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特急はやぶさで熊本へ |
今年5月29日は岡山中学出身、つまり我々の大先輩である文章家・内田百閧フ生誕120年だった。百閧ヘ岡山区古京町に明治22年に生まれ、その生後三日目に岡山区は岡山市になるのである。だから岡山市も今年120周年になる。
僕が百閧フ顕彰活動を始めたのは、岡山市制100周年の目玉として取り上げてもらおうと考えたからだった。当時旭川そばの三光荘を建て替える話があり、それなら地元出身の百閧テーマにしたらどうかと、これまた先輩の長野知事に提案したのがはじまりだ。僕も知らなかったが、長野さんは大の百閭tァンであり、三光荘に百閭Rーナーを作ることを即承諾してくれた。
だけど僕は岡山の行政は広報下手だなと感じていた。だから市民運動でいろいろ話題づくりをして盛り上げようと考えた。それで「故郷阿房列車」というイベント列車を20回も走らせるなど楽しいイベントを連発して盛り上げを図った。その過程で福武書店から百阨カ庫が出版され、その影響で黒澤明監督が百閧主人公にした「まあだだよ」という映画ができた。
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百閧ェ9回も行った八代のお殿様と |
また百閧フ精神を岡山のまちづくりに取り込もうと、京橋朝市を考案したり、岡山城築城400年記念事業や後楽園築庭300年事業を提案し、いずれも多くの方に楽しんでいただいたと思う。実はそれほど百閧フ持っている要素は現代に大きな価値をもっているのだ。
しかしいまや岡山で一番有名な作家だと全国から評価されているにもかかわらす、岡山の方々の百阨]価はまだまだ低い。そこで今年はさまざまなイベントを復活させ、岡山県が撤退を考えている百阨カ学賞についても、継続を模索しようとしている。また岡山県郷土文化財団にたくさんある百闊笊iの常設館での公開をめざしたいと思う。
百閧ヘ文壇の借金王といわれているが、その独特の金銭感覚は「お金と心の関係」を実に上手く語っている。「お金は物ではなく状態だ」とか、「借金のないものは心が貧しい」とか、お金の本質をついた言葉をたくさん吐いている。だから百閧読んでいれば、今回の金融バブルの崩壊などは当然のことながら予測できるというものである。
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古京郵便局横の生家文学碑 |
百阨カ学の面白いのは、長編小説はほとんどないが、文章家といわれる通り、随筆の中に様々な哲学的命題と回答がさりげなく語られていることである。だから百閧フファンになる人々は決して多くないが、一度百閧ノはまると一生抜け出せなくなるほどの魅力を持っている。百閧フ本は所有者が亡くならないと古本市場に出ないという、だけど亡くなればまた必ずどっと古本市場に出でくる、ほとんどの遺族には理解されないからである。
百閧フ特徴の一つは、鉄道、猫、お酒、飛行機、豪華客船、御馳走、お琴、俳句など趣味についての文章からファンになる人が多いことである。「日本で初めてぜいたくを語った人」という評価もあるくらいである。しかし一方で百閧ヘ一生心の病で悩んだ人でもある。もちろん作家家業というのは精神を削って創作するような業界だし、人並み以上に感受性がなければ勤まらないものだから、当然といえば当然だ。
百閧フ師である漱石も胃潰瘍をわずらい、友人の芥川は薬の飲みすぎで亡くなり、百閭tァンの三島は自決した。百阨カ学の深さは、お金の苦しみ、家族との葛藤、心の病の悩みなど人生の影の部分の影としての明るさによるものだと思う。
私は百阨カ学を「苦笑いの文学」と定義している。映画「まあだだよ」に出てくる百閧ヘ単に笑うだけで、この「苦笑い」の部分が表現されていないので、百閧フ熱心なファンはあまり評価していない。ただ黒澤監督はむしろ百閧ニ弟子たちの関係を通して、監督と黒澤組の人々語ろうとしたのだと、私は理解している。
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百閭uロンズ像(三光荘) |
百閧ヘ鉄道をこよなく愛し、特に食堂車が好きだった。「食堂車で食べる食事にはスピードという味付けがある」というのである。ところが食堂車どころか近頃は百閧烽謔ュ利用した寝台列車もどんどんなくなっている。そこで山陽新聞の生誕120年の取材で、最後の寝台特急に乗って東京から熊本まで行ってきた。私が百閧ノ成りきったこの模様は山陽新聞に5回にわたって連載された。
また、食堂車再現ということで、岡山電気軌道のMOMOを使った御馳走電車も走らせた。こうした文化的無駄やぜいたくこそが、経済危機を救うことになるという百閧フ主張を、広めていきたいものだ。つまり文化とか遊びとか、デザインというものが一番付加価値の高いものだということである。これからの日本の生きていく道は、単なる量産によるものづくりだけではだめで、ウィットに富んだ楽しいものづくり、楽しいイベントづくりにあるのだということを、百閧ヘ語っているように思う。
昭和48年卒 百鬼園倶楽部(内田百闌ー彰会)
会 長 岡 将 男
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