13年間の遠距離恋愛
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写真1 我が家の猫 |
1992年の夏から、ニューヨーク州の片田舎、ウッドストックという名の町で暮らしている。家族はアメリカ人の夫と猫(写真1)。職業は作家で、ペンネームは小手鞠るい(写真2)という。
胸を張って、やっとこの頃、そう言えるようになった。
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写真2 ペンネーム 小手鞠るい
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大きくなったら作家になりたいという「ほのかな夢」は、小学校六年生の頃から、抱いていたという記憶がある。中学生になって、それはくっきりとした「あこがれ」に変わり、朝日高校時代はもっと具体的な「将来の目標」に変化していったように思う。だから朝日高校では青春を謳歌する暇もなく、京都の大学に進学するため、ひたすら受験勉強に励んだ。今思えば、笑ってしまうが、私はなぜか「作家になるためには、岡山ではなく、京都の大学へ行かねばならない」と、考えていたのである。
大学卒業後は、さまざまな職業に就いた。出版社の編集者、学習塾の講師、書店の店員のアルバイト、その後、やはり「作家を目指して」東京へ出て行き、出版社の営業事務職を経て、雑誌のフリーライターになった。その頃から、文芸雑誌の新人賞にせっせと応募し続けていた。
落選に落選を重ねる年月を経て、福武書店(現在はベネッセコーポーレション)が発行していた文芸誌『海燕』の新人賞を受賞したのは、アメリカへ移住した翌年のことだった。
めでたし、めでたし、と言いたいところだが、これが実は全然、めでたくなかったのである。
新人賞受賞というのは、会社員で言えば、入社試験に合格して、晴れて社会人になった、ということに過ぎない。つまり、作家の仕事はここから、本格的に始まるということなのである。
(1)新人賞を取るーーー入社する
(2)デビュー作が出版される。ーーー仕事に慣れる
(3)本がある程度売れ、増刷されるーーー業績が認められる
(4)さらなる文学賞などを受けるーーー昇進する
(5)読者層も広がり、部数も伸び、出版社から仕事の依頼が来るーーー仕事が安定する
作家という職業を、仮にこのように、5つの段階に分けたとして、どこが一番の難関だと思われるだろうか?
私の場合、それは(3)だった。
新人賞をいただいたのが1993年、デビュー作が出版されたのが1995年。ここまではまあ、これで良しとしておこう。しかし、出した作品が重版されるようになるまでには、なんと、それから10年という歳月がかかったのである。
その10年間、私は非常に苦しい闘いを続けてきた。
デビュー作は売れなかったし、『海燕』は廃刊になるし、書いても書いても小説は出版されず、鳴かず飛ばすの状態である。そんな中、やっとのことで出版にこぎつけた『それでも元気な私』(新潮社)は全く売れず、在庫が山積みとなり、新潮社には多大な迷惑をかけてしまった。こんなことで、作家として、これからやっていけるのか?
私は五里霧中、暗中模索、失意と絶望のどん底にいた(オーバーではない)。
作家の仕事は、作品を書くことである。作品を書くことだけに集中し、書くことだけに全身全霊で情熱を注いでいれば、それでいいではないか。
もちろん、その通りである。
でも果たして、本当にそれだけでいいのだろうか?
私は違うと思う。書いた作品が売れなければ、つまり読者の手に取られ、買われ、読まれなければ、それは作家が、好きで、あるいは自己満足で、書いているだけであって、作家としての「仕事をした」とは、言えないのではないかと思うのだ。
もっとはっきり言ってしまえば、作品が売れなければ、作家とは言えない。
そういうことなのだ。
これは、メーカーなどでお仕事をなさっている方ならきっと、頷いて下さるかと思う。どんなに素晴らしい商品を開発しても、それが売れて、普及しなければ、お話にならない。
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写真3 授賞式後の懇談会 |
2004年、新潮社から刊行された『欲しいのは、あなただけ』が、少部数ながら初めて増刷された時には、だから号泣したいくらいに、嬉しかった。この作品は1996年から書き始めて、合計六社でボツにされながらも、書き直し続けてきた作品である。
そして2005年、この作品は、第12回島清恋愛文学賞を受賞し、さらなる増刷を達成することができた。この時、新潮社の出版部長、佐藤誠一郎さんも、白山市でおこなわれた受賞式に駈けつけて下さった。佐藤さんは、朝日高校の一年先輩である(写真3 受賞式のあとの懇親会:左から4人目が審査委員長の渡辺淳一先生、その右が佐藤誠一郎さん、その右隣の三人目の女性が私)
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写真4 『エンキョリレンアイ』
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さて今年、私は『エンキョリレンアイ』(世界文化社)という作品で、勝負をかけている(写真4)。
これは、アメリカと日本に離れ離れになって暮らしている若いふたりが、13年間に渡って、相手のことを想い続けている、という純愛物語である。
書き上げたあとで、気づいた。
アメリカに渡って、丸13年。
新人賞をいただいてから、今年で13年目。
つまりこの作品は、小説に対する、書くということに対する、作家という職業に対する、私の13年間の恋愛の軌跡でもある。
ひとりでも多くの方々に、読んでいただきたいと思っている。
同窓生のみなさん、どうか応援して下さい。