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コンサートポスター
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今年6月からはサッカーワールドカップドイツ大会が開かれ、ドイツ各地で熱戦が展開され、皆さんもドイツのことは承知されていると思います。
現在、私はドイツ中央部よりやや北寄りの山岳地方の小さな町Siegen(ジーゲン)に家族と住んでおります。近くのドルトムントは6月22日にサッカーで「日本×ブラジル戦」があった所です。そして、そこ(Siegen)にあるオーケストラでヴァイオリンを弾いています。(職業的には“コンサートマスター”というポジションを努めています。)
【朝日高校からドイツまで】
さて朝日高校への入学ですが、2人の姉が既にお世話になったということから、私自身は何の知識も無く入学させていただきました。生来「ボーッ」としている私ではありますが、それでもすぐに周りの人々が大変に優秀であり「これは大変なところへ来てしまった」ということに気づきました。それからは何とか皆について行くという高校生活でした。
しかしながら「できない高校生」としての暗い思い出はみじんも無く、すばらしい先生方、すばらしい親友に恵まれ その後の人生を貫いていく「自由奔放かつ自発的な」人生観はこのときに培われたものと思います。朝日高校伝来の「自由な気風」、これを私は個人的に最も利となるように解釈し、最大限に活用しました。ほとんどの時間をブラスバンド部のクラブ活動、休講になると旭川に出て舟遊び、そして中学より本格的に始めたヴァイオリン(専門にやるにはとても遅いスタートでしたが)の練習に当てました。その合間を縫って落第しないように勉学にも勤しんだのです。
このブラスバンドの仲間達(先輩・後輩共)とは後に東京へ出てからも厚い友情で結ばれ現在に至っています。そして岡山における木村義之先生(故人)のすばらしいヴァイオリンのご指導、高校の先生方(特に音楽の中山先生にはとてもお世話になりました)、友人、家族の理解に支えられて、「無理かも」と思っていた東京藝術大学にヴァイオリンで無事入学できました。
東京に出てからは生活のためにいろんな仕事をしましたが、それなりに充実したものでした。そんな中にあり特に楽しみにしていたのが朝日高校ブラスバンド部出身者のOB会に出席することでした。その時は東京にいることを忘れ高校時代に戻り大騒ぎしたものでした。皆様お変わりないでしょうか・・・?
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オープンエアーコンサート
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その後芸大大学院を修了し、さてこれから何をしようかと考えていた時に「ドイツに来ないか?」とお誘いがあり、成行きに任せてHildesheim(ヒルデスハイム)の歌劇場オーケストラのコンサートマスターに就任しました。
その仕事の傍らHannover(ハノーファー)国立音楽大学のヴァイオリン科ソリストクラスで勉強を続け、ここではドイツの伝統的な奏法に接することができました。ここの課程を終了する前に、現在いる「南ウェストファーレンフィルハーモニー」の主席コンサートマスターのオーディションを受けそのポジションを頂き現在に至ります。
少し戻りますが、本当はフランスで勉強を続けたくて、ドイツに来ることに関して悩んでいました。その時芸大の教授に「ヨーロッパは地続き、ドイツに行けばフランスにもすぐ行けますよ」と言われドイツ行きを決心しました。
ところが来てみるとドイツがとても肌に合いドイツに居座ってしまいました。ちなみにその後ドイツのケルンとフランスのパリにおいてフランス人の先生について勉強する機会にも恵まれ最初の夢もかないました。
以上が、私がドイツに落ち着くまでの経過です。
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教会での演奏
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【私が今住んでいるSiegen(ジーゲン)という町について】
地理的にはFrankfurt(フランクフルト)から北西へ130kmくらいのところに位置します。
そこからさらに120kmくらい北西に走ると 以前この「ワールドリレー」に登場された藤原真一さんの住んでいらっしゃる大都市Dusseldorf(デュッセルドルフ)に着きます。
オランダやベルギーから南下して来ると、このあたりは最初にぶつかる山岳地帯です。
ですから夏はバカンスに、そして特に冬はスキーもできてウィンタースポーツファンにはなかなか人気があります。
もちろん南ドイツ・スイス・オーストリーまで走れば本格的な雪山がありますが、そちらはちょっと遠いですね。
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タンゴの演奏
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この地方は当時、オランダの王家と深いつながりを持っていました。その関係でオランダの国王はいくつかのお城を残しました。そのうちのひとつがジーゲンに完璧な状態で残っています。
国王はこのお城を夏の避暑地として使っていたようですが、家臣の中にはここに移り住んだ人もいたようです(実はそれにもいろんな理由があるようですが)。
その中の一人は妻と共に生活し、やがて一人の男の子が誕生しました。そしてその子こそ後に世界的に名を残すフランドル派の大画家「ペーター・ポール・ルーベンス」でありました。
ですからこの町の人は自分たちの町を「ルーベンス誕生の地」として大変誇りに思っています。
お城も現在ではルーベンス美術館として使われているようです。(ちなみにルーベンスのその後の活動拠点はベルギーのアントワープでした)
そしてそのフランドル派の大画家ルーベンスを通じてベルギーとの親交を深め、現在ではこの町に住んでいるベルギー・ドイツの名士よりなるルーベンス協会(別名 ドイツ・ベルギー友好協会)というものがあり、私もそのメンバーに加えてもらっています。
この協会は 主にベルギー・オランダ・ドイツを中心としたヨーロッパの美術館めぐりをしたり、グルメなメンバーがすばらしいレストランを見つけ出して メンバー全員で食べ歩いたりと、いたって芸術的・文化的な活動を行っています。
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独奏の後で
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【オーケストラのこと】
さてドイツには日本に比べてかなり多くのオーケストラがあります。
大体は歌劇場付きのオーケストラなのですが、私が今居るのはいわゆる「シンフォニー・オーケストラ」で、ステージの上でオーケストラが主役として演奏するタイプのものです。日本のオーケストラはほとんどこの形ですね。
これに対して歌劇場では楽員は「オーケストラピット」という、お客さんからはあまり見えない半地下で演奏します。私たちもケルンやデュッセルドルフ、エッセンなどのオペラハウスで客演として数々のオペラ公演に参加しました。これはこれですごく面白いものです。
そして私達のオーケストラはその性格からいって、いろんな都市への客演が非常に多いのです。
ドイツ国内の北はハンブルグから南はミュンヘン、国外ではオランダ・ベルギー・フランス・イタリア・ギリシャ・スイス等のかなりの都市を訪問しました。
現代社会ではいろんなものがインターナショナルになったと言われますが、それでも私はやはりそれぞれの国の文化の違いを感じます。
面白かったのはフランス旅行のときのことです。フランス・ドイツ両国の文化の違いは皆さんがご存知のようにはっきりしています。
フランス人の生活様式からいって、彼らはドイツ音楽をあまり好きでない、と私は勝手に想像していました。
ところがフランスには熱狂的なドイツ音楽ファンがいたのです。我々ドイツからやって来たドイツのオーケストラがドイツ音楽で構成されたプログラムを演奏することが、彼らにとっては特別の意味を持っているようでした。
彼らはとても感激してくれて、演奏会後のパーティーでも自分達がいかに感激したかを熱く語ってくれました。
日本人の私がドイツオーケストラの頭(かしら)として演奏したことに対しては 特に何の抵抗もなくすんなり受け止めてくれたようです。
フランス人の彼らが素直に感動してくれたことは私にとってとても喜ばしいことでした。
またイタリア・ミラノのヴェルディが創設した音楽院大ホールでドイツプログラムを演奏した時も、同じ反響を得たことを覚えています。
すばらしいことでした。フランスはパリのオペラ座でも演奏。ミラノのべルディが創設したホールの場合と同じくこちらはオーケストラとしての活動です。
こうして日本人でありながらドイツのオーケストラの頭として演奏する機会を持ち、いろんなすばらしい体験ができることに感謝しております。
オーケストラから離れて宗教音楽(バロック)から招聘されての活動もありました。
・ バッハが生まれたアイゼナッハのバッハが洗礼を受けた教会でバロックの合唱団と共に彼の宗教音楽を演奏し、宗教音楽を教会で演奏できると言うのは普通のオーケストラ、ましてや日本ではできない貴重な体験でした。
・ ライプツィヒの有名なトーマス教会で、当時のバッハが弾いたオルガンと共にバッハの宗教音楽を演奏。(もちろん合唱曲も)この時はオルガンだけでなく、床板も当時のままで非常に感慨深いものでした。
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CDジャケット
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【今 はまっていること】
ドイツに来て最初、私がHildesheimで仕事を始めた時のこと、古典的なオペラに混じって、オペレッタ(喜歌劇)の上演もいくつかありました。
詳しい説明は省きますが、前者はシリアス、後者はお気楽と言う風に区別できると思います。そして後者のオペレッタの中に実にすばらしい音楽があることに気づきました。それは甘美なウィーン風のメロディーであったり、華やかなワルツ、あるときは哀愁漂うジプシーのメロディーと言ったものでした。
私はいっぺんにこれらのメロディーに魅せられました。そのとき以来私は普段はクラシックの音楽家、裏では甘美なメロディー・うら悲しいジプシーメロディーに酔いしれると言う 実にジギルとハイドのような2つの顔を持って生活しています。
この熱が高じて、これらの音楽をどうしても自分で演奏してみたいと思うようになり、自分のアンサンブルIL Piacere″を結成しました。
そして発足当時からドイツのお客さんにとても愛され好評をいただきました。
そして、いよいよ引っ込みがつかなくなり、レパートリーも今では全世界の親しみやすいメロディーを手当たり次第に取り上げて、お客さんの要望でCDまで出してしまいました。
今回は17曲録音しましたが、プロデューサーの話によるとこのくらいの曲数になると3ヶ月くらい時間をかけて、何日かに分けて録音するのが普通だそうです。
それなのに私達はたったの2日で全曲入れてしまいました。次回はもう少し時間が欲しいものです。最初はほんのお遊びだったのに・・・。
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CD作成のメンバー内の3人と
元ジーゲン市長(語りを入れてくださっている86歳の女性)
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内容はウィーンのメロディー、ジプシー音楽に加え イタリア民謡、フランスシャンソン、アイルランド民謡、南米タンゴetc.誰が聴いても楽しい(一番楽しんでいるのは自分であります)ものとなっています。
ちなみにIl Piacere″という名前の由来は 私たちがコンサートの後よく立ち寄る高級イタリアンレストランのオーナーで 親しいイタリア人ミケーレが我々と共に会話し我々の活動にぴったりの名前を探してくれました。
それがこのイルピアチェーレ(お気に入り)です。ジャンルを固定せず気に入ったものは何でもOKという意味が込められています。
【母校の管弦楽団のこと】
最近になって私は朝日高校に管弦楽団があることを耳にして、とても感激しました。
かつて私がブラスバンド部の活動に熱中していたことはお話しましたが、それと並行してヴァイオリンの勉強もしていました。
その頃 何とかこの2つを一緒にできないかと、ある文化祭で仲間を募り弦と管を混ぜた編成で、クラシックからポップまで取り混ぜたプログラムで演奏したことがありました。
しかしそれはその時の一時的な思い付きで終わってしまったのです。
ですから朝日高校管弦楽団の存在は私にとってすごくうれしい!すばらしいことだと思います。(もちろん当時のブラスバンド部もすばらしかったですよ!)
皆さんのご活躍とご発展をドイツより応援しています。何かお手伝いできることがあれば もちろん喜んで!
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家内と私
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【最後に】
私はいわゆる音楽バカで、何の構成も無く書き連ねた文章が音楽関係に偏り、読みづらいものになったことを反省しています。
しかしながら文章にはできなかったドイツの魅力・面白さは25年以上住み続けたことによりそれなりに判ってきたような気がします。
緑深い森、ロマンティックな歴史薫る街々、そして数多くの聖堂や教会、しかもそれだけではないドイツ。
この町SiegenからFrankfurtまで1時間ちょっと。
ドイツにお越しの際は是非連絡して下さい。近くには大学の町マールブルク、ゲーテが若き日に弁護士として住み、かの有名な『若きウェルテルの悩み』を書くきかっけとなったロッテという女性との恋が芽生えた町ヴェッツラーなど、普通の旅行ガイドには載っていない面白い場所も御案内できると思います。
それではまた、 アウフ・ヴィーダーゼーン! Aufwiedersehen!
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