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国内で活躍する同窓生(敬称略)
北堀 勝一 (昭和 54年卒)    鹿児島県屋久島町在住

屋久島でスローライフ

3年H組 仮装行列の記念写真

 この度、同窓会幹事の方より寄稿の依頼を受け、改めて高校時代に想いを馳せてみました。

 1年のときは、なぜか自転車のぶつけ合いが流行っていました。同級生の自宅が自転車屋で、修理してはまたぶつけて・・・と、自転車は漕ぐとギコギコと金属音がしてました。あとは校内外で「ページ1」とか「大貧民」とかのトランプが盛り上がっていました。高3からインベーダーゲームが出現した時代です。まだまだ子供でしたね。

 2年では、操山にいくつかほら穴があるのですが、そこでたまにクラスの仲間と宴会をしていました。
 私とN君が山岳部ということで、鍋とか器具一式を調達できたからだと思います。具材や出汁をなんでもごった煮にして、わけのわからない味をあえて楽しみました。 馬鹿騒ぎが好きですぐに盛り上がる楽しいクラスでした。特に先生達の物まねが一番受けますね。

 3年は何といっても運動会の仮装行列です。我がH組はスフィンクスを作りました。頭頂部で女子が数人踊るのです。 (D組の高さ8mのマジンガーZが燃えた事件の影に隠れてしまい、当時は目立たなかったかも知れませんが・・・)
 京山近くで竹を大量に切り出して組み立てました。運動会当日に心棒の一つが折れ、車輪が動かなくなり、男気あふれるH君の応急処置で仮装行列を奇跡的に行進することができました。
 私はHR委員という立場でしたので、あのときのH君の勇姿に感謝感激したことをよく覚えています。運動会が終わって、クラスの一体感がさらによくなりました。

北アルプス 裏銀座 縦走 (1977年 夏山合宿) 中央:筆者

山岳部 手作り登山パンフレットなど

 部活動は山岳部でした。現在は女子が全国大会で好成績を連発しておりますが、私たちの頃は部員が少なく、オープン参加がほとんどでした。

 1年のとき、1年部員はN君と二人きりで、よく二人で操山を走ったり、レンガと水筒で10キロ以上にしたキスリングを担いで歩いたり、まじめに練習したものです。なんとか人数を集めて大会に参加しても中国大会岡山県予選で惜敗でした。

 でも先輩、同期、後輩と顧問の先生方と同じ釜の飯を食い、北アルプスをはじめ、岡山・四国の山々を歩いた思い出は一生の宝物です。この感動体験が屋久島移住につながっていると思います。

 さて卒業後は、東京の大学に進み、それから30年間の東京生活。26年間のサラリーマン人生を送りました。仕事は新聞社の子会社の映像プロダクションで美術教育映像、社員研修ビデオ、ゲームソフトなどをプロデュースして、楽しくもそれなりに忙しい毎日でした。

 そんな私が、初めて世界遺産の島、屋久島に来たのは、2003年8月、42歳の時です。この3泊4日の家族旅行で、すべてが決定しました。

 南国特有の青い空に青い海。夜は、天の川まですべて見える満天の星。珊瑚のきれいな透明な海。今まで飲んだ事のない超軟水のおいしい水。水がおいしいから、ご飯や野菜や豆腐もおいしい。
 

映画「もののけ姫」のイメージの基となった白谷雲水峡の苔むす森。木霊がいそうです。

屋久島と言えば、縄文杉。登山には往復10時間かかります。

 

家から見える朝日。毎朝パワーをいただいております。

 虹がくっきりと半円を描いている事にも感動しました。なにもかもが素晴らしく、感動の連続で妻と2人ここに住もうと決めたのです。
 人生なんてあっという間、思ったら即行動です。

 翌年2004年の5月には再度来島し土地探しを始め、7月に海が目の前の土地を即決で購入しました。その頃は2007年夏に移住する計画でした。

 屋久島で仕事をするため、当初は土日だけ学校に2年通い、整体気功師の認定を取ったのですが、島での商売の現実は厳しいことが次第にわかり、東京で出来るだけ稼いで、悠々自適のスローライフ生活をすることに考えを改めました。 

 そんな計画ができたのも、夫婦共働きで、子供がいなかったからだと思います。
 仕事も忙しかったけど、家を建てるための業者選定に時間がかかりました。2008年秋から工事が始まり、結局家が完成したのは2009年5月でした。

 更に、いざ会社を辞めるとなると仕事の引継ぎが大変で、実際会社を退社できたのは2010年5月末、49歳の時でした。


 というわけで、念願の屋久島での生活を始めてまだ1年です。 夫婦と雌猫1匹の生活です。日の出とともに起き、畑作業、趣味の映画グッズ整理、ギター練習、パソコン、テレビ、たまに山歩き、釣り、磯物採り、シュノーケリングなどをして、夜12時頃就寝です。

筆者 近影

 働いていないため、だんだん土日や休日の感覚がなくなってきており、正月でも1日のサイクルは変わりません。この生活が体にあったのでしょう、1年前はメタボ予備軍でしたが、半年で自然に10キロ痩せました。

 東京では毎日マッサージチェアのお世話になり、更に週に一度マッサージを受けるのが恒例だったのですが、今では自宅のマッサージチェアでもほとんど使わないぐらい、自然にコリがなくなりました。

 近隣は全国からの移住者ばかりの土地です。ご近所のハワイアンバンドにギターで参加させてもらい、3月にはチャリティーライブをやりました。東京ではヘビメタバンドだったのに、環境が変わると音楽も変わるものです。
 
 ちょっと早めにスタートした第二の人生ではありますが、今後、自由な時間をどう使うかは自分でもわかりません。ストレスを溜めず、夫婦と猫とで生き生きと末長く暮していく。これで十分です。

 同窓の方で、屋久島にお越しになるとか、島にご縁がある方とかいらっしゃいましたら、先輩・後輩関係なく遠慮なくメールください。観光案内でも送迎でも何でもします。

 最後になりましたが、この度の地震で被災された同窓会員の方々へ心よりお見舞い申し上げます。


 

   
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