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              仕事以外のボランティア話ばかりで、なんと物好きな奴だろうと思われるかも知れません。実際、物好きです。ただ、私が仕事を含め、全ての活動で心していることは、現場主義で事物を深く掘り下げて考えること、他人の痛みを想像し忘れないこと、謙虚な気持ちを忘れずバランスをもって行動することです。 
      難しいことですが、限りなく「そうありたい」と願うのは、多感な青春の一時期を過ごした朝日高校の剛毅の伝統、今でも付き合いの深い高校時代の親友たちの影響かもしれません。 
       
      【岡山中心市街地「落書き調査隊」隊長として】 
           
             
        
          
                
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                     県知事も参加しての落書き一斉消去風景 
                   
            
             
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             「落書き消しって、大変な作業だと思い込んでいたけど、けっこう楽しいじゃないですか」 落書き消去活動での参加者の感想です。 
            この4年間で延べ数千名の県民ボランティアが落書きを消しました。当然、本来の姿である「自分の家の落書きを自分で消す」人も増えています。 
            一時は「日本一の落書き県」とまでいわれた岡山が、今や「落書き対策先進都市」となりました。 
             
             3年前、近所のお寿司屋さんに巨大な猥褻落書きが書かれたことを契機に「落書き調査隊」なる市民ボランティアを結成し、街の人々の怒りと悲しみに触れて、「後に引けなく」なってしまいました。 
             
             調査の結果、空洞化と高齢化等による地域自治と地域教育能力の低下、街への社会的無関心の増大が、様々な「スキ」を生み、それが、落書きとして目に見える形ではびこり、重犯罪者を誘引しているのでした。 
            しかも落書き犯は、検挙を避けるため、小さな店舗や高齢者のお宅などに集中攻撃しており、犯罪者特有の「弱いものいじめ」のメカニズムが見えてきました。 
 
            
             
        
          
                
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                     市内高校生ボランティアによる落書き消し 
                   
            
             
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        落書きが蔓延しているエリアでは、一定の規模でまとめて消さなければ、いたちごっこになってしまうことがわかりました。 
      住民が消す意欲を無くしているエリアでは、ボランティアの支援が不可欠でしたが、人様の壁にペンキを上塗りするには事前の許可が必要でした。 
      ところが、一見遠回りに見える、地道な準備の中で、新しい地域交流が生まれていったのです。 
      「落書き一斉消去」なる、隊が提案した方式は、今でこそ、東京や大阪など全国で展開されていますが、もとはといえば、落書き犯罪に義憤を感じた、町内会・商店会の会員や、ボランティア、消防団、自治体職員、警察官、マスコミ関係者など、広範な市民が、全身ペンキまみれになりながら、試行錯誤のなかで生み出した御近所の妙案です。 
       
       それは誰でもできる簡単なものです。町内会の有志が散歩がてら日常的に巡回して落書きをチェックします。 
      落書き被害を住宅地図に落として「見える化」します。自主性を重視し、皆が消したくなるまで待ちます。消す時は、壁の色と同系異色のペンキで上塗りし、あえて消したことが判るようにし、住民の決意を世間に示します。 
      作業には、地域の人だけでもいいですが、自治体、警察関係者などもウエルカムです。 
      作業は1〜2時間程度で収め、明るく楽しくムリをせずに気長に続けます。傷が手当てされ、絆創膏が貼られたように見える壁は「教育の壁」に変貌し、問題提起を続けるのです。 
       
             
              
                
                
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                   付属小学校で落書き問題の出前講座 
             
              
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     この中で大きな発見がありました。子供たちが落書き消しを心から楽しむ姿です。 
      傷ついた街を汗を流して楽しく修復することで、「自分たちの街は自分たちが守る」という気付きが芽生え、後日、消した壁を気にして見ることで、街への関心と愛情が自然に育まれるのです。 
       
       我が国は犯罪が急増しています。 
      落書き蔓延エリアで犯罪が多発する傾向も問題視されています。 
      街の危機に際して、いち早く危険信号を発し、市民が具体的に取り組むことができる身近な題材の一つが落書き対策です。 
      ぜひ皆さんも落書きを見かけたら、消してみて下さい。意外に楽しいものですよ。 
       
       
            【虎頭要塞日本側研究センター代表として】 
       
             
              
                
                
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                   悪路を踏査中の第5回虎頭要塞日中共同学術調査団 
              
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        さて、実は、落書きのほかに、私が調査しているものがもう一つあります。それは亡き父(一中昭和12年卒)の遺志を引き継いで取り組んでいる中国の戦争遺跡・虎頭(ことう)要塞の調査・保存活動で、今年で9年目になります。 
 
       虎頭要塞は第二次世界大戦最後の激戦地と言われ、旧関東軍が当時の満州とソ連の国境に、当時の最新の築造技術を投入し、10年以上の歳月と2万人の中国人労働者を使役して秘密裏に築いた、東洋最大といわれる巨大な地下軍事要塞群です。岡山の経線と稚内の緯線が交わるあたりです。 
             
            
             
              
                
                
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                   虎頭要塞の巨大な列車砲格納陣地遺構 
            (鉄筋コンクリート製奥行75m) 
                   
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                  日中共同学術調査で 
                  ソ連製大型不発弾の状態を調べる | 
                 
            
             
       
             虎頭要塞は、国境線を越えてソ連領土の軍事拠点を砲撃し、ソ連沿海州のシベリア鉄道を分断してウラジオストックを孤立化するという途方もない戦略任務を帯びた重火力要塞で、10キロ四方の広大なエリアの10個ほどの山々の地下に厚さ1メートルの鉄筋コンクリート製トンネルが張り巡らされたもので「丸ビルが地下に潜った」とさえ形容されました。 
             
             地表には、重砲群とトーチカ、網の目のような塹壕、200キロに及ぶ軍用鉄道や道路、病院、軍用駅舎、兵営が立ち並び、最盛期には一個師団(1万2千人)の兵員が配備されていました。 
            当時日本陸軍がただ一門だけ保有した、アジア最大の口径41センチ榴弾砲(重量1トンの弾頭を20キロ先の目標に命中させる)をはじめとして、特殊兵器であった列車砲も配備されるという、往時の大日本帝国を象徴する一大軍事都市だったのです。 
             
             父は学徒招集で要塞へ派遣され、そこで玉砕戦を経験し、2パーセントの生き残りの一人でした。 
            しかもその戦闘は、8月15日以降に再開され、26日まで組織的戦闘を展開し、日本側2千5百名の兵士・民間人が、10倍に相当するソ連側2万5千人の重機械化兵団と1週間にわたり正面衝突し、壊滅しました。 
            ソ連側にとっても死闘であったため、ロシア・中国の戦史では、第二次世界大戦における戦闘は、ドイツ軍のポーランド侵攻に始まり、1945年8月26日、「日本軍抵抗センター」=虎頭をはじめとする国境要塞群の壊滅で終結したと正式に記されています。 
             
             
            
              
                
                
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                   日中共同学術調査で研究者を案内する 
            生前の父・哲夫(中央) 
                   
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                   虎頭要塞の東洋最大41センチ榴弾砲砲塔陣地遺構 
(軍内部でも極秘扱いとされた。シベリア鉄道本線を撃破。 
                  所定の任務を完了し玉砕。コンクリートの厚さは最大7m  
                  外径は37mあり戦艦大和の主砲三連装砲塔より 
                  ふたまわり以上大きい) 
                   
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             父は戦後、文芸春秋にノンフィクション戦記を発表しましたが、大陸での経験を忘れようとする風潮に加え、地上施設としては巨大すぎてイメージしづらいこと、戦後も中ソの軍事境界線に位置するので地政的に探査が難しかったこともあり、誰もその全貌をうかがい知ることができずに、数十年の歳月が過ぎました。 
      
      90年代、中国政府が自国の地下に眠る施設の重大性に気付き、軍事考古学者や戦史研究者が参加し日中共同の学術調査が開始されました。 
      要塞地帯そのものが重要文化財に指定され、2000年には博物館が完成しました。要塞内は、61年間土砂に埋もれていたため、ご遺骨、遺品が未だに散乱しており、「昨日戦争がおわったよう」な状態です。中国側による発掘作業は15ヵ年計画で2012年まで続きます。
       
       
       玉砕戦場に立つと、戦争が誰にとっても愚かなことであるという当たり前のことが胸に迫ってきます。戦場での生存は「単なる運」でしかないと言っていた父の言葉が印象に残ります。日本人のみならず、中国、ロシアの犠牲者の冥福も祈らずにはおれません。 
      一時の熱狂からアジアの国々が再び戦火を交えることのないように・・・。戦争の記憶をしっかりと継承するため、今後も地道な調査を続けていきたいと思っています。 
       
        ホームページも開いていますので興味をお持ちの方は一度アクセスください。お待ち申し上げております。 
             
             
             
         虎頭要塞日本側研究センター 
        http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/kotou-top.htm |