シニア海外ボランティア 日本のODAで建設した水道施設のゲート。 日の丸の右側がザンビアの国旗。 JICAシニア海外ボランティアとしてザンビアに派遣されて1年3ヶ月になります。この派遣が決るまでザンビアという国名さえ知りませんでした。友人・知人に話しても知っている人は殆んどいません。このレポートをお読みの同窓生の方々も同じではないでしょうか。ザンビアは南部アフリカの内陸国です。現在は政情も安定しており、ヴィクトリアの滝以外には観光資源も乏しいということで日本のマスコミに載ることは殆んどありません。また地下資源も銅を除いては何もありません。だから日本との経済交流も少なく総合商社の事務所もありません。ただ大手企業としては清水建設が入っており、主としてODA事業として道路建設などを行っています。日本のNGOもいくつか入っており、岡山に本部を置くAMDAも結核対策などの事業を行っています。 針金細工の手作り自動車。 乗用車、トラック、そしてトレーラー まである。 先ほど経済交流は少ないと書きましたが、実はザンビアの輸出相手国として日本はベルギーに次いで2位の地位にあります。 輸出品目としては硬貨材料としての銅が中心です。輸入相手国として日本は、南ア、イギリス、サウジアラビアに次ぎ4位になります。日本からの輸入品目は多分自動車、それも中古自動車だと想像しています。街を走る車は90%以上が日本車ですから。元イギリス植民地のザンビアでは車は左側通行ですので日本車はその点でも都合が良いわけです。 ザンビアは1964年独立するまでは北ローデシアと呼ばれていました。この名はイギリス国王から開発利権を買った実業家、ジョーン・セシル・ローズの名に由来するものです。ちなみに南ローデシアは1980年独立してジンバブエとなります。1964年というと昭和40年朝日高校卒業の我々が高校2年生の頃です。ですから我々以前の世代にとってはローデシアの名が記憶に残っているのではないでしょうか。 我家の外観。ルサカ市の中心近くにあるが緑が豊富。 窓や出入り口には全て泥棒よけの鉄格子が入っている。 私が住むザンビアの首都ルサカは南緯15.25°付近で、南回帰線よりはるかに赤道に近い所です。岡山は多分北緯34°〜35°だと思います。これから想像すると相当暑いように思われますが実はそうではありません。標高が1,200mと高くしかも湿度が低いため、いわば高原性気候で意外に過ごし易いのです。日射しがきついので直射日光を浴びると相当暑いですが日陰や屋内は涼しいのです。だから我が家にはエアコンはおろか扇風機もありません。 食事時、熱いものを食べるとさすがに暑いのでその時はうちわを使います。このうちわ、日本の街で宣伝用に配っているのを大量に確保し持って来たものですが、お土産としてザンビア人にあげたところ大好評でした。聞きつけた職場の同僚が我も我もと貰いに来てあっという間に売り切れました。 代表的な民家の作り。 その形を見てヨーロッパ人はマッシュルームハウスと呼ぶ。 1棟1棟は小さくて、用途毎に1棟建てる感じだ。 ザンビアの季節は12月〜3月までの雨季、4月〜7月までの寒い乾季、8月〜11月までの暑い乾季の3季に分かれます。4季が当然と思っている日本人にとって3季は何となく勘が狂います。 今(1月)は雨季の真っ最中です。ザンビアの農業は、一部白人が経営する農場を除いて、天水が頼りです。雨量によって主食メイズ(トウモロコシ)の収穫量が左右されますので、農民のみならず皆雨量を気にしています。 今年はよく降っていて一部地域では水害が発生しています。 寒い乾季といっても寒いのは日没後で昼間は暖かいです。でもザンビア人は寒がりですからダウンジャケットや厚手のコートなど着ています。ちょっとアフリカのイメージから外れますよね。 大雨の後のコンパウンドはいたる所水浸し。 これがコレラ流行の原因にもなる。 ヴィクトリアの滝の観光にはこの頃が最適だと思います。雨季の後で水量が多い、雨が降らない、寒いといっても日本人にとっては快適な気温という条件が揃っていますから。 暑い乾季は風の季節から始まります。突風が吹いて砂埃を巻き上げ、視界が悪くなることさえあります。細かい砂が部屋の中にまで入り込むのでパソコンなど精密機器の管理には気を使います。そしてほんとに暑いのは10月下旬から11月にかけて。でも日本の猛暑ほどではありません。夜になっても室内の寒暖計が30度より下がらない時期が2週間ほど続きますが、防犯上窓を閉め切って寝てもなんとか眠れます。 チキン&シマ、すなわちチキン定食。 左側がシマ。手で食べる。 外国人にはナイフとフォークを用意してくれるが、 グニャグニャに曲がっている。 ザンビアの主食はシマといってメイズの粉(ミルミル)をお湯で練り団子状にしたものです。ザンビア人はこれが大好きでシマを食べないと食事をした気分になれないと言います。しかしシマの歴史はそれほど古くはなく以前はキャッサバなどを主食にしていたようです。 代表的メニューはシマ&チキンです。日本流に言えばチキン定食。写真左の白いのがシマ、右がチキンを煮たものに野菜が添えてあります。このチキンがビーフになったり、フィッシュになったりしますが、どこへ行ってもほぼ同じものが出てきます。 この写真は赴任先の学校の食堂で撮ったもので約180円。それでも現地の低賃金労働者にとっては払えなく、ほとんどの人が昼食抜きです。 日本人にとって美味い食べ物は見当たりません。中華料理店に行けば多少メニューの種類は増えますが、どの店へ行っても似たようなもの。日本料理店はありません。ザンビア在留の日本人は100人程度ですから日本料理店は経営が成り立ちません。一方中国人は10,000人程居るようです。 自動車の古ホイールを七輪代わりにして煮炊き。 レストランの裏舞台。 手作りビリヤード台で遊ぶ子供たち。 廃材を利用して作った。 ペットのカメレオン。 餌として与えたコオロギを背中に乗っけている。 コオロギにとっては最高の安全地帯。 コンパウンドの中の道端で、共同作業で炊事をする お母さんたち。 タイヤ転がし。 我々が子供の頃、自転車のリムで 同じような事をやって遊んだ。 ザンビアの政情は安定していると書きましたが一般犯罪は多く、治安が良いとは言えません。 私も繁華街を真昼間歩いていて路上強盗に襲われました。人ごみを歩いていたら突然目の前を大男に立ちふさがれ、横にも別の男が立っていて行き場が無くなりました。そして後ろから来た男に腕を掴まれかかったのです。何か声を掛けられましたがヤバイと感じ即座に腕を振り払い囲みを脱出しました。瞬間的に反応したので無事だったのですがもし躊躇していたら囲みを固められただでは済まなかったでしょう。 ところがその場を離れて30メートルも進むか進まないかの内にまたもや同じ手口で襲われそうになりました。この時もすばやく反応し事なきを得ました。しかしその後はその辺りの一人歩きはしないようにしています。 鉄格子は屋内の寝室へ行く 廊下にまで付いている。 自宅敷地内にも泥棒に侵入されました。今の住居に入居3日目の大雨の夜でした。雨音に紛れて侵入されたのです。そして水のタンクからの給水ポンプを盗まれてしまいました。 ガードマンを雇っていますが多分寝ていたのでしょう。朝になるまで気付きませんでした。寝るな寝るなと注意をしますが無駄ですね。人を変えても寝ないガードマンは居ません。 そして一回目の事件から丁度1年後、またもや事件発生です。今度はベランダの下にチェーンで止めていた自転車を持っていかれました。 2回とも建物内へは入られていないのが救いです。2回も侵入されるとなんとかしなくてはならないと思い、警備会社と交渉し、今はガードマン二人体制でやっています。 ある部族の祭り装束。 72ある部族がそれぞれ 独自の祭りを持っている。 ザンビアでは2つの法が同時施行されています。一つは近代法、一つは伝統法。近代法では一夫一婦制ですが伝統法では一夫多妻が認められます。どちらをとるかは本人の選択です。 我が校の前校長も二人の奥さんがいました。一人を自分の地元に置き、もう一人を赴任先ルサカに置いています。ある時二人目の奥さんに会った時、another halfだと紹介されました。Better halfじゃないのかというと笑っていましたが、あとで考えるともう一人の奥さんというシャレだったのかと気付きました。 近くの井戸から水を運ぶ少女。 ある地方隊員を訪問した時のことです。地方といってもルサカから僅か25kmほどです。地元の人の家庭訪問をするとこの人も二人の奥さんを持っていました。奥さんたちは同じ敷地内の別の家に住んでいましたが、家事や農作業を共同でやっており大家族を形成しています。この人は少し離れたところにもう一つの家、というより小屋ですが、を建築中でした。あれは何だと聞くと3人目の奥さんを住ませるのだとの答えです。奥さんを大勢持つと養育義務が大変だろうと聞くと、何も大変なことは無い。自分はマネージャーのように彼女らや子供たちにああしろこうしろと指示するだけだというのです。う〜む!ちょっと違うなあ。彼の本業は牧師で日曜日には教会で説教をしているそうです。 都会では殆んどが一夫一婦制を選択していますが夫婦の立場は対等とは思われません。我が校のセクレタリは働いているにも拘わらず金を持ってなく、いつも誰かに昼飯を買ってくれ、ジュースを買ってくれとねだっています。恥ずかし気も無くよく人にねだるもんだとあきれていましたが、多分家計は全て夫に握られており、家を出る時はバス代しか持たせてもらえないのだと思います。 木で作ったキリン。ザンビアの代表的民芸品。 最後に自分の仕事を紹介します。配属先は科学技術職業訓練省傘下にある職業訓練校で内容は日本のポリテクセンターに似ています。高校卒業者を対象とし就学期間2年です。その電気設備科でプログラマブル・ロジック・コントローラ(PLC)の技術指導をしています。 PLC技術はもともとのシラバスに含まれているのですが機材なし、教える知識なしで放置されていました。 そのため現在レクチャラーに対する個人指導と、学生に教えるためのテキスト作りに追われています。しかしレクチャラーは約束の時間には遅れて来るわ、連絡も無く平気で欠席するわでなかなか思うように進みません。これがザンビア流かと半ば諦めながら、2年間の任期中に何らかの足跡を残せたらと思っています。