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国内で活躍する同窓生(敬称略)


石井 洋 (昭和54年卒)    北海道夕張郡由仁町在住

「夢を追い続ければ、必ず夢は叶う! 人生、ポジティブシンキングで!」


 人生は何が起きるか分かりません。夢を追い続ければ、必ず夢は叶います。
幌尻岳にて 筆者(左)と妻


【岡山での高校時代】


 私が岡山朝日高校に入学したのは、1975年。当時超マンモス校だった岡山市立福浜中学校(多分1学年13クラスあったと記憶しています)で成績は600人中150~200位くらいだったので、とても朝日高校には入れないと言われながらもまぐれで合格し、入学したまではよかったのですが、高校1年の2学期の途中から病気になり、高校1年生を2度経験しました。おかげで同年齢の1年先輩にも、1歳下の同学年にも友達ができ、入学時に最下位に近かった成績もどんどん上昇し、無事現役で立命館大学に入学できました。


高校時代の思い出は、退院して登校した初日に社会科の授業で突然当てられて何も答えられず、先生からめちゃくちゃ怒られたこと(初めて会ったクラスの仲間たちからよく耐えたとほめてもらい、すぐに皆と打ち解けました)、もともと運動が好きだったので、復学後、医者からの指示を無視して、普通に体育の授業を受けていたこと、高校3年生のときに友達と一緒に、邑久町の長島愛生園を訪れ、そこの中学生や高校生と交流したこと、あまり弁当を作ってもらえなかったので昼休みになったらダッシュで食堂に行って安いうどんを食べて、残ったお金を小遣いにしていたこと、などなど書け切れません。

【京都での大学時代】

タンデム自転車
 大学時代は、サイクリング部に入って、日本国中、自転車で走り回っていました。友達と一緒に四国一周のサイクリングをした時には、友達があまりに遅いので、一人で先に宿に着いたのですが、真っ暗になっても友達は宿まで来ないので、宿の人と一緒に探しに行ったりと、私と一緒にサイクリングに行った人は、その後サイクリングを続けた人はいませんでした。京都から岡山まで何度か自転車で帰省しました。


子供ができたら自慢してやろうと思っていましたが、わが子は自転車競技で日本一になってしまい、この夢は叶いませんでした。


また、高校時代から映画鑑賞が大好きで、大学時代は映画を観まくり、京都映画サークルで機関誌の執筆や編集もしていました。映画雑誌「キネマ旬報」は今でも定期購読を続け、我が家には50年以上のバックナンバーがあります。


【社会人としての京都時代】


 大学卒業後、立命館大学に事務職員としてそのまま就職し、主に企画部門に長くいました。大分県別府市の立命館アジア太平洋大学設置、情報学部や薬学部など新学部設置、大学の長期計画策定など、責任はありますが、楽しくやりがいのある仕事でした。また、高校時代に病気をして留年したのが嘘のように、自転車競技に打ち込み、自ら実業団チームを作って、レースを転戦すると同時に、大学の自転車競技部の顧問にも就いていました。


13年ほど前に、自転車競技部顧問兼大学職員として、高校生のリクルートのために朝日高校を訪問しました。実に30年ぶりの母校訪問でした。多分、その生徒は朝日高校開設以来初めての自転車競技選手で、立命館大学入学後もクラブで活躍し、建築士の資格を取り大手企業に就職しました。


【人生の転機となった北海道時代】

凍結した然別湖を横断する筆者
 私の人生の転機になったのは、2015年12月でした。北海道の江別市にある立命館慶祥中学校・高等学校に転勤になったことでした。これまで大学の企画関係の仕事に就いていたので、学生との接点は自転車競技部だけだったのですが、立命館慶祥中高では事務長ながら、高校の授業も担当したり、生徒の大学入試の面接指導をしたり、直接、生徒と触れる機会が多く、毎日が新鮮でした。


大学時代に教職課程を受講しながら途中で断念してしまったのですが、50歳を過ぎてから初めて教壇に立てました。また、北海道内のいくつかの自治体と協定を結び、私が担当した授業で協定先の自治体をフィールドに自治体の活性化策を首長に提案するという取り組みを行ないました。


その授業での提案を実際に実現したのが妹背牛駅の構内駅名案内板です。鉄道ファンの方がいたら、ぜひ訪れてみてください。さらに、立命館慶祥高校の生徒たちが全国大会で発表し、総理大臣賞を受賞したテーマが「アイヌ文化」で、その授業にも関わっていた関係で、アイヌ文化にも興味を持ちました。


【定年後、再び北海道に】

初冬の平取町二風谷コタン
凍結した二風谷ダム湖を歩くエゾシカの行列
 その後、再び京都の立命館大学に転勤で戻ったのですが、北海道で生活した5年の間に自然豊かな北海道が大好きになり、これからの人生、北海道のために働きたいと思い、意を決して2021年9月末に立命館大学を退職し、アイヌ文化の振興に少しでも役立てたらと思い、10月からアイヌ文化振興に町を挙げて取り組んでいる平取町のアイヌ文化振興公社に転職しました。


公社では、アイヌの伝統的生活空間(イオル)の再生事業に従事しました。アイヌの最高のカムイ(神様)で滅亡の危機にあるシマフクロウの住む森の再生、アイヌの主食であったサケやマスの遡上できる河川の再生、アイヌの着物や工芸品、チセ(住まい)の素材となるオヒョウやカツラなどの植樹などとともに、全国の大学生を集めたワークショップも実施していました。本州ではほとんど知られていないアイヌの人たちの生活文化、精神文化に触れながら、平取町のアイヌをルーツに持つ人たちと一緒に、とてもやりがいのある仕事でした。


アイヌ文化振興の仕事に就いて1年も経たないうちに、北海道の由仁町(札幌市から東に50Km)の町長から教育長就任の依頼があり、昨年10月から北海道の由仁町で教育長として第2の人生をスタートさせました。大学の卒業論文は「教育委員の公選制」について、就職活動は公務員を目指していましたが、定年を過ぎて、初めて公務員となり、卒業論文のテーマを実践する立場となったわけです。


人生、何歳になっても、夢を追い続ければ、必ず夢は叶います。重要なのは、ポジティブシンキングです。ちなみに、私は60歳を過ぎた今でも、自転車のトレーニングを続けながら、田中陽希さんを目標に北海道100名山全山登頂、そして、日本三百名山全山登頂を生涯の目標として登山を続けています。


 北海道は広いですが、朝日高校卒業生で北海道在住の方もいます。過去の「北から南から」の記事を読んで、同級生が函館にいることが分かり、40数年ぶりに会いに行く予定です。岡山から遠く離れた北の大地・北海道で朝日高校卒業生の集まりができたらいいなと思っています。

日高山脈

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