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国内で活躍する同窓生(敬称略)
冨岡 裕太
(平成 17年卒)
岡山県在住
地球の裏側と音楽
こんにちは、平成17年卒の冨岡裕太と申します。「北から南から」ということで、以前、南米ボリビアに滞在した時のことを、岡山からつらつら書いてみようと思います。
ラパスの街並み
標高4000メートル
30間近になって、私は生まれて初めてアメリカ大陸に降り立ちました。ひとりで成田からダラスへの11時間のフライト。JFK空港のデカさと、英語しか聞こえないことに驚いていました。しかしこれは旅程の序章。数時間のトランジットを経てマイアミへ、そこから青い青いカリブ海を超えて目的地、ボリビアのエルアルト空港へは、成田からだと全部で27時間のフライトです。
なんとか空港へ辿り着き、現地在住の友人と感動の再会。早速手渡されたのは酸素のスプレー缶!「これを吸って耐え凌いでください」ここは標高4000メートル超の空港です。空気が薄い。息をしても息をした感じがしない。タクシーに乗せてもらい、酸素を吸って深呼吸しながら風景を見下ろすと、眼前に赤煉瓦の街並みが、摺鉢状に広がっています。旅の目的地、ボリビアの主要都市ラパスです。
在住の友人と、
民族衣装を着た人々
サガルナガを上がるなか
街中に入ると、色鮮やかな民族衣装を着たふくよかな女性が、路上で色々な物を売っています。パンや色とりどりの果物、ジュースにお菓子、軽食、生活用品など。楽器店もたくさん並んでいます。ここはフォルクローレ(コンドルは飛んで行く、などが有名な民俗音楽)の聖地。縦笛ケーナや葦の笛サンポーニャ、小さなギターのチャランゴといった楽器たちが所狭しと並べられています。
我々の宿は、サガルナガ通りという、険しい坂の途中にあります。そもそも街が摺鉢状なので、大抵の通りは坂。空気の薄さも相まって、上るだけで疲れてしまいます。そもそも街の標高は3700メートル超で、街歩きはさながら富士登山。八合目で嘔吐して下山した高校時代の思い出がフラッシュバックしながら、私は宿に着くやいなや、早速高山病で倒れるのでした。
日本での演奏の様子(楽器紹介)
私の音楽遍歴
なぜ南米に行ったか、ちょっと長くなるのですが、まずは自分の趣味としての音楽について語らせていただければと思います。
高校の弦楽合奏部で、ヴィオラを始めました。ちょうど、吹奏楽部と弦楽合奏部を合体させて、管弦楽団を作ろう!としていた頃で、現役の頃に第一回だった定期演奏会が、今に続いて、そろそろ第二十回を迎えようとしています。
大学でもオーケストラをやっていたのですが、ある日、同じゼミの後輩に頼まれたのです。「今度、フォルクローレのコンサートをやるので、ヴァイオリンで出ていただけませんか?」
(ヴィオラなんだけどなあ…)と思いながら出たのが運の尽き、叙情的な旋律と不思議なリズムに惹かれて、どっぷりハマってしまったのでした。
現地の楽団の主催者、
手には小さなアコーディオン
民俗音楽とヴィオラ
フォルクローレにはヴィオラが出る幕はないのですが、ひとつ例外がありました。ケーナなどの基本的な編成に、マンドリンやヴァイオリン属を加えた、いわば「民俗オーケストラ」とも言うべき楽団があって、そこで数年弾かせてもらえたのです。
主催者の日本人は、ボリビアでの音楽修行中、ケーナの巨匠が主催する「民俗オーケストラ」に出会って、日本でやりたい!となったのだとか。「ボリビア行って、本家本元の民俗オーケストラをやってみない?」と軽いノリで薦められ、当時は職もなかったので、中古のヴィオラ一本を背負い、フラフラと地球の裏側へ…。
ヴィオラ奏者たちと
厳しい環境と、屈託のない人々
ボリビアは、南米の中では治安は比較的マシらしいですが、油断はできません。夏の北海道のような涼しさの中、聳え立つイリマニ山に見とれるのも束の間、人と車で大混雑、排気ガスに溢れた、いかにも途上国といった大通りを抜け、酸素不足にあえぎ、野犬をよけながら、荒涼とした街並みをこわごわと登坂していくと、楽団「ムジカ・デ・マエストロス」の練習場です。
そこでは巨匠「ロランド・エンシーナス」とその仲間たちが…出迎えてくれません!時間通りに着いちゃったから仕方ない。ボリビアでは、30分くらいの遅刻は当たり前です。そうこうしているうちに、みな陽気にのんびり現れます。屈託のない笑みで「元気?」と。仕方ない、「元気!」と言って抱き合います。
現地の楽団の仲間たちと
強く生きる音楽
さて巨匠のケーナですが、こんな厳しい環境を吹き飛ばすような、芯の太い、あたたかさのある音でした。時折小さなアコーディオンを持つこともあって、またこれが洒落ている。
リーダーに従う数十人のメンバーは、民俗楽器もヴァイオリン属も、パーカッションも、みな、日本人からすれば「うるさい!」くらいの音で、好き勝手弾いているよう。だけど、それぞれがその場を楽しんで、演奏しています。楽しみの中で、どこか懐かしくなるリズムがあって、ひとつのうねりになっているような、そんな響き。厳しい環境だからこそ、ひとりひとりが生命力を音楽にぶつけるのでしょうか。地球の裏側まで来て、負けてはいられません。だんだんと私も、ありったけをヴィオラに込めて、響きをオーケストラへ投げ込むようになりました。
鏡張りのウユニ塩湖
いま、これから
2ヶ月超くらいボリビアにいて、素敵だったこと…鏡張りのウユニ塩湖、国境を越えて観に行ったマチュピチュの美しさもですが、一番は、音楽で関わった現地の人々が、みな、本当に親身に接してくれたことです。調子が悪いと心配したり、手料理をご馳走になったり、旅行に連れて行ってくれたり、誕生日をお祝いしてくれたり。彼らのあたたかさは、きっと、これまで音楽を通じて異文化交流をしてきた、先輩や友人たちのおかげもあります。こうやって滞在することは、私ひとりでは絶対に無理でしたから。
これを書いている現在、世界は新型コロナウイルスで分断されています。私にとって、地球の裏側に素敵な世界があることが、常にどこかで、生きる活力になっています。落ち着いたら、みんなにまた笑顔で再会できる、といいな。
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