同窓会に当番学年の担当が決まった。6の付く学年であったため、46年卒業のわれわれの学年が主として総会後の懇親会司会・アトラクションの企画、そして同窓会会報「朝日」の編集発行を手がけた。創刊号はA4番で仮称「同窓会新聞}であり現在の会報の原型となっている。
 同期会も10年前の夏盛大に行われ、その後、卒業30年記念の年は21世紀最初の年に、朝日・操山・大安寺合同の同期会も開催した。

その後、当番学年制が継承され今年がちょうど10年目に当たる。
今回は6の当番学年がホームカミングデイ担当になり、10年前に主となったわれわれに替わり、10年後輩の昭和56年卒がメインとなって裏方を引き受けてくれた。深く感謝申し上げる。10年後は、平成3年卒の学年に頑張ってもらうよう期待している。

階段校舎と呼ばれる教室棟の第1期生となったわれわれは、50歳を超え、世の盛衰を肌で感じ、わが身に降りかかる災難に現在立ち向かっている年代となった。教室の黒板に書かれた懐かしい名前、日頃見ることはない穏やかな顔、青春のごくわずかの高校生活を通じて養われた友情。
3月27日は久しぶりに高校時代に返って、わが人生を見つめる良い機会となった。2次会は国際ホテルに40数名の参加者で近況報告をし合い、和気藹々と過ごし、散会した。その後午前様になったグループもあったようだ。

光畑 俊行

昭和47年卒

懐かしい顔ぶれがあつまりました。
毎年、夏には同窓会をしていますが今回のホームカミングデイに東京、名古屋、大阪から帰ってきてくれました。

辻先生の授業を聞きました。みんな、狭苦しい学校机にちょこんと座って真剣(?)な目で。なんだか不思議な気分でした。
辻先生が戦争体験のはなしを始めます。そういえば昔から先生は授業を脱線させ、戦争のはなしをしていたのを思い出します。
全員、感激です。授業の終わりに一人一人が先生の授業の感想を言いました。

こんな体験はこれで最後なのでしょうか?次にあるとしたらいつなのでしょうか?
みんなあっという間に昔の学生時代に戻っています。

講堂で校歌を歌いました。十分、満喫。今度の夏の集まりにはもう一度辻先生をお呼びしたいとみんなの声。同窓会ていいですね。

竹原 利彦

昭和48年卒

 48卒の目玉企画は後神先生の再現授業。108席の第1社会科教室は立ち見もでる大盛況だった。
「教師は記憶力が落ちたら終わりです。」と、18年ぶりの教壇に前置きをされての開始だったが、朝日高校開学の歴史を解かれて、明治の年号と人名が次々と飛び出す。記憶力の崩壊に諦めさえ感じている私は“やっぱりすごい!”、 昔と同じ羨望と嫉妬を感じた。懐かしい時間、懐かしい教室の空気に参加者一同胸を熱くしたに違いない。先生、参加者の皆さん有難うございました。

 同期30名は、全イベント終了後市内に出て2、3、4次会と再会を喜び、別れを惜しんだ。
京浜から6名はじめ、県外や初の参加者も多く3月の同期会も良いものだ。
校内でも旧知の方が同窓生と分かったり、ふとした縁で知り合いが出来たりと、学年を超えた展開になったのは私ばかりではないだろう。

 懐かしさと共に新しい交流の始まりと、朝日高校、同窓会の新時代を感じた1日だった。
 
湯浅 宣子





 
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト