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国内で活躍する同窓生(敬称略)
弓崎秀二 (昭和 48年卒)    愛媛県松山市在住

四国松山から

 岡山の同期から「四国からの寄稿が少ないので……」との連絡をいただき、筆をとっています。
 振り返ってみれば、我が校は、大学進学のときから関東方面へ進学する人が多かったので、岡山より西に在住のOBは少ないものと思います。
 小生、大学卒業後、愛媛県松山市に住み着いておりますので、まずは、簡単に当地の紹介を。

道後温泉本館

 三千年の歴史 さらに「坂の上の雲」

 「いで湯と文学のまち」が松山市のキャッチフレーズですが、四国松山と聞くと、まずは「道後温泉」でしょうか。

 日本書紀にも登場し、聖徳太子も湯浴みしたと伝えられる日本最古の道後温泉は、やはり、当地の顔です。最近では、道後温泉本館が、宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」の「油屋」のモデルとして人気を集めました。

 あまり知られていませんが、市内には、温泉がいくつも点在しており、それぞれの泉質や施設の特徴もあって、銭湯感覚で「今日は、○○の温泉に行こう。」と気軽に言えるのは、当地ならではの贅沢さです。

 また、市内南部を流れる重信川流域では、伏流水(地下水)が豊富で、拙宅では、弘法大師が杖を突いたところから湧き出たと伝承される名水百選の一つ「杖の渕(じょうのふち)」が、車で5分ほどの距離にあるため、湧き水をポリタンクに汲み置きして、飲み水や料理に愛用しています。

「杖の渕」の水汲み場

 近年、夏場の渇水が多く、雨水には不自由しますが、普段の生活では、温泉、湧き水と、地下水に恵まれた土地柄です。

 一方、松山市のキャッチフレーズの片割れである「文学」では、夏目漱石の「坊っちゃん」や正岡子規を思い出される方が多いと思います。

 この年末からは、NHKで司馬遼太郎の代表作「坂の上の雲」がドラマ化され3年間にわたり放送されます。正岡子規を始め、日露戦争で大きな役割を果たした秋山兄弟などが登場し、彼らを育んだ故郷、伊予松山も描かれると聞いております。

 彼らも仰ぎ見たであろう「松山城」を始め、当時を髣髴とさせる「坊っちゃん列車」(小説「坊っちゃん」の中で、「マッチ箱のような」と書かれている汽車の復刻)も街中を走っております。

「松山や 空より高き 天守閣」     子 規



 

坊っちゃん列車 松山城

 35年ぶりの同窓会「浦島太郎状態!」

 もう1年前になりますが、昨年8月に昭和48年卒業生の同窓会に参加させていただきました。元々が転勤族であったため、岡山には実家、親戚等がなく、卒業以来35年ぶりの参加でした。

初めて参加した 平成20年8月の卒業35周年同期会

 分かりませんねぇ!ごく一部の人を除いて、誰が誰だかさっぱり分かりませんでした。「面影」はあるが「見る影」は無いと言うか。とりわけ「初々しさ」の替わりに「妖艶さ」を手に入れた?女性陣にはお手上げでした。

 所要のため早めに退席させていただいたのが残念でしたが、会に合わせて企画していただいた「特別授業」では、日本史の後神先生の謦咳に接して在学当時を懐かしく思い出し、学級担任の鴨頭先生には、親しく声をかけていただいて、できの悪い生徒を覚えていてくださったかと、感激しました。恩師はありがたいものです。

 はつらつとした(ボサボサ頭の)青年教師であった鴨頭先生も既に退職されたと聞き、高校生であった自分も、定年が近い年齢になっていることとも合わせて、過ぎてみればあっという間の35年の長さを改めて噛みしめた同窓会でした。

 

背番号は年齢に合わせて「54」

 20年ぶりの挑戦 「元気が一番!」

 今年になって、20歳台にやっていたサッカーを再開しました。ポジションは、出場機会を確保するため、チームではなり手のないキーパー。

 そもそも身長が足りないうえに、経験の無さ、メタボ、筋力の衰え、ブランクの長さ等々、悪条件が重なっているため、添付した写真を撮った後の試合では、7点とられてボコボコにされました。

 また、つい先日の試合でも、ゴール前の攻撃側突進をかわしきれず、相手フォワードと正面衝突して口の中を12針縫う傷を負ってしまいました。

 20年ぶりの挑戦は、やや無謀であったかとの思いを内心では抱きつつ、チームメートの手前、いまさら「やめた。」とも言えず、「また遊びに行くのか。」と言いたげな家族の視線を振り切って、週末になると、対戦相手を求めて県内をさまよっております。

 「送られて 一人行くなり 秋の風」    子 規

 いくつになっても元気が一番!
 

   
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