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世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)
タージス 原田 泉 (昭和58年卒) アメリカ コネチカット州スタンフォード在住

 

 1996年にニューヨークに渡米して早くも10年が過ぎてしまいました。
始めは1年だけの人生経験のつもりが、いつのまにかこちらで永住することになってしまい、人生とは本当に分からないものだとつくづく感じます。
日本や故郷の岡山のことが懐かしくて、朝日高のHPを見つけたときは感動でした。同級生の方々は今どうされているのか、このサイトを通じて連絡が取れたらと思いこのコーナーに投稿させていただくことにしました。

近くにあるビーチ

  こちらに来ることになったのは、31歳のときNYのコロンビア大学の大学院に一年間編入することになったのがきっかけです。
当時東京の某英会話学校に講師として勤めており、1年間の武者修行のあと同校に復帰する予定でしたが、ニューヨークをあまりにも気に入ってしまい、日本に帰る機を逸してしまいました。

 ニューヨークというところは一度行くとクセになるところだと思います。とにかくエネルギーにあふれていて、つねに何かが起こっていて、毎日が冒険旅行のようでした。
 学生をしていたときはとにかくお金がないので住まいも家賃の安いハーレムにアパートを借りていました。友達連中は「ハーレム」と聞いただけで縮み上がってしまって誰もうちに遊びに来てくれないんですよ。
確かに地下鉄に乗っていても、ハーレムに近づくと何となく乗客の雰囲気が変わってくるんですね。けだるい感じに。そして地下鉄を降りてからアパートまで5分くらい歩くんですが、大体みなさんここから非常に緊張されるようです。
 周りはほぼ全員アフリカ系アメリカ人で、とりあえず見渡しても白人、アジア人はいないんですよ。実は私は中学生時代から黒人音楽が好きで、大学時代はジャズも聴いたりしていたので、もうこの環境が嬉しくてしょうがなかったわけです。
街中が音楽であふれていて、エネルギッシュで、近所の人たちも何かとやさしくしてくれたのでなんだか自分も彼らの仲間になったような気持ちになれました。

 こちらに残ることを決めてから隣のコネチカット州の学習塾の講師になったのですが、ニューヨークから離れたくなくて片道2時間の通勤をしばらく続けていました。日本人子女向けの学習塾ですから夜遅くまで教えて家に帰ると11時を過ぎているという毎日でした。夜中のハーレムを一人歩いて帰宅するのもなかなかスリルがあっておもしろかったのですが、1年後にコネチカットで今の主人と出会い、今はこちらでのんびり暮らしています。

コネチカットの自宅 家族写真

  現在は自然豊かなコネチカット州のスタンフォードというところで4歳の息子と1歳の娘の子育てで髪を振り乱して暮らしています。こちらの生活はニューヨークとは全く違って本当に平凡な常識的な暮らし、という感じです。まあちょっと退屈な部分もありますが、「お母さん」というなんとも平凡な仕事がハーレムでの貧乏暮らしより数倍大変だなとつくづく思います。

 不思議なご縁でベネッセさんのお仕事をインターネットですることになり、子育ての合間にチャレンジの原稿をチェックしたりしています。日本では女性が結婚して専業主婦としてりっぱに子育てと家事をこなしていくことが当たり前のように思われている部分があると思いますが、こちらでは結婚して家庭に入ってしまうとちょっと肩身が狭くなる気がします。
 女性でも仕事を持って収入があってこそ価値があるという感覚があるので、子供を預けて仕事に復帰する女性が多いです。ただ、子育てや家事をベビーシッターや家政婦にまかせっきりで本当にそれがいいことなのかどうかは疑問ですが。

長男出産をきっかけにキルト作製 2005クリスマス
幼稚園での日本の夏祭り 幼稚園の運動会−駐在員のパパたちと
  
この地域は日本人駐在員の家族が多く暮らしていて、日本人向けのスーパーもあるので、食べるものや日本人の友達には困らないです。日本人子女に対する教育機関も充実しているので、うちの長男も日本人向けの幼稚園に通わせてなんとか日本語を身につけさせようとしています。

 結婚してから岡山に帰っていないので故郷が懐かしくてたまりませんが、まだ子供が小さいので飛行機での長旅はあと2年くらいは無理かな、と思っています。

 朝日高の同級生で覚えている方がいらしたら是非ご一報ください。

 つたない文章ですが、読んでいただいてありがとうございました。
近くの中華料理屋さんで
おすしのテイクアウト


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