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国内で活躍する同窓生(敬称略)
生駒 琢一 (昭和48年卒) 岡山市

操山の多宝塔

 朝日高の裏、操山の山麓に二層の仏塔が佇んでいるのを覚えておられるでしょうか。 今はかなり木々が生い茂り、見え難くはなっていますが、「後楽園の借景の塔」と言えば、思い出される方も多いかも知れません。

 その多宝塔や、「みかいの赤門」として知られる仁王門を伽藍に持つ国富の寺院、安住院の住職として生活しております。操山の周りには結構多くの寺院が点在しますので、判断し難いかも知れませんが、地図やホームページにて確認下されば、直ぐに理解出来ることと思います。

 高校卒業後、大学時代を含め10数年関東地方で生活した後、昭和63年に先代の後を継ぎ住職になり、はや20年近くが経ちました。

 宗教とは全く関係ない大学を出て、技術者として会社勤めをしてましたので、180度の転換に最初は戸惑いも有りましたが、やっと最近は檀家さんにも住職と呼ばれる僧侶になったような気がしています。

 一生修行という意味も何となく理解出来る年齢になったのかも知れません。仏前での勤行も、檀信徒の前での法話も、自然体が重要です。心の時代と言われて久しいですが、なかなか説明するだけで理解出来るものではありません。日々の生活の中から少しずつ無理せずが大事なのではないでしょうか。

 よく会社勤めが現在どのように役に立っているかと聞かれますが、高校・大学時代を含め、その時に培って来た人間関係や様々な人との出合いの大切は、非常に重要なことでした。本やインターネットでは決して分からない体験が出来たことの意義を感じています。

 高校時代の思い出と言えば、やはり烏城高校のみなさんと同じ机であった木造教室から、新築の鉄筋校舎への移動ではないでしょうか。その校舎も昨年更に新しい校舎に移動され、校内も様変わりしてきました。

 小学校時代からよく通り馴れた場所ですので、時代の流れを近くで見てきただけに、いろいろの思いが過ぎります。市内でも有数の広い校内敷地を持つ高校ですから有効な活用が出来ることと思います。今でも檀家参りなどに校門横を通りながら、懐かしく思うこともしばしばです。

 仕事柄、自宅に居ることの多い関係上、卒業生の方々と会う機会は少ないので、寺までおいで下さる方がとてもうれしく思えます。今でも多少の下宿生も居るようですが、当時や更にもう一世代前にはかなり多くの学生達が近くに下宿され、学校まで通っていたことと思います。その時代を思い出せる一つに、塔や門などを含め安住院の境内があってくれればと願いを持ち続けています。

 安住院は天平勝宝年間に建立の約1200年の歴史をもつ寺院で、私で住職第95代であると言えば、古さでは岡山市内随一です。そして操山の中腹に建つ多宝塔は、元禄七年(1694)岡山藩主池田綱政公に再建を願い出、公は名園後楽園の遠景・借景として着手し、次の藩主継政公の代、寛延四年(1751)に完成の、江戸時代中期の塔であり岡山県指定重要文化財でもあります。

 その多宝塔が現在250年ぶりの解体修理を行っております。屋根葺替等の修理は何度か行われて来ましたが、今回のような解体修理は創建以来のことで、平成22年の完成を目指しています。

 この複雑な塔を造り上げた江戸時代の職人さんの技術は眼を見張るばかり素晴らしいものですが、それを支え護ってきた岡山の地元の方々の想いも素晴らしいものであると考えています。

 伽藍を維持する、文化財を護るということだけなく、この塔が岡山の中心部に重要な位置を占めているものであると確信しております。信仰の対象だけでなく、景観として無くてはならないものとも考えます。そのような建物を将来のために残していくだけでなく、操山という自然環境も大切にしたい、そのようなことも考えながら、日常の檀務にも境内整備にも努めています。


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