【生まれは古京町】
私は、古京町生まれ。この町にある手打ちうどん「玉扇(ぎょくせん)」は、年老いた父が現役で切り盛りしている。子供の頃は、朝日高の前にある六高道を遊び場に、蝉取りやザリガニ捕りの遊びで校内に遠征していた。近所にいる割に、高校時代は、授業開始間際に全速力で教室に駆け込んでいた。3年間選択した地理の授業に出てくる世界の事情に一番興味をひかれていた。いつか自分自身の目で世界見たいと。
【商社時代】
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香港政庁の新築されたビル内から見た
ビクトリアハーバーと九龍半島 |
見知らぬ海外で仕事をしたいとの気持ちは、大学時代益々強くなった。若手にも仕事が早く回ってくると言われていた伊藤忠商事を選んだ。希望は、海外業務で物流を希望していた。1974年入社時、結果は、海外展開を始めたばかりの保険に配属された。入社当時、「海外要員だ。 早く海外だすよ。(それもそのはず、3-4年上の先輩を筆頭に後は数名が海外のチーム)」と部長はビジョンを熱く語っていた。
本当に約束通り、ニューヨーク、ロンドンンと数年の内に研修に出してもらった。その後、関連会社の初代駐在員として香港に来たのが1979年。広東語もわからないまま香港社会にも飛び込んだ。当地のアーチェリー愛好会の香港人達がすぐに仲間扱いしてくれたのが、心に残る。体調が悪い時は、仲間のドクターが薬を無料で処方してくる。練習後夕食に皆で行く。会話は、広東語でほとんど理解できない(今もたいした進歩は見られない)。その後6年駐在。 再び89年から95年に香港、途中98年から2003年の間はロンドンにそれた。3度目2007〜11年は香港に、中国を担当した。商社時代は、保険畑を専門に歩んだが、最後金融や物流も担当した。
【I LOVE HONG KONG】
定年まで1年残して昨年伊藤忠を退職し、今の仕事である香港日本人商工会議所・香港日本人倶楽部事務局長の仕事についた。「私の辞書にNoはない。 Yes,
I can たまにHowever」が信条ながら、これほど香港と縁が深くなろうとは当初は思ってもいなかった。
香港の良さは、人々が飾らない点だ。裏も表もなくストレート、それもほどよくストレートなところが気に入っている。いつも自然体でへりくだることもない。
香港は私にとって、「縁の交差点」にもなっている。香港人、外国人、日本人を問わず、幾人もの信頼できる人に出会った。インドネシアの保険会社社長は大金持ちだが、香港に来ると私にいつも声をかけてくれる。本当に人は、財産だ。今後の仕事でも、人との縁を大切にしたい。日本人だけの集まりではなく、様々な活動を通し、一人でも多くの日本ファンを香港人と外国人の中に作っていくことが役目だと思っている。
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Mrs.Carrie Lam 政務長官と各国商工会のメンバー
(筆者右から二人目)
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香港政務長官を議長とする各国商工会議所の会議風景
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台湾のジャズシンガー Ying-Ying の香港初公演応援
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【反日より反愛国教育】
香港のレポートを忘れるところでした。
8月15日、「啓豊2号」に乗り込んだ香港の活動家のうち7人が尖閣諸島の魚釣島に上陸した。この中心人物は、通称「阿牛」(牛のおじさん程度の愛称)である。本人は、反中国共産党のレッテルが張られているが不可思議な行動。9月9日が投票日であった香港の立法議会議員(定員70名)に立候補していたが、落選した。反日を材料に資金集め? 9月11日、日本政府による尖閣諸島の所有が行われた後の中国大陸の騒ぎは、皆様が報道でご覧の通りです。香港では、9月16日(日)、反日デモが行われましたが1000人程度の規模で問題もなく終了。
丁度9月16日は、日本人倶楽部主催の秋の音楽会が開催され1000人以上の日本人が集まることになっていた。 倶楽部の事務局長を兼任している私としては、地元の警察にも念のため報告したが、例年通り何も問題なく終了。同月21日開催された同じく倶楽部主催のチャリティーゴルフも100人程度の日本人がプレーし、例年通りに成功裏に終了。香港自体は、平穏でした。
中国人としての愛国心を持つよう教える「国民教育」の導入に反対するデモが7月29日に行われたが、主催者発表で約9万人が参加、警察でも約3万人を超えると推計されました。「中国化」を懸念する教育関係者、生徒、親などの間で大反対が起き、ついに、梁振英行政長官も9月9日の選挙を前に強制導入を断念することを発表した。
丁度、香港大学の学生2人に立ち話ですが質問する機会がありました。自分たちを中国人と思うか香港人と思うかと聞いたところ2人とも答えは、香港人との回答。香港で教育を受けた若者は、日本への理解も大いに大陸と異なるように感じられる。
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全香港日本事情クイズ大会2012風景 |
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香港島のビクトリアピークから見た夜景
(手前香港島側、海を挟んで九龍半島) |
【香港の若者】
10月21日(日)の午後、九龍湾展貿中心の大会場は、若者の熱気であふれていました。香港日本文化協会が主催した「全香港日本事情クイズ大会2012(広東語:全港日本文化常識問答賽)」へ参加した800人を超える学生や社会人達が会場を埋め尽くしていました。3人1組が、スクリーンに出る日本に関する観光、最近の流行や文化、戦国時代も出てくる歴史、地理、スポーツ、科学などについて広東語で出される質問へ4択から正解を選ぶクイズ゙。
「日本茶寿は、何歳か A60歳 B88歳 C100歳 D108歳?」、
「現在英国サッカーチーム マンチェスターユナイティドでプレーしている人気選手は、A中村俊輔 B稲本潤一 C小野伸二 D香川真司 ?」
60問余りの質問へ正解数が多い順番で5チームが、優勝(日本往復航空券も含まれた豪華商品)を目指し決勝戦へ進出。第1位チームは、44問の正解。因みに、私は、感で正解した数も含めて38問しか当たりませんでした。
決勝も、続々質問が出てくる。逆転ありのゲームに、決勝に進出できなった皆さんも最後まで残り歓声を上げる。
中国の反日デモから醒めやらない時期でしたが、心配不要の香港である。この主催者(http://www.japansociety-hk.org)は、1962年に設立されたNPO法人である。日本で留学を経験した香港地元の人々が運営していて、日本語の講座も総領事館から受け継いで運営している。中高校生の日本語コンテスト開催など活動は幅広い。
皆様も、HPから香港の中高生が語る話を読んでみていただけませんか。 本年1位の梁悦虹さんの「私が旅行を続ける理由」では、
「……. 中学校を卒業した夏休み、初めて日本に行きました。友達のお兄さんが東京に留学していて、案内してくれるということで、安心して友達と東京に行きました。
……. 漢字がたくさんあるから日本語はわからなくても大体の意味はわかります。これは物や切符を買う時に便利です。
街がきれいで、どこに行っても自動販売機があって、お手洗いも探しやすいです。心配しなくても安心して旅行できる国だと思います。…….どこの国でも、私はよく日本人と間違えらえました。
….. (オーストラリアやインド゙旅行での体験に触れられています。)…. 私は、旅を続けます。これからも、いろいろな国で、日本文化が好きな人とたくさん出会いたいと思います。 … 」
この梁(りょん)さんの後半の言葉は、私のテーマでもあります。今後の仕事や生活でも引き続き人の縁を大切にしたい。
【縁の続き】
朝日高時代の同級生から、このリレーへの投稿話がありました。「Yes, I can」と書いた次第です。香港に来られる朝日高の皆様を歓迎します。または、いずれ古京町の「玉扇」を少々高齢2代目として引き継いだらお店でお待ちしています(笑)。
(注釈)今回の記載は、2011年10月1日 香港衛星版に掲載された私の心情をまとめて頂いた読売新聞や「共済と保険」(社)日本共済協会の月刊にある私のコラムを中心に、私自身の思いでまとめました。
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