ワシントンから北に車で40分のメリーランド州ゲイザーズバーグに来たのは1985年。カルフォルニアのサンノゼとハワイでの大学院を入れるとアメリカ生活は32年。中学の頃英語が好きになりスチュワーデスになろうと思って朝日に入学した。平岡先生、小野田先生、志茂先生に英語を教わると、英語を使って仕事をしたくなり外交官になろうと思った。
今では英語の説教は日常茶飯事、家族によると英語で寝言を言うらしい。諸先生方のご指導の賜物と感謝している。27年間メリーランド大学、米国農務省大学院、アメリカ大使館の外交官養成語学校、国立衛生研究所で日本語を教えながら翻訳や通訳や日本人NPOのボランティアもしてきた。
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ジェファソン・メモリアルとタイダル・ベースンの桜 |
100年前東京の尾崎行雄市長から寄贈の石灯籠と桜 |
7年前からワシントンのすぐ北のメリーランド州モンゴメリー・カウンティーの公立高校で日本語を教えている。日本で英語と国語の教員免許もアメリカの大学院で日本語教授法の修士号もあるが州の教員免許が要った。大学で必要科目を取り州の日本語の教員免許を取った。日本語を教えながら外国人に英語を教えるESOLの科目を取り教員免許を取ったのは還暦の六ヶ月前。去年シェックスピアの
「ロミオとジュリエット」やスタインベック の「Mice & Men」も教えた。
アメリカの公立高校
「楽しそう」 創立135周年・岡山朝日命名60周年記念のDVDを見せた。朝日祭のクラス別コスチューム、ミツバチハッチや孫悟空の衣装を着てのダンス、リレーや綱引き、校内の弓道場、柔道場。興味津々だった。
モンゴメリー・カウンティーは人口100万人で26公立高校がある。2011年全米で最優秀学校区に選ばれた。26校中日本語のある高校は4校。その中2校、ペイント・ブランチ
高校とモンゴメリー・ブレア (以下 ブレア )
高校で教えている。日本語教師は4人で日本人2人、中国人とアメリカ人1人ずつ。フルタイムは私だけ。
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自筆の「野生ラン」ダイニングで |
教師もガウン着用の 6月の卒業式 |
アメリカに高校入試のある高校は少ない。この学校区で入試のあるのはブレア だけ。ブレアの学生数は9, 10,
11, 12年生の4学年で2875人、26校中一番多く、黒人 29.8 %、ヒスパニック26.9 %、白人25.6
%、アジア人 17.7 %である。ペイント・ブランチ は黒人46%である。
授業は7時25分から2時10分まで。2学期制で秋学期は8月末に始まり春学期は1月末に始まる。6月に卒業式があり6月中旬に夏休みが始まる。朝日の頃校舎の隣に補習校があり補習生は夏もいた。朝日の学生も夏は塾に通い勉強一筋。ブレアで夏休みにした事を聞くと家族旅行だ。
親日家のグローバル人材養成
日本語教師として親日家のグローバル人材を高校から養成する必要性を感じている。時に草の根運動の親善大使だと思う。日本語は選択科目なので学生が取らないと消滅する。だから機会ある度に宣伝している。8年生が2月に見学に来て高校を選ぶ時、日本語のあるペイント・ブランチとブレアを選ぶように数人の学生に羽織を着せリーフレットを配って売り込む。毎週日本語クラブで習字、生花、茶道、折り紙をしている。新しくアニメくらぶも作りアニメを見せてより多くの学生に日本文化を紹介したい。
国際会議、日本旅行、コンテスト、義援金
2009年11月日米高校生会議が教育省であった。日本語を習っている学生と日本各地のスーパーサイエンス高校の学生が日本語と英語で質疑応答をした。ブレアの学生が日本語と英語で開会の辞を述べた。会場には藤崎大使も同席しルースアメリカ大使も東京から挨拶をした。2010年の夏は11日間25人引率し大阪城、姫路城、宮島、原爆ドーム、二条城、平安神宮、箱根、秋葉原、原宿を見学。2011年の4月は桜祭りの日本語コンテストにブレアの学生が出て23校中5位に入った。質問は日本語文法、日本文化、漢字の3部門。東海岸で5位内はブレアだけ。1位から4位まではカルフォルニアの高校だった。去年東日本大震災の後、義援金を寄付した。
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2010年夏の日本旅行
(姫路城の前) |
旅行中「外は岡山」と説明中
(新幹線の中で) |
高校生の実情―ある高校で
高校に警備員が数人いる。警官のいる高校もある。授業を妨げる生徒は警備員に連れ出してもらう。1ヶ月に5人出して日本語から外した。以前教えたヒスパニック過半数の高校では毎日鉛筆を削って持って行った。授業中歩き回ったりトイレから戻って来なかったり紙飛行機が飛んだ。警備員が毎日来てくれた。この学校で事件が起きた。男子トイレで学生が拳銃を売ろうとして弾みで発砲した。その時ブレアにいた。翌日ワシントン・ポスト紙の一面記事に載り学校の玄関前に7台パトカーがあった。10人逮捕された。
日本文化紹介のビデオを見せたら温泉場面が不適切だと校長が判断し学生に謝罪の手紙を持たせた。ある日精神病の学生が窓ガラスを割って入って来た。又刃物を学校に持って来た時はドアを閉めて授業を続けた。ふと床を見ると学生が倒れていた。非常ボタンを押すと校長と教頭、救急車が来た。精神安定剤の副作用だと分かった。どれも朝日では想像外。先生も学生も又か、そういう学生もいるとの反応だった。
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会議の後パリのホテルで |
講堂で表彰式のスピーチ |
教師生活―大学への推薦状、助成金申請
高校生を教えるのは大学生や大人を教える以上に大変だが与える影響は大きい。22年間教えた農務省大学院の学生は国家公務員、弁護士、医師でメリーランド大学の学生は全米、世界中にいたのでパソコンとマイクを使って教えた。大人は教えるだけなので楽だった。
大学の合否は成績表とSAT(英語と数学の学力試験)とクラブ活動や生徒会などの課外活動と論文と教師の推薦状で決まる。毎年10人位に推薦状を頼まれる。学生1人数通だから数十通書くのは大変。同僚は多くて数通。一番難しい日本語の教師からの推薦状は効果があるのだろう。でも合格の知らせは嬉しい。去年学生が最優秀生に選ばれ一番影響を与えた先生に選んでくれた時は嬉しかった。
100年前、東京の尾崎行雄市長がワシントンに100本の桜を寄贈したので、今年100周年を記念してサクラ助成金が設立された。早速ブレアの校庭にサクラの木を植える申請書を持参した。
あとがき
朝日の頃はアメリカで日本語を教えるとは思ってもいなかった。ただ英語を使える外交官になりたかった。今は高校で日本語を教え親日家のグローバル人を増やしていきたいと思っている。ワシントン商工会議所や日本人NPOや参議院員から頼まれて書いたこともあるので、喜んでお引き受けした。
自分を振り返ってみる良い機会になったことに感謝している。今夏岡山に帰ってこれを書き始めて朝日校を訪ねた。44年ぶりの校庭は懐かしく女学生の白い制服がまぶしかった。同窓生の皆様、ワシントンにいらっしゃる際には是非yhagiha@gmail.comに連絡下さい。ご案内します。
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家の前庭の八重桜 |
玄関先のしゃくなげ |
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