● ようこそ!岡山朝日高校同窓会のページへ! ●
世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)
石井 主税  (昭和57年卒)  イギリス

~テムズのほとり~


筆者(オーストリアのスキー場にて)
 1982(昭和57)年卒の石井主税(ちから)です。バスケ(ベンチウォーマー)→補習科→(二次大失敗やらかして)上智→住友銀行。社会人生活33年の内17年が海外(①ロンドン業務ドレーニー、②NY5年強、③香港3年、④ハノイ5年弱、⑤目下振出(ロンドン)に戻って早や3年)になりました。高3の時に英語の重要性を教えてくれた〇さん、著名人のエッセイなどをテープに録音してくれた留学生のPaula Longさん(消息の分かる方がいらっしゃるでしょうか?)等に多謝、多謝、多謝(香港的)

1.ロンドンの変容
 
 ハノイの国営企業出向から米系投資銀行欧州拠点出向に横滑りっていうのは正直驚きでしたが、30年前の暗めの印象が強く、気持ちの盛り上がらない2度目のロンドン着任でした。当時は鉄の女サッチャー首相が池の底の粘土質の泥の様な英国経済・社会に雷電の如き刺激を与えていた時です。日照時間は短い上に曇りばかり。行き交う人々は不機嫌ぽいし、オフィスでは上から目線を喰い、ホームステイの家に帰っても気取った英語攻撃。食事は凄く不味いし、仕舞いに食中毒にヤラれる等々、明るく生きるのが精一杯。

ところが、この街、豹変していたんです。

ガラス張りの現代建築が至る所に建っていて、テムズ沿いがキレい且つ安全になっていて、あらゆる人種が働き、知らない人と目が合っても睨まれずにニッコリされたりするなんて「アナタ、ロンドンじゃないでしょう?」って叫びそうでした。今もホームレスはかなり居ますが、30年前の様に高校卒業直後の若者たちが男女を問わず街角に座ってるっていうのよりは悲壮感が薄い感じなんです。当時は中華かインド料理しか美味しい物はなかったのに、今は世界中の料理が在ってそれぞれ結構イケるし(Japaneseの大規模チェーンは要ご注意、、)スーパーで温めるだけのディナーが種類も一杯(味的にもまあ大丈夫)。そこらじゅうにころがってたワンワンたちの落し物も飼い主さん達が回収(Unbelievable!!) tube(=地下鉄)だって、途中で止まって真っ暗な中で20分放置されるなんて今や滅多に起きず。言葉だって、米国メディアの影響からかEnglishの尖りや特殊な言い回しが減っていて、やっと思い返しました。イギリス人って実は変化に柔軟なんです。
 
テムズ川北岸からのPool of London
 
 僕のフラット(=アパート)はタワーブリッジの南端の再開発ブロックですが、30年前は上司から「あの辺りには行くんじゃないよ」って言われてたところ。今は観光客が溢れ、週末はイベントが一杯。

シティ(昔、城壁で囲まれていた部分=今の金融を中心とした英国経済の中心部ですね)では石造りの角張った建物が並ぶ中に(保険屋さんの集まる)ロイズの化学工場チックな現代建築が目を引きましたが、それも周りの高層ビルで殆ど見えません。夜は(人が住んでないので)暗かった街が極彩色です。僅か30年、ですが、ロンドン中心部は芋虫君→アゲハさん的美しい変身を遂げてしまったんです。

勿論、変わらないものもあります。

Fish&Chips、Pubの人だかり、誇り高きTaxiドライバーさん達(自転車通勤者至上主義とコロナウィルスのせいで可也弱って来てますが、、)、風の強さ、晴天の少なさ、傘をさす人の少なさ、East Londonのネイティブさん達の言葉の解り辛さ。そして、テムズ川(かなり強引な展開ですね)


2.テムズ川が生んだロンドン 
 
 ロンドンの歴史は2千年。欲張りなローマ帝国は文明の及ばない僻地にテムズ川を遡って入って来ます。テムズは潮汐の影響を確り受ける川で(河口からは50~60km上がりますが、ロンドンの標高が低いので、ロンドン中心部では毎日2回、7m程水面が上下します)満ち引きの際の流れは速く、ローマ軍も満潮に乗って西進し、干潮時にも十分な深さと幅の有るところで駐屯地ロンディニウムを築きます。ロンドンブリッジ(昔は橋はこれだけ)の東側(河口側)とタワーブリッジの間はPool of Londonと呼ばれますが、Englandがスペインを追い掛け大海洋帝国に成って行く時代、ロンドンは世界最大の商業港です。テムズが無ければロンドンも大英帝国も無かったんでしょうね。
1616年当時のロンドンブリッジ 現在のロンドンブリッジ(南東側からシティを望む)

3.テムズが虐めたロンドン

 世界最大の港湾都市に世界中の人が居て、下水施設が無い訳ですから、当時のテムズは巨大な蓋無しの下水道化していて、しかもその水は行ったり来たりしてしまいます。余りに臭くて議会の運営にならず、議場を移した記録も有ります。(流れが早くて泥が常に巻き上げられるからでしょうか、テムズは今も常に濃い目のミルクティの色ですが)水質では世界の大型河川の中では相当上位に着けているそうです。

下水道システムが整備されて以降も問題は残りました。グリニッジの丘から西のロンドン中心部はペッタリ平坦です。川岸の我がブロックは再開発で調整されていますが、それでも標高は6m弱。ロンドンは歴史的に頻繁に洪水被害を受けて来ました。大潮に嵐が重なると逆流して来る水で溢れます。上流の雨量が多くて増水している時に満潮が重なる場合も同様にヤラれます。されどそこは流石に産業革命を起こした国民性。メカニカルな解決策に取り組みます。テムズ・バリアです。

4.ロンドナーの逆襲

 今もPool of Londonまでは大型船舶が上がって来ます。船の運航が出来る様にしたまま、テムズの水量調節が出来るシステムを考えねばなりません。テムズ・バリアは普段は川底に横たわっている回転式堤防を増水予測時に川底から引き揚げて海水の逆流自体を手前で止めてしまうというコンセプトです。1974年から10年掛かった大プロジェクトです。(隣のCity Airportの建設期間は1年)大きくて薄い(長さ30~60m幅20m)カマボコ様の盾(を横にした感じのもの)が6つあって、稼働時にはそのカマボコをぐるりんと90°回しながら引き上げます。ガス栓からヒントを得たっていうのにはニンマリしてしまいましたが、膨大な水圧に耐えられる様にカマボコの中に水が入る仕組で、且つ、カマボコの両面への圧力差を出来るだけ少なくしながら上げ下げするシステムなんだそうです。年に数回しか使わないのに、日々手入れされています。バリアを張ると河口側は余計に増水してしまいますから、バリア建設と同時にその下流地域18kmの護岸工事もやったそうですが、バリアの在る位置の川幅は550m。イギリス人のエンジニアリング力って凄いですね。
テムズバリアを北岸から望む 左上の橋のように見えるのがテムズバリア

5.港湾の移動と新たなエンジニアリング

 ロンドン港は過密に成り過ぎ、荷揚げの効率が悪かっただけでなく、荷揚げされた荷物が盗まれることが増えていました。それで思い切って河口側の沼地付近を開発し、テムズの上から荷揚げせず、水路で陸側に船を引き入れて荷下ろし・保管し泥棒集団から守れる様にしたのがドックランドです。ロンドンが港でなくなって以降ドックランドは荒廃しますが、サッチャーが推し進めたカナリーワーフ開発計画等により巨大オフィスと多層集合住宅が並ぶ新しい街として復活しています。一部はCity Airportに変身。

鉄道も、地下鉄もイギリスが最初。地下鉄が大きな河川の下のトンネルを最初に通ったのもロンドンです。ですが、いきなり蒸気機関車が通るトンネルからっていうことじゃないですよね?人や馬車が通れるトンネルから始まります。

ドックランドが世界最大の港だった頃、膨大な港湾労働者が必要とされました。内、テムズの南岸に住んでいた労働者の通勤効率の改善が必要でした。それでトンネルを掘って徒歩通勤出来る様にした訳です。ドックランドの南端からトンネルを歩くとグリニッジの町のカティサーク号の前に出ます。カティカークは当時の最速の商船ですが、それがドックランドと(上級船員が)航海術(天文学も必要ですね)を学ぶグリニッジとの間に置いて在るのは両方を象徴する船だからでしょうか??
朝焼けに浮かぶカナリーワーフの高層ビル群、
タワーブリッジ巡洋艦Belfast、リバーバス乗り場

6.BREXITとパンデミックとロンドンのこれから

 残念乍らBREXITが固まってしまい、EUとの種々具体交渉が始まろうとする時にコロナウィルス問題が起きてしまって、金融の都ロンドンの前途は全く見通せません。

この街に市長として自転車至上主義を持ち込んだ現首相Boris Johnsonは人となりは好きになれませんが、ロンドンオリンピックの準備も、シャード建設を含むロンドンブリッジ駅周辺~タワーブリッジの総合的再開発もBorisがロンドン市長に成って加速して行きます。住人としてはその力量は認めざるを得ない?

BREXITの実際の離脱はグチャグチャどろどろするかも知れませんね。ですが、欧州・中東・アフリカは金融も政治も複雑で英国の関与は今後も必要と思われます。この地域の金融のハブとしてシティの重要性も変わらない様に感じられます。アフリカが順調に発展して行くのであれば、シティの重要性は却って増して行くかも知れませんね。

偶々僕はNY、香港、Londonを体験し、目下は世界のトップレベルのインベストメントバンカー達と一緒に居る機会を頂いています。子供2人は香港で英語ゼロの状態でインター校に放り込み言語、文化のチャンネルをマルチ化したんですが、アジアを含め、海外の若者達には学力・言語力・意欲のいずれでも後れを取っていると認めざるを得ません。まあ、遺伝子の問題も有り、彼らにコントロール出来る部分も限られますが、特にアジア・東欧の青少年達にはハングリーさが顕著です。一方で、今はアジアの時代なのに日本は萎んでしまっています。OBの皆様、若い世代に羽ばたく機会を提供すべく元気出して参りましょう。


※BREXIT(ブリグジット)・・・「英国のEU離脱を意味する造語」

岡山朝日高校同窓会公式Webサイト