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国内で活躍する同窓生(敬称略)
嶋 喜美子(昭和40年卒) 岡山県在住

備前焼の里から

池と窯場
 
 母校のホームカミングディに参加した日、古い木造の校舎を思い出しながら四十年ぶりに校内を歩いた。あの頃、皆について勉強する事に一生懸命であまり楽しい高校時代ではなかった。
 そのせいか、長い間同窓会にも出席していなかったが、世麗る会(四十年卒)の仲間の優しい誘いに励まされて出かけた日の事である。
 その日のオープニング、校舎の中庭で在校生管弦楽団の演奏にあわせて、卒業生一同で校歌を歌った。人の一生を太陽に例えるなら、私は夕日だと思うこの頃、「昇る日の名に負おう朝日、朝日」と歌えば、「日はまた昇る、朝日の如く生きたい」と、つい歌声にも力が入った。    

作品展より

 結婚以来備前市伊里に登り窯を築き、備前焼とともに暮して三十五年が経った。
私は夫の備前焼作家嶋幸博の傍らで、食器などの小物を作ったり、釉薬の器も作る田舎暮らしである。今では、息子も後継者として加わり家族三人で備前焼をしている。  

 私は平成十七年の秋初めて、銀座のギャラリーで友人と作品展をする事になった。
 岡山の同期生が、京浜地区の同期生にメールで作品展の紹介をしてくれ、思いがけない応援を貰った。ギャラリーに、卒業以来初めて会う友や、話をした事もなかった同期生も来てくれて賑わい、とても懐かしい出会いになった。作品展が終わると、世麗る会のホームページにまでのせてくれて、驚くやら恥ずかしいやら感謝で一杯。


 昨年秋の伊勢神宮への同期会還暦記念旅行を計画するにあたっても、世麗る会の仲間が何度も会合を重ねた。そして手分けして、電話での誘い合わせをした成果もあって、参加者が百名近くにもなる大修学旅行になった。髪の毛も薄く、体型が変わっていても心は高校時代にもどり、皆が青春のパワーを新たに呼び戻したようだった。
 学生時代のうぶで純な気持ちが、良い思い出となり、半世紀近く経って片想いの告白がいろいろあったと聞いた。同窓会の楽しみはこんな所にもあるようだ。  
還暦記念大修学旅行 (平成18年10月7日〜9日)

校章入りカップ

 その際、会の提案で仲間の協力のもと、朝日高の校章入り備前焼ビアカップの記念品を作り、皆さんに喜んでいただいた。
 卒業後四十余年にして知る数々の同期生の絆である。
 「世麗る会の幹事さん、大変お世話になりました」

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卓上花器

 若さとは無謀なもので、私達は三十五年前、資金が無いなかで、水道も無いこの地で登り窯を築いた所から始まった。今にいたれたのは、私達を支えてくれた多くの人たち、そして備前焼隆盛の良い時代だったと感謝している。

 備前焼は日本で一番古い焼き締めの焼物である。
釉薬を掛けずに直接焼くため、土の味わいが大切なので、備前焼の仕事は、土作りから始まる。初めに田の下に堆積しているひよせといわれる土を求め、それを長期に寝さして癖を取り、その後も手間、暇をかけて粘土を作る。

 出来上がった粘土は、寝させることで粘りが出て作りやすくなり、まるで土は生きているように思える。備前の土の粘りは、細かいものを作るにも大変都合がよい。大は大壺、大皿、コンポートから、小は香炉、食器、細工物までいろいろなものを作っている。
登り窯
作陶中の筆者
 大小千点ほどの作品を、登り窯に詰めて、松割木で一週間ほどかけて千二百五十度まで焚き上げる。登り窯の窯焚きは、昼夜交代で焼く長く油断のならない仕事であるが、それだけに面白い。温度が上がってくると、窯はまるで蒸気機関車のように、今にも動きそうな勢いで、焚き口から炎が噴き出してくる。四部屋にし切られている窯の一番手前の部屋から焚き上げて、次々と順番に温度を上げていき、一週間の窯焚きが終わる。
http://www.noborigama.saloon.jp/の「窯出、しました!」をクリックすると御覧になれます。)
 湿気や焚き方によって、作品の焼き具合はそのたびに違うので、二週間ほどさまして開ける窯出しは不安と期待でわくわくする楽しみな時である。
 さて、備前の花入れは、自然の色合いで花を引き立て、水が腐りにくいので花持ちもよい。また、昔から徳利の酒の味も良くなるといわれており、岡山の伝統工芸品、千年の歴史ある登り窯の備前焼の味わいは深い。    

 この伊里地区には国宝閑谷学校、藤原敬記念館があり、海と山に囲まれたのどかな所です。是非一度お出かけください。
      

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