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ボストンの風景 |
昭和44年、1969年卒業の中塚 久生です。皆様、ご無沙汰しております。海外駐在員として、2回目の米国でした。最初はサウス・キャロライナでの工場建設で約2年強、滞在。その後、日本での勤務を継続しておりました。その際、もう一度、米国へとのお話しがあり、「今度はボストンだから、いい街だよ!」と言われ、赴任致しました。それはそれは言われた通りいい街でした。
皆さん、ボストンに来られたことありますか?最近、朝日の同級生の方々や中学や、学校の同級生の方々がボストンへ逢いに来てくれます。ボストン市はマサチューセッツ州の州都で、人口は67万人強。1630年に出来、米国で最も古い都市の一つ。米国独立の舞台ともなった場所です。日本とは時差が夏は13時間、冬は14時間あります。地球の真裏でしょうか?ボストンはハーバード大学やMITなどのような世界でも有名な大学を含めて60校を超えます。学生さんも多く、古い街と言うことで、京都市とは約60年前から姉妹都市です。
こんなボストンに驚いたことは、1620年に清教徒達がこの州の大西洋沿岸の街プリマスに上陸。その10年後、1630年にはボストン市が誕生、ハーバード大学は何と1636年に創設。この速さにまず感動。更に逢う人、逢う人が素晴らしい方ばかりで、また街並みも古いレンガ造りと高層ビルが隣接する街並み。このアカデミックさに感動の連続。そして、駐在員としての課題完了時期に日本の上司から帰国の内々示を頂いた時に、「このボストンに住みたいので、帰りたくありません」と非常識な返答をしてしまいました。
ボストンに住んで早、15年。あっと言うまでした。独立して丁度、10年。その間、野球好きな私は、メジャーリーグのBOSTON RED SOXが3回のチャンピオンを獲得するのを経験し、驚嘆。2004年、松坂大輔投手の活躍した2007年、更に上原投手、田澤投手の活躍した2013年の3回。
ボストンはプロスポーツも非常に盛んで、どの競技も強く、市民は応援に大変です。アイスホッケーはBoston Bruins、アメリカンフットボールはNew
England Patriots、バスケットはBoston Celtics。どの競技もPlay-offへ進む実力です。全米でチャンピオンを獲得すると優勝パレードが平日にあり、休みになる学校もあります。そんなボストンです。
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ボストン市内の優勝行進パレードの直前、
Fenway Parkでの一コマ (2013年11月2日)
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上原投手と田澤投手のサインボールが中央。
その他は活躍した選手たち。 |
現在はこのボストンにて日系の旅行社を営んでおります。日本人の方々のInboundの業務が中心ですが、特に得意な仕事は日本の県立や私立の高等学校のボストンでの研修グループのお世話です。SUPER
SCIENCE HIGH SCHOOLやSUPER GLOBAL HIGH SCHOOLと言う言葉を聞かれたことがあると思いますが、そのProgram構想作りから、現地での研修内容の提案、実施を担当しています。文部科学省がこれらの施策を決める前から、高等学校の先生から直接の要請を受けて来ました。ハーバード大学やMITの知り合いの学生さんや研究員のお力を借りて、日本語でご案内しています。「何故?ボストンに来たか?」「何故、ハーバードか?」など話して貰い、キャンパス内をゆっくりと散策しながら、質疑応答もしつつ、各自理解を深めます。私が企画する研修の目的は、各高校生に「これなら、頑張れば自分も来られる!」と思って頂くことです。日本からの留学生の減少する中でお一人でも「来てみたい!ここで勉強したい」と思って貰う事です。
数年前より、「日本に居れば、運転免許証とPassportはもう要らない」という男子学生が多いと聞きます。確かに東京・京都・大阪など大都市でなくても、今の時代、日本のどこに居ても高校、大学に進学して、高等教育は受けられます。修士・博士論文も書けると思います。
しかし、世界へ出て、世界を相手に、大きく、広く活動して、日本の素晴らしい技術・技能や生産管理、品質管理を世界の為に活かしてほしいと思います。朝日高等学校の後輩達にも、世界に飛び立って、留学や研究活動、駐在としての企業活動など、どんどん進めてほしいと願っています。外から観ていると、今の日本は勿体ないことばかり。もう一度頑張って、より元気な日本になりましょう!
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少し北に行けば、モコモコ絨毯の紅葉が楽しめます。数時間、ドライブしても続きます。
「Vermont州 Jey Peak Resort」 冬は大きなスキーリゾートとなります。
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