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世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)
山本秀也  (昭和55年卒) 米国・ワシントン(コロンビア特別区)

Change〜オバマ政権の誕生をみつめて

CNNテレビのアジア特派員を長く務めたレベッカ・マキノン
香港大学准教授(右)と米下院の公聴会で記念写真。
筆者(左)とマキノン氏は北京で取材現場をともに駆け回った仲

 みなさん、こんにちは。昭和55年卒の山本秀也です。

 勤め先の新聞社(産経新聞)のワシントン支局長をこの正月まで約4年間務め、1月初めに帰国しました。

 朝日高同窓会の運営するこのウェブサイトでは、前回「メディアウォッチ」の欄で中華圏滞在10年の経験をお話しさせて頂きましたが、2度目の登場となる今回は、2006年から滞在した米国の首都ワシントン(正しくはコロンビア特別区ですね)での経験をご報告したいと思います。

 ここでかつて机を並べた同級生からは、「あいつがワシントン特派員?」という声が聞こえて来そうで怖い。

 大学では専門の中国研究にかまけてほとんど英語の勉強をしなかったので、カリキュラムに従った英語学習の機会といえば朝日高時代が思えば最後でした。

 英語の授業なら1度当てられれば後はしのげるでしょうが、仕事となると東京との時差をにらみながらCNNテレビが中継する大統領演説なんぞを原稿にして送らなければならず、教科書に顔を隠して逃げおおせる高校時代の得意技は通じません。

 政策発表の演説は米東部時間(標準時だと日本との時差は14時間)の昼前になることも多く、最終版の締め切り時刻(日本時間の午前1時すぎ)が迫るなか、随分と胃の痛む日々でした。


◆政権交代

 ワシントン支局に赴任したのは、2006年の2月初め。「テロとの戦い」の最前線とされたイラク戦線で米兵の死者が急増し、ブッシュ政権の支持率が急落する最中での着任でした。この年の11月に行われた2年に一度の中間選挙で与党・共和党は大敗し、その結果、ブッシュ大統領のレイムダック化と、2008年大統領選の前哨戦がともに1年間の前倒しで始まるという興味深い政治状況にぶつかりました。

2009年1月に行われたオバマ大統領就任記念パレ
ードのリハーサル風景。 リハも本番も厳寒の中で

ホワイトハウスの記者会見場。
ふらりと現れたのはオバマ大統領(写真一番奥)

 2008年大統領選の結果はご承知の通りですが、当初は上院議員だったバラク・オバマについてワシントンの政界周辺で情報を集めても、「演説はうまいがまだ1年生議員だよ」「リベラルに傾き過ぎでは」という懐疑論や、もっと露骨に「…黒人が?」という声(しかも民主党の関係者)が大勢を占めていて、前哨戦の段階で「米国史上初の黒人大統領誕生」を言い当てた政界関係者やジャーナリスト、つまりワシントン政界の「プロ」は決して多くありませんでした。

これが本物のシークレットサービス。
耳には無線機のイヤホン、左の
腰の膨らみはもちろんピストル

 余談ですが、オバマ大統領は1961年8月生まれなので、仮に朝日高に在学していたなら、私と同じ昭和55年卒の同級生だったはずです。

 オバマ陣営のキャッチフレーズ「Change: Yes, We Can」は、おそらく現役の朝日高生なら大体が知っているほど、日本でも有名になりました。

 オバマ候補の選挙遊説を取材するたび、会場を埋めた聴衆が熱狂的に叫ぶこのキャッチフレーズに圧倒される思いでした。党内ライバルのヒラリー・クリントン陣営や共和党の集会では決してみられない光景でしたが、全米を席巻した「change」のうねりは、共和、民主という既存政党の枠を越えて、ワシントンを牛耳った政治のプロに対する大衆の挑戦を鼓舞し、現状打破(すなわちchange)を訴える選挙戦略に他ならなかったのですね。

 大統領就任後も、アフガニスタンへの兵力増派や医療保険制度改革といった難題にぶつかるたび、地方遊説を繰り返して選挙民に直接政策を訴えかけるオバマ大統領の政治スタイルは、依然として政界のプロよりも大衆に依拠するオバマ流だといえるでしょう。それがオバマ大統領の強さであり、おそらく同時にアキレス腱ともなるように思えるのです。

 

◆ワシントンで暮らす

 米国のどこで暮らせば、「最も米国らしい」経験ができるのか?これは難しい質問です。わけても在米の日本人駐在員の集まる拠点といえば、ニューヨークとロサンゼルスが東西の両横綱であって、メリーランド、バージニア両州の隣接地を含めたワシントン首都圏は、日本人向けサービスという点では過疎地といってよいでしょう。

 「ワシントン通」を自認する向きは官僚、学者、企業関係者やジャーナリストに数多くいるのですが、一方でビギナー向けの情報もことワシントン首都圏に関しては日本で決定的に不足しています。ワシントン赴任を言い渡された直後、東京・丸の内の丸善書店を探してみて、まともな首都圏の地図1枚手に入らないのに驚いたほどです。

 冒頭の疑問に戻ると、ワシントンも米国の堂々たる首都とはいえ、広い米国を代表することのできる土地とは絶対にいえないでしょう。連邦の政治機能が集中するワシントンの北西区では、最大の関心はパワーゲームであって、パーティーの話題といえば天下国家を論じる高説から政治に絡む人のうわさばかり。ロビイスト御用達の高級レストランはあっても料理の味が取り立てて洗練されているわけではなく、基本的に料理自体を楽しむよりも、知る人ぞ知る高級かつ閉鎖的な社交クラブの正餐用食堂に招かれたとか、有力者や著名人の誰それとメシを食べたかでディナーの満足度が決まる街です。

ホワイトハウスとならんで筆者が頻繁に通ったキャピトルヒル
(連邦議会議事堂)。春の桜に劣らず、冬の夕映えもきれい

 服装もまたしかり。色や形などTPOに合わせた服装のルールは厳然と存在する一方で、ニューヨーカーのようなファッションにワシントンの住人はとんと関心を払わないのです。こと服装に関して「おしゃれ」は一義的に重要ではない。極端に言えば、郊外のショッピングモールで買った吊しのバーゲン品であっても、タキシードや型通りのドレスでさえあれば、ホワイトハウスの晩餐会に出かけても気後れする必要はありません。ワシントンのインナーサークルで大事なのは、「ホワイトハウスの招待客リストに名を連ねること」。万事がこんな調子なので、およそ米国政界に興味が持てるか否かで、ワシントンライフへの受け止め方には大きな差が出るに違いありません。

 ホワイトハウスに出入りした回数だけなら私も立派なものなのですが、これは当たり前。担当記者として敷地内にある記者会見場に通ったからで、残念ながら晩餐会に招待されたことなどは一度もありません。もっとも、大統領がふらりと記者会見場に姿をみせて居合わせた記者の質問に答える機会もままあったほか、ファーストレディーがホワイトハウスのオーブンで焼き上げたジンジャークッキーが記者団に振る舞われることもあり、ホワイトハウスでは単なるニュース取材にとどまらない体験をすることができました。

 約4年間の滞在で大いなる米国にどこまで食らいつけたのかは心もとありませんが、母校の角帽に込められた「fair and square」の理念は、米国の政治家や識者と向き合う上でいつも私の支えとなりました。操山のふもとで学んだ時間はわずか3年でも、世界に通じるこの教えは、卒業から30年が過ぎてなお色あせることなく輝いています。
 


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