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同窓生の高校時代の想い出と近況(敬称略)

吉田(八代) 毅 (昭和 36年卒)    岡山市在住

求道者・河田一夫先生の思い出

 昭和25年から46年までの21年間、朝日高校の初代芸術科書道の担当教諭をされていた河田一夫(号:一丘・一臼)先生をご存知の方は多いだろう。その情熱的雰囲気と、禅僧のような一風変わった風貌に圧倒された生徒は多かったようです。河田一夫先生は、平成12年(2000)に満90歳で逝去されました。

 先般発行の第20号同窓会報にも案内されていますが、来る11月15日〜22日に朝日高校同窓資料館において「河田一臼遺墨展」が開催予定になっており喜ばしい事であります。ご都合よい方はご足労されて、故・河田一臼先生の墨香に浸られますようご案内申し上げる次第です。
 
 私が書道部に在籍したのは昭和33年4月からの3年間であり、河田一夫先生書道部時代20年間の丁度真ん中に当たる第10代でありました。当時の天満屋百貨店2階にて書道部10周年記念展が開催され、準備のために岡山市内の諸先輩方のご自宅を訪問させて頂いたことが懐かしい思い出として残っています。時には裏口からお伺いした先輩のお宅で、ネグリジェ(?の如き)姿で出てこられた女性先輩に圧倒されて大汗をかきながらしどろもどろの応対をしたものでした。

 毎年正月には先輩諸賢を招待して、畳敷きの書道場で「すき焼き新年会」をするのが恒例行事でありました。先輩後輩の結束が強かったこともあり、集まりの締めくくりには必ず「書道部の歌」を全員で熱唱するのが定番になっていました。
書道部の歌は其の一と其の二の2つあり、クラブ活動・部歌を二つも持つのは朝日高校書道部だけであるというのが河田一夫先生の自慢でもありました。

昭和38年正月新年「すき焼き」会あとの書道場・記念写真
(大学時代の江田五月氏のお顔も見えます〜江田氏の左側が私です)
書道場に掲げられていた「書道部の歌・其の二」


 書道部の歌の歌詞を次に示します。其の一の作詞者は書道部4代主将の岩藤和夫氏であり、若者のひたむきな純粋性がひしひしと感じられます。これに負けじと作られた其の二の作詞は勿論、河田一夫先生です。歌詞内容の説明についても何度となく河田先生から聞かされたものです。
 
<朝日高校書道部の歌(其の一:作詞=岩藤和夫、作曲=大河原敬人)>
1.低くたれこむ黒き雲  霧立ちこめる日本海
  ああ嵐吹く山の峰   我らが光いずくにか
  進めや進めあくまでも 烏城精神ここにあり
2.寄する怒涛幾千里   白雲なびく深き空
  限りある身の精魂を  燃やしつくして今こそは
  飛び立ちゆかん端迄も 朝日書道の意気高し
3.誠に向う道一つ    宇宙に通う道一つ
  我等の道も又一つ   叫びつづけんこの心
  永遠(トワ)に伝えんこの心 これぞ我等が真髄ぞ
 
<朝日高校書道部の歌(其の二:作詞=河田一夫、作曲=野上義臣)>
1.世紀の夢を破り来し 我が朝日なる書道部の
  集いは固く香も床し ああ青春の血は躍る
2.歴史は還る幾そ度  天を仰げば三日月や
  極むる道の遠ければ 涙を払う墨しぶき
3.烏城今は影なくも  旭の流れ永遠に
  麗光燦と輝けば   我脂して筆を執る
4.常盤の緑操山   空ゆく鳥の跡かたや
  久遠の教一筋に   我えがきゆく太平洋
5.崑崙峰は高けれど  ジュネーブ道の遠くとも
  我に二本の鞭あれば 生命に誓うその日まで
 
 
 現在では考えられないことですが、当時の河田一夫先生は校庭内のテニスコート脇にあった<通称・タヌキ小屋>と呼ばれるあばら家に住んでおられました。タヌキ小屋から毎朝出てこられる河田先生の風貌は仙人のようでもありました。

 この度の遺墨展でも展示される六曲屏風作品「北門行」で昭和27年の第8回日展・特選を授与された河田一夫先生は、昭和29年創作の運筆理論「基本八十一本」などを通じて徐々に厳しい精神修養から脱却されて「平凡」を求める仙人の境地になられたのだと思います。
 
 ある日のこと講堂の入り口のあった卓球台で1級後輩のF君と遊んでいると、河田先生が突然入ってこられ「いっちょやろうか」と言ってお相手をされましたが、生き物のように飛んでくる球筋にびっくりした思い出があります。

昭和33年当時に河田一夫先生が住んでおられた
通称・タヌキ小屋
卓球遊びの後、書道場でくつろがれる河田一夫先生
昭和40年夏の書道部15周年記念展の勢揃い写真

 

小説『墨の跡』 著者吉田日出子(筆者の妻)

 河田一夫先生の教えは厳しいものでしたが、高校生であった青春時代の我々に対しても常に対等の人間として対応せられ、「書道は精神性が一番大事なのだから文字表現に上達することより、誠実な人間となることが肝心である。誠の人間が表した文字は最高である」が口癖でした。
又「ほんものを見分ける力を持て」とも我々に諭す真の求道者のようでもありました。未だに誠の人間とは程遠い私でありますが〜ぼちぼちと歩いて行こうと思っている昨今です。


  故・河田一夫先生をモデルにした書家先生一代記なる『墨の跡』という小説が出版されています(2008.10)。高等学校芸術家教諭先生のモデル小説っていうのは余りないようです。出版当時は山陽新聞や毎日新聞でも紹介されました。ご一読・笑覧下さいますようお勧めする次第です。

 
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