日立製作所インド支店に2014年4月から駐在しています。2008年から2010年に引き続き2度目のムンバイ駐在です。
インドは一般的には日本人にはあまり良いイメージを持たれていないようですが、実はインドに嵌ってしまう人と大嫌いになる人の両極端に別れるようで、中間的な人はあまりいないようです。私、私はもちろん嵌ってしまった方ですと一応言っておきます。そうでも言って自分を鼓舞しないと。
モディ首相就任以来、日本との関係でも注目を集めるインドですが、ここで写真と共に簡単にその歴史を振り返りましょう。
インダス文明の発祥以来4500年の歴史を持つ国であることはご承知の通りです。ムンバイが州都であるマハラシュトラ州では紀元前1世紀から始まったと言われるアジャンタの石窟が一番の見ものです。仏教壁画が有名ですが、明らかにヒンドウーの壁画もあり、ヒンドウー教から派生した仏教の歴史を感じさせる遺跡です。この後もインドは16世紀初頭のムガル帝国の成立まで領土的支配は受けていませんでしたが、17世紀末から18世紀初頭にはインド南端部を除くインド亜大陸をトルコ系イスラム王朝が支配します。
1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのためにシャー・ジャハーンが建設したタージマハールはインド北部アグラにあり、今ではインドを代表する観光名所です。
18世紀に入ると東インド会社による植民地化でインド民衆の貧困化が始まる一方、ここムンバイではコロニアル調の建物がたくさん建設されます。その代表がチャトラパティ・シバジ・ターミナス(英名ビクトリア・ステーション)です。写真の様にゴチック建設を代表する壮麗な建設です。この他にもムンバイ南部には多くのコロニアル調の建設物があり、全ては現在も使用されていますが、メンテナンスが良いとは言えず、美しいかどうかは保証の限りではありません。
さて、首都デリーは政治の中心ですが、ここムンバイは商業都市です。中でも金融と海運関係はムンバイが中心であり、邦人駐在員もその関係の人が多いようです。ただ、デリーの日本人会4,000人規模と比較すると10分の1程度で、デリーには焼き鳥屋もカラオケもあるようですが、ここムンバイにはまともな日本食レストランもありません。現在のムンバイで一番有名なものは多分、ボリウッド(ハリウッドとボンベイを掛けて)と呼ばれる様に映画製作でしょう。見たことのある方もいらっしゃるでしょうが、映画のストーリーとなんら脈絡無く、いきなり歌と踊りが始まる、あのインド映画です。私はこれにはなかなか馴染めず、未だ映画館に足を運んだ事はありません。そうなるとここムンバイには娯楽はほとんどありません(飲み屋もカラオクも)ので、もっぱらアパートに引きこもり読書三昧、週末のゴルフだけが楽しみとなっています。幸いに私の趣味はスクーバダイビングで、モルディブ・タイなどが近いのが救いです。これまで、テヘラン・ドバイなどに駐在していたお陰でモルディブにはこれまで8回も行きました。
モディ首相就任以来、”make in India”をスローガンに外資導入・規制緩和を積極的に推進、植民地時代以来の貧困を抜け出し、アジアの虎が目覚めるかと期待されています。しかし、一方では40年ぶりの単独過半数を獲得したBJPはヒンドウ―至上主義で、外資導入には反する牛肉の所持まで禁止してしまいました。これからもインドの成り行きは予断を許しません。
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