● ワールドリレー ●

世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)

中村 明彦 (昭和41年卒) <いと面白きことシリーズ・抜粋>
1.10/1/00 記(Indianapolis, IN在住時代)
Apartment,Indianapolis

皆さんお元気のこととご推察いたします。
季節の移り変わりは早いものですね。特に今年はその感を禁じ得ません。
従前、最も長い米国滞在期間は業務出張の二週間でした。今は住人としてそれとは比較にならない長さを更新中です。区切りとしての Second Millennium の2月7日、第一歩を踏み出して以来8ヶ月間という月日がまさに経とうとしています。
五大湖からの厳しい風が、駐車場までのわずか10mほどではあるにせよ実際の気温、−15℃より更にそれ以下を否応なしに感じさせた2月の寒さ。そしてそれを埋めるに余りある芽吹きの5月。気温は高くとも湿気の汗とは無縁の夏、とここMid-West は色々な顔を私達新参者に見せてくれました。
今日は既に10月の1日、自然はこの広大な平原にも秋の峠、そして冬への支度を告げています。吐息の白さを僅かながらも認めたのは一週間ほど前の早朝だったでしょうか。太陽も釣瓶落しにその西への脚を早めて来ており、今日は6時が日没です。昼間の太陽がその長さにおいて、夜の帳からその主役を取り戻すにはこの先8ヶ月間を要することでしょう。
6時前後の退社時刻、眼と同じ高さでこちらを睨む太陽のため車のサンバイザ−がまったく用を為さないこともこの頃の新たな発見です。この時ばかりは、日頃はうっとうしい大型トラックのその影が身代わりとして頼もしく映るのも、考えてみれば身勝手なものです。
今日は微風が心地良い穏やかな秋晴れの72度F(22℃)です。


2.12/29/00記(Indianapolis, INからNew Orleans, LAへのドライブ)

もうすぐ新年、21世紀ですね。
当方にとって今年は、人それぞれの人生に何回かはあるであろう節目、転機のひとつでありました。
日本では正月をそろそろ迎えるのですね。買い物、大掃除、年賀状書き etc. で色々忙しい時期でしょう。
New Orleans, LA

当方の方は、正月とはほとんど無縁の一月になりそうです。休みも1月1日だけで2日からはまったくの通常の勤務となります。何だかちょっと拍子抜けみたいな感じになりそうです。でもその分、クリスマスが長いですね。11月初めからツリ−を飾っている所があったり、あるいはホテルのフロントからレストランの従業員、はてはス−パ−のキャッシャ−に至るまでサンタのコスチュ−ムを身に付けていました。
女性でもサンタの服装をしているので正直言ってこれには驚きました。率直に言えば “エ−? 女のサンタ!? ” 、 “ こんなん有り・・・!? ” でした。
ここ Indiana はカソリック系クリスチャンが多くクリスマスを楽しみ、且つそれを重要な行事として位置付けている、というのが良く分るような気がします。
23日からの休暇を利用してNew Orleans, LA で“避寒”して来ました。
 Indianapolis ←→ New Orleans の場合飛行機で行く人の方が多分多いとは思いますが今回は費用節約のため車でした。往復の走行距離は2100でしたから km 換算すれば3300km走った、ということになります。
因みに旅程は、Indianapolis → Illinois 州 → Missouri 州 → Arkansas 州 → Memphis, TN (泊)→ New Orleans, LA でした。 Indiana から New Orleans まで16時間掛かりました。
途中各地でアメリカの色々な顔を見ることが出来ました。冬と夏が同居していることは勿論、北と南との畑の作物差異、疲弊しているアメリカ農家、地域別の黒人/白人の比率差異、落ちぶれればとことん落ちぶれる白人、元気のよい中国人 etc.です。そして意識的に Free Way から降りてちょっと垣間見たBirmingham, AL の街。そう、1960年代の対黒人人種差別。その人種差別が最も激しかったDeep South 諸州、その中でも更に激しかったアラバマ州のバ−ミンハム。30余年経った現在黒人と白人がどの様に同居しているのかこの眼で見たかったのです。僅か10分程度の観察でしたが特にこれといったインパクトは感じませんでした。Birmingham の前に立ち寄った昼食用の Burger King の場所がDeep South 州のひとつ Mississippi 州の田舎町でしたがここでも同様でした。あの頃過激であった中年は引退し、世代交替、時の流れがそれを解決したのでしょうか。


3.9/11/01(WTC消滅)

大変なことが起きましたね。今朝からテレビ各社はずっとこのNEWSを流しています。当社の米人達は仕事が手についていなかった様です。
WTC は当方にとっては懐かしくテレビに映っていた放送用アンテナのある吹きさらしの屋上まで上ったことがあります。確か1997年のことだったと思います。そのビルが、しかも2ツ同時に眼前から消えてしまうなんて驚きを通り越して中々信じられません。
悲惨ではありますが、不思議なことにその一方で一般人も政治家もこのテロの背景を誰も論じていないことです。ただ、テロだ、テロには断固とした対応だ、いやこれは宣戦布告だ、と騒いでいるだけです。日本人の考え方と相当な乖離が見受けられる様です。背景を冷静に見つめればイズラエルに兵器を供給し続ける限りアメリカは常にパレスチナの標的になってもおかしくはありません。アメリカはイギリスと同様に中東、中近東における石油利権の維持のため同地域に親米政権を必要としそのために従来からの住民であるパレスチナに武力で侵略し、加えて米国経済に非常に大きい影響力を持っているのはユダヤ資本である限り彼等からの反撃、抵抗は止まないことは必至でしょう。
旧約聖書によればその土地はユダヤのものであった、と言う理由でそれまで平穏に生活を営んでいたパレスチナの人達を第二次大戦後の近代世界において尚武力で侵略し追い出したユダヤ(イズラエル)にアメリカが兵器を供給する限りこの動きは止らない様に思えます。歴史的事実、背景から考えればこれは“Terro”ではなく“Resistance”と表現すべきではないか、と当方は思っています。
何が“正義”で、何が“邪”なんでしょうか。今回の事件では表の事実と同時に背景も考える良い機会の様に思えます。
この様な議論が何故アメリカ国内で一切起きてこないのか、不思議です。決して I'm sorry. と言わないアメリカ人の驕りなんでしょうかね。日本人の様に“相手の立場に立って考える”と言う習慣はこの国では期待すべきではないのかもしれません。

Horse Back Riding Grand Teton Nat’l Pk

4.6/22/02(生活習慣の違い)

@ 玄関
 勿論どの家にも玄関は当たり前に付いています。帰宅すれば玄関から入る、というのが世の常識かと思います。でもここアメリカは違います。玄関を使うということは日常的にはありません。
では何処から入るのか?。Garage から入ります。移動はすべて車でのそれであり、家に着けば電磁波スイッチにより乗車したままGarage を開けます。Garage内で車を降りその内部に設けられてあるドアーから直接屋内に入ります。その方が便利だからです。従って玄関から入ると言う機会はないこととなります。余程特別な事情でもない限り玄関を使うことはありません。
因みに当方はここへ移り住んで七ヶ月になりますがまだ玄関から一度も入ったことがありません。
A
 ともかく部屋へ入るために−日本人ならば−靴を脱ぎますネ。でもアメリカ人は殆どの場合靴は脱がずそのまま部屋へ入ります。床がカーペットであろうとフロ−ティングであろうと。脱ぐのは就寝時です。
その時彼等はベッドの回りに放り投げます。きちんと置く、とうことはあまりしない様です。日本人から見ればだらしなく映ります。裸足で家を歩くこともあります。あるいはカーペットの上に座ったり、寝転がったりもします。先ほどまで土足の靴で歩いていたその場所にです。やはり彼等は狩猟民族なのでしょうね。
では下駄箱は無いのか!?、となりますと答えは「無し」となります。大体は Garage の隅っこに置いた箱の中に適当に入れています。あるいは Closet(日本で言えば洋服ダンスみたいな物)に靴立てを置きそこに沢山の靴を掛けておきます。信じられますか、服やタオルやハンカチなどを収納している場所、勿論洋服ダンスの数倍の広さがあるとはいうもののそこに靴を置いておくのですから。やはり獣民族と考えざるを得ません。
B ビールの飲み方
 先ず瓶サイズに付き解説すれば全て小瓶です。日本の様な500ccとか 633cc の様な大きな容量の瓶はありません。もしあるとすれば日本からの輸入ビールか、日本メーカーの現地法人の製造物件でしょう。小瓶であるが故でしょう通常はそのままラッパ飲みをします。その理由は?、と言えば面倒くさくなくて良い。ただそれだけです。コップを洗わなくても済みますしね。店によってはビールと一緒にグラスを持って来たり、ビール瓶だけであったり、あるいはグラスは要りますか?と聞かれたり色々です。アメリカには Lady は基本的に居ませんがそれに近い女性でもそのまま飲みます。これがここでの習慣です。
日本でコークをラッパのみしている人を見て奇異に思いますか?。そうは思わないでしょう!。それと一緒のことです。因みに当方はグラスを使いません。深く考えたことはありません。極普通と思っていますから。もし敢えて理由を問われたら、ウーン、そうですね、面倒くさいから、でしょうか。
C 子供の自由度
 日本の子供は本当に自由ですね。アメリカの子供達と比較すれば行動範囲は広く、一旦家を出れば何をしているのか見当もつかないこともままあるかと思います。夜遅くの帰宅もあるでしょうし。
でもここアメリカの子供達はそうしたくとも出来ません。と、言うのはアメリカには電車の様な通学手段はありませんから。加えて殆どの州では12歳以下の子供の単独行動を法で禁止しています。必ず親権者、あるいはその代行者の同伴を義務付け子供だけでの単独行動は法で禁止されています。
そのこともあり通学はSchool Bus とか親の運転での送迎となります。家から学校まで歩いていける距離でもありませんし。学校が終われば通学したのと同じ手段で帰宅せざるを得ないこととなります。
途中寄り道でもしようものならば帰宅の手段は最早あり得ないこととなります。結局家から自由に出る手段はなく、出掛けても精々家の周りだけとなってしまいます。まさに籠の鳥ですね。車の免許を取得出来る16歳まで伝書鳩的生活となります。
D 結婚
 New York City とか LA あるいは Chicago の様な都会は別として平均的規模の町に住む人々は本当に早く結婚します。20歳で結婚なんて珍しくもありません。子供が一人、二人いるのが当たり前です。40代で孫を持ったって驚くにも値しません。
では何故そんなに早く急いで結婚するのか?。家に居ても毎日親の顔を見るだけで面白くもなにもない。楽しみもない。外出する時はいつも親と一緒。親の車でないと外出する手段もなし。早く家を出て自活したい。でも高学歴でもなし、自分だけでは生活出来ないし・・。そのための手段が結婚です。
結婚して Double Income で生計を立てる訳です。
現行勤務の会社の Worker は無論のこと、我が Sales 部門にも20歳前半の女性がいますが全員子供持ちです。でも亭主がいるかどうかは不明です。くっつくのも早ければ離れるのも早い。この国で我慢は罪悪ですから。何故我慢し、苦しみに耐えねばならないのか!。苦しみに耐えて成長する、と言うのは日本式考え方。苦しんで当てにならない未来よりは“快適な”今を追及するのが彼等の価値観です。分かるような気もしますが詰まる所離婚率50%が存在する所以です。
E 返品
このアメリカでは消費者優先が貫かれています。その一つが返品制度に現れています。
日本でも勿論返品は認められていますが、開封したら無効とか結構条件がキツイかと思います。
こちらでは開封していようがいまいが返品自由です。領収書さえ持っていけば、且つ購入後二週間以内ならば何でも返品自由です。店には必ず返品を取り扱うコーナーが必ずあるくらいです。
これを“悪用”すれば面白いことも出来ます。例えば、明日お客さんが来て食事をするのだがコップとかお皿が足りない場合、あるいは書類をコピーしたいのだがプリンターがない、と言った場合必要な物を一旦買って使用し、それが済めば返品と言うことが可能となります。大工道具だって日曜大工に使った後に「これは使い勝手が悪い」、別にそんな理由は要らないのですが、という理由で返品も勿論可能です。箱を壊していようが、封を破っていようが、使っていようが、いまいがお構いなしです。
当方も一・二度ある物を買って試しに使ってみればもう一つしっくりとこなかった為返品したこともあります。
引き取られた物品はメーカーが引き取り再包装して中古品としてその市場に販売します。この様な品物は所謂 out-let と称される店で売られることとなります。

Halloween in Company Mile Bridge for Key West, FL

5.2/23/03(Freezing Rain)

皆さん、こんにちは。
日本ではそろそろ三寒四温の響きが実感される様な時節の到来となって来たのではないでしょうか。
さて今回はさすが大陸、アメリカではなかろうかの光景、自然現象をご紹介しましょう。
シャンデリア

先日は家の中に居ながらにして Winter Camp していました。Winter Camp ?、家の中で?、を具体的にご説明すれば屋内温度が38F(+3℃)、真っ暗闇の4日間でした。電気の供給が止ってしまったのです。その結果当然なことには電灯は言うに及ばずヒーター、冷蔵庫に至る全ての電気機器が作動停止してしまいました。
ここアメリカはガスエネルギーよりはむしろ電力エネルギーを圧倒的に利用していますからたまりません。
文明が止ってしまったと言っても決して過言ではないでしょう。家内の日本への里帰りの前日でした。3日間暗闇での一人の生活は孤独でした。TV は勿論、本も読めず、PCの前にも座れず、ロウソクでの食事を済ませばそそくさとBedにもぐり込みました。まあそういう意味では健康的であったかもしれませんがね。
遡ってご説明すれば2月のとある日曜日、昼前から何度か電気が瞬停を起していました。不吉な予感がして来ました。実はその前日の土曜日夜から Freezing Rain となっていたからです。Freezing Rain?、日本では聞き慣れないこの Freezing Rain(FR) を辞書的に直訳すれば凍った雨となります。でも凍った雨であればわざわざ FRと表現なんかせず IceあるいはHail と言えば良い訳です。ではどの様なものかと言えば、雨、液体には違いないのです。但し、通常の雨と異なる点は地表面、あるいは屋根、車等何等の構造物にでも衝突した瞬間に凍てついてしまうのです。液体である雨は何かに当たればそのまま下方へ流れ落ちてしまう筈なのですがこの FR の場合は瞬間的に固体へと相変換してしまいます。またそれが継続している間、その凍結は積層して行きます。その時の気温(勿論氷点下が絶対条件となりますが)、風速、湿度等の各条件が揃った時にそうなる様です。
この FR がもたらす木々の外観は樹氷と表現して差し支えないかと思います。でもこの樹氷は枝に積もった雪が解けかけて再度凍る類のものではありません。瞬間的な相変換がもたらすものです。こちらではその様な自然現象を街中の平地で観察することが出来ます。
樹氷

この樹氷、言葉は美しく響きますがここアメリカの住宅街の様に木々が多い環境ではすこぶる悪さをします。木々の枝全てに亘り氷が成長しているためその重さに耐え切れず枝が折れてしまうのです。
数日間に亘り家の周囲ではメキメキ、ビシッ、バリバリと枝が、時には幹そのものも折れる音が絶えませんでした。当方の隣家ではざっと見で直径約20cmの木が幹ごと折れてしまいました。この折れた木々が地面に落ちればその氷と地面上に張り付いた氷とが合体し人力で引っ張ってもうんともすんともなりません。交通は遮断されます。また当然の帰結として落下途中に民家への引込み用電線、電話線を寸断してしまいます。電線が少々束ねてあっても何のその、相手は氷で武装したヘビー級の猛者です。お構いなしに切りまくります。この光景をカメラに収めている間にも反対隣家の裏庭の太い枝が折れあっ、と思った瞬間二本のワイヤ−を切断してしまいました。

道路にはすべて一面に亘って氷が張り付いています。氷の皮膜が形成されているのです。過去新雪あるいはそれが固く張り付いた道路は幾度となく運転しましたが今回の様に氷そのものの道路を運転することは到底不可能です。歩くことも儘なりません。交通事故も至る所で多発したのでしょう、Ambulance のサイレン音の切れ目がありませんでした。
当方が屋外に止めてある車も尋常ではありません。通常ならば車体に霜が付着し、部分的に氷が張り付くのがですがこの時はさすがにそんな生易しいものではありませんでした。切れ目のない透明な一枚の氷で車全体がすっぽりと包まれているのです。透明に凍ってるため遠くから見れば極く日常的外観なのですが。
驚きました。
自然の造形


この FR に伴う電線切断の影響により更なる影響を被りました。恒例のことですが家内はアメリカ出発前に当方の食事を大量に作ります。それは当方の飢えを防ぐ大切な兵糧として冷凍庫に保管されます。これが柔らかくなって来たのです。一大事です。この食料を利用出来ねば我が家の家計に重大な損害を与えます。毎外食すれば三週間の食事代として数百ドルは吹っ飛んでしまうことでしょう。飢えを避けるためにも断固として何らかの対応が必要です。思い立ったら早速行動です。断線三日目に冷蔵庫、冷凍庫に詰めている食料全てを引っ張り出し庭の芝生の上、そこには氷が凍て付き残雪もありますのでそこへそれ等を重ねその上からしっかりとプラスティックの大きな箱をかぶせました。自然の利用と言う点で我ながら感心するアイディアです。加えてこの箱をかぶせたもう一つの目的として裏庭の木に住み付いているリスとの抗争もあります。昨秋裏庭のクルミ、これはリスの冬季の大切な食料だった筈ですが、を奪ったこともありこの時とばかし逆襲を受ける恐れがあったからです。リスが散らし寿司とかお好み焼き、あるいはいもの煮付けの様な物を摂る雑食性かどうかこの際そんなことは深く考えない様にして、上に重み石を置きしっかりと蓋をしました。翌早朝出勤前に触ってみれば凍ってはいませんがしめしめ当方の計画通りそれなりに結構冷えています。さすが我輩!と自画自賛したのも束の間、隣人との会話からその日の予測最高気温は40度(約+4℃)とのこと。ゲツ!、何てこった、この温度は冷蔵庫の温度ではあるが冷凍庫の−10℃以下ではない。当てが外れた、困った。飢えて良いのか!。我が家は破産だ。首をくくらねばならない。考えろ、何か他に方法がある筈だ。電気が欲しい、いや電気はなくても良い、冷凍庫が必要だ。・・・ ウン? 闇夜に灯明あり。思いついた、そうだこれを全部会社に持って行こう。会社のキッチンの冷凍庫は確か十分に余裕があった筈だ。もし既に誰かがそうしていればその時は運の尽き、あきらめて皆にばら蒔こう。Japanese Food として周りからありがとうも言ってもらえるだろう。
会社に到着した途端「Good morning, Aki」、「How are you, Aki」の言葉に引き続き「? ? What's that ?!」、「What happened !?」。間違いなく言われるだろうと想像していれば案の定「??」の台詞。キッチンへ直行し冷凍庫のドアーを開ければ、・・・良かった!。殆ど空。助かった。翌々日、即ち断線5日目の夜に電気が復旧したため家に再び持ち帰った次第。会社に保管中に相当量さばかれたことなんかこの際些細なことです。


6.10/11/03(車を更新)

皆さんごきげんよう。
日本はそろそろ一頃の暑さは過ぎ去り秋の訪れなのでしょうか。なんてったってもう10月ですよね。
当地は10月3日に今年初めての霜でした。屋外に止めてある車の屋根、ガラスが白く凍っていました。数週間は早い様な気がします。
左の Corolla は家内の常用で1.8リッターです。
Sequoia は4.7リッター、V 8 のSUVです。

こちらの友人は9月の末から10月初めにかけての一週間 Montreal、Ottawa からMaple 街道周辺のの紅葉ドライブに出掛けました。往復2,500マイル(≒4,000km)のドライブです。日本の感覚からすれば信じられない距離でしょうね。でもこちらではこの程度は日常的感覚です。加えてカナダの秋はそれを補って余りあるものがあったそうです。

ドライブと言えば当方は“来夏” Wyoming 州の Laramie を計画しています。ドライブ距離はざっと3,00マイル(≒5,000km)程度かな、と予想しています。40年ほど前に流行った TV 番組、ララミー牧場の雰囲気を求めてのドライブです。飾りっ気のない広大な西部にどっぷりと浸るつもりです。
運転は大丈夫か、ですって ?。 多分大丈夫でしょう。疲れたら途中の適当な町のモーテルに転がり込めばいいんですから。 $30〜$40..も出せばどこかに泊まれるでしょう。車も “これからは” 大丈夫の筈です。

今まで乗ってたSUZUKIX L-7 はやはり軽四輪メーカーの車でした。 2.7リッター、V6.エンジンは日本では大きい方に入るのでしょうが、ここはアメリカであることを忘れていました。フリーウエイを120km/hr の速度で20時間走れば悲鳴を上げていました。メカのトラブルにも二度・三度遭遇もしました。で、已む無く更新しました。

ランドクルーザーよりまだ5インチ(≒13cm)も長く
アメリカ人が8人乗っても余裕です。
日本からの来訪者、6人まではOkayですよ。
と、言うことでまあ今後は車には信頼は置けそうです。
試し乗りは11月末のヴァージニア州の Williamsburg(1,000マイル)と年末/年始の Florida(2,500マイル)です。

さていと面白きこと、今回は話題を二点ほどお届けしましょう。
1.結婚式のアメリカ式祝い方。
  先日当社の品証の女性が結婚しました。130人ほどの所帯で決して大きいとは言えませんが部署が異なるために当方は生憎と事前にはそれを知りませんでした。どうしてそれを知り得たかと言えば、その数日前のことになりますが、昼食を摂るべくいつも通りに家内作の弁当を持って Cafeteria に入った所ケーキがテーブル上に置かれていました。はて今日はT.G.I.F.(Thanks God It's Friday)でもなし、何だろうか?、と聞いてみれば誰それさんが今週土曜日に結婚するとのこと。そうかそう言うことか、と分かりました。その様な場合こちらアメリカでは慎ましやかに祝福します。

周囲の気の合った友人が声を掛け合って代表者にお金を渡します。この代表者は決して“集金”には回りません。たまたまそれを知った人達がその代表者にお金を渡すのです。日本の様に半ば強制力はまったくありません。金額ももちろん随意です。数ドル渡す人もいれば$5.あるいは$10.渡す人もいます。またお祝いを渡した人を記録することもありません。
この様にして集まったお金でケーキとか花を買います。ケーキにはクリームでCongratulations 誰それ、と書かれています。昼食時に Cafeteria に当人を呼んで Happy Marriage とか Congratulations の言葉で祝福しそのケーキを皆んなで分け合います。うっかりと結婚のことを知らなかった人達、即ちお金を出す機会を持たなかった人達も同様にそのケーキを食べて祝います。このこだわりのないアメリカっていいですね。

2.長くいると帰国後使い物にならない。
 こちらにいる日本人の殆どは日本の親会社から派遣された駐在員です。その駐在期間は会社によって定期、不定期あるいは3年から5、6年と様々です。年齢も若手の20歳代から、40代後半から60歳代の経営者と幅広い世代に亘っています。勤務時間は日本時代に比べてやはり長くなるらざるを得なくなっています。と、言うのはこちらでの終業時刻頃に一日が始まった日本の親会社からあれやこれや色々と連絡が来るため退社時刻がままならないからです。
この様に長い勤務時間と慣れない言葉のために駐在員の皆さんは苦労しています。
言葉の問題を取り上げてみれば、部下の米人にアドバイスをしたくとも、時には文句を言わねばならない場合でも英語力が付いて来ず上滑りの指示が精一杯と言う人達が過半数です。その様な場合は会話よりは得意な?英文力を駆使してのe-mail での意思伝達に頼らざるを得ません。本当に可哀想です。
それを解決してくれるのが “時の経過” です。その様な辛酸をなめつつもやがて英語にも慣れ、現地社員を動かす “こつ” も覚えて来ます。米国式業務が “身に付いて” 来ます。本人も自信を持って業務出来ます。個人差はありますが大体
3年後くらいでしょうか。めでたしめでたしです。米国式業務を身に付けたことは賞賛に値することでしょう。
でもここから新たな不幸が始まります。何かと言えばそれに慣れた、と言うことは帰国後 “浦島太郎” になる危険性があるからにほかなりません。帰国後は使い物にならないと言われています。
何故か?、と言えばアメリカ式業務手法は日本ではとても受け入れ難いからに他なりません。それが体に染み付いた人間は日本式に “慣れる”のにかなりの時間を要するからです。
ここで業務上の日米差異を挙げてアメリカ人の特徴をご説明しましょう。若干は当方の経験にも基づきますが。
@日本(人)に比べスピードが遅い。
  個人で片付けられる業務の場合には速度差はほとんどありませんが、組織を活用せねばならない場合、米人は本当に時間が掛かります。相手の速度に合わせて自分の速度に引きずり込む様な“失礼な”要求はしませんから。
自分の部下と言えども日本式に“これをやれ!”なんてことは言いません。異なる部署の人材活用も決して上手とは言えません。こんなまどろっこしいスピード感に慣れてしまったら、もうダメ!、帰国後日本のスピードに付いていけない悲惨な状況が待ち受けています。
A視野が狭い。
  組織全体を考えるのはManagerクラス以上の人達の仕事と割り切っています。
内部昇進がないアメリカでは、担当者として応募し、採用された限り組織全体を観る必要はまったくないわけです。意見を言っても本人の利益には一切なりません。むしろManagerの領域を侵害する行為と映り攻撃されるのが落ちでしょう。
従って自分に直接利害関係がない場合興味を示さず余計なことには一切口を出しません。これは“集団で物事を考える”日本では相受け入れ難い手法です。
B露骨に責任回避、あるいは転嫁する。
  得意なことは熱心に訴えますが、いざ失敗した場合その責任が自己に及ばない様にあれこれと口実を並べ立てます。時には子供じみた理由さえ用います。遅刻した場合なんか日本ならば申し訳ございません、と謝りますがこちらでは「目覚ましのスイッチが入ってなかった」、「ガソリンが切れていた」とまあこんな類です。滑稽ではありますがこの様な理由でもとにかく言わねば“意図的に遅れた”と見做されるからです。日本でこんなごたくを並べれば“馬鹿者!”と一喝され状況を悪化させるだけでしょうがね。
業務上の失敗も自分の責任とは認めません。頼んだ誰それが悪いんだとか、部下が指示を守らなかったからだとか、と転嫁します。日本式潔さは微塵も見受けられません。
C仕事は生活の糧を求めるためのものに他ならない。
  アメリカ人は仕事のために自分の生活を乱そうとはしません。予定している給与を得ることが目的です。従って収入に直結しない残業、休日出勤なんて想定もしていません。例えば社内全体で何らかの講習会を開催する場合通常は業務時間内が原則です。時間外の開催時は時間外給与を支給せねば誰が出席するものか!です。
 “先ず会社ありき!”の日本とは完璧に価値観が異なります。
D現在の会社で給与アップ、あるいは昇進を期待しない(期待出来ない)。
  アメリカでは定期採用というのは原則ありません。職場に人が必要となった場合の不定期採用が原則です。
採用する場合には地元新聞、あるいは自社 Home Page にポスト(タイトル)と業務内容を明示し募集します。(もちろん年齢、性別要求は出来ません。連邦法違反で訴えられますから)応募者は自分が欲しい給与と自己の能力を記載した履歴書を会社に送付します。会社がそれを認めた場合本人を呼びインタヴューします。
採用された本人はポスト(タイトル)、給与等に納得しその条件で勤務することとなります。例えばマネジャーポストが急に空いた場合でもアシスタントマネジャーのマネジャーへの昇格はありません。と言うのは本人は自分はアシスタントマネジャーが適任であると自己評価し入社しているわけですから会社は本人の適性以上のポストは与えません。改めて外部にその人材を求めます。
本人がもしも高給、あるいは上級ポストを望むならば現在の会社ではなく他の会社に改めて応募することとなるわけです。アシスタントマネジャーがマネジャーの職、給与を望むならばマネジャーの求人広告に応募せねばなりません。アメリカの場合会社規模は異なっても給与差は殆どありません。職種、ポストで決まります。日本の様に総じて大会社が給与体系が良い、ということはありません。
E失敗すれば減給あるいは解雇。
 何らかのミスで、それが直接本人に起因するものでも管理上の問題であっても会社に損害を与えた場合は減給あるいは解雇してしまいます。日本の様に“まあ人間だから失敗もするさ、これを糧にして明日に期待しよう”なんて“温かい”配慮なんか期待出来ません。原則処罰です。そうは言っても解雇されたことを理由に訴えられたら面倒ですから、原因によりけりですが、文書による警告をします。そこには発生日時、内容が細かに記載されそれを基に上司が本人にインタヴューします。インタヴュー終了後は当の本人と上司が警告書にサインし本人には写しを渡します。
再度の“類似事項”の発生時これを“武器に”即刻解雇します。本人は二週間以内に辞めねばなりません。この二週間は次の就職先確保のための期間として連邦法で定められています。
まあ大体は警告書を受け取った段階で首を覚悟します。所詮警告書は法に則った形式上の手続きであり、会社は自分を首にしたがっていることを認識します。本人を首にするために会社は口実を探して回るはずである、ことを自覚します。
その内に本人は休暇をチョコチョコと取る様になって来ます。それ以降大体一ヶ月程度でふっと居なくなります。休暇を取って就職インタヴューしている訳です。もしも首にしなければ本人は “なんとまあこの会社は甘いのだろう”と判断し勤務態度は従来以上にいい加減となってくるのは必定でしょう。これがアメリカです。

以上のご説明はすべてのアメリカ人、アメリカの会社を言い表しているものではありません。日本人と同等に、あるいは時として日本人以上に残業、休日出勤している米人社員もいます。その様な彼等は当然責任感も非常に強いものを持っています。日本人が見習わねばならない人もいます。然しながらその様な人達はやはり例外的で大多数の米人はご説明した通りと言えます。

< 追伸 >
当方の Permanent Residence(グリーン・カード/永住権)申請が 9月末にKY 州政府を通過し連邦政府に回送されました。終の棲家がチラっと見えて来ました。
まだ手放しで喜ぶわけにはいきませんが取り敢えず第一関門は通過出来ました。
*楽観的見方:州政府さえ通れば国の機関なんて形式だけだからもう大丈夫。
          12ヶ月以内には認可されるのではないか。
*悲観的見方:何かの理由で州政府に差し戻された場合は原点に戻って州政府と要交渉。
         今度は州政府は簡単には通してくれない。


中村 明彦
nakihiko@earthlink.net
224A Shriners Lane, Lexington, KY 40502



 
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