フランスの空の下からボンジュール
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シャンボール城にて |
皆さん、明けましておめでとうございます。懐かしい先生方やクラスメートの皆さんにすっかりご無沙汰しております。お元気でしょうか。
はや昔になりましたが、遊び呆けていた岡大附中からから朝日に入学したときのショックを思い出します。学校とは友達と交流する(遊ぶ)ところ、と素直に思っていたのですから当然です。型に押し込まれ窮屈な思いをしながらも、急にまじめに成長したのは朝日のおかげでしょう。3年間の高校時代は、どこか学費の安い大学に入れば人間開放されるのだという受身の「忍」の一字。といっても2時間目の終わりの休み時間には校庭の隅にあった小屋までうどんを食べに走ったリアリスト。その半面ロマンチストですから、初恋の思い出は甘くいつまでもいいものです。
さて惚れる、といえば当時、知る人ぞ知るNHKのラジオ番組『シャンソンの時間』。シャンソンの歌詞にあらわれる人生の機微、こんなに美しい言葉で人生を歌う世界があったことにびっくり。そんな世界のフランスに行かずして、何をか始めんや。ここからが私の人生のスタートです。
大学で念願の仏語を勉強し語学留学したとき、フランス社会の懐の深さに触れました。(同時に彼氏の懐の深さにも触れたわけですが。)男と女がお互いを尊重しながら共存している成熟社会。男尊女卑が感じられない社会です。高年者への思いやりがある社会。人権を大切にする社会。外国人である私も、この寛容な社会で第2の人生に生まれ変わった感がありました。
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花市 |
今から30年程前、国際結婚をしました。当時ファックスやインターネットもない時代です。田舎で結婚して数年経ち、周りに話し相手の日本人がいないので、自分の日本語がおかしくなってきたことに気づきました。かなりあせり、日本から雑誌を取り寄せて、日本語とフランス語が連携するように努力をし、ガイド、翻訳・通訳を始めました。通訳ではいろいろと面白い経験をしました。
通訳は常に進化する言葉が勝負です。一昔前、濡れ落ち葉、粗大ごみという言葉が流行りましたね。日本男児の権威も落ちたものでしたが、これをフランスで説明すると、日本の夫婦関係は成り立っていないのに、なぜ離婚しないのか?と訊かれました。世間体の問題と、経済的に自立していない日本女性に至り、これは、イスラム社会と似たり寄ったりではないか、、、とても自慢できる風潮ではありませんでした。現在、日本でも離婚が多くなったことは女性が経済的または精神的に自立している証拠でしょう。少なくとも、自分に正直に生きようと考える人が多くなったという意味で、喜ばしいことです。
日本が国際社会で質的に大きく認められるためには、もう少し女性を重用することですね。日本女性の社会進出こそ、日本の将来を握る鍵と確信していますから、どうぞ、朝日の後輩の女子生徒の皆さん、専門分野を見つけて飛躍してください。期待しています。
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パリの橋の上 雰囲気を盛り上げるジャズ |
さて私が四半世紀住んでいる土地は、パリから南西にTGVで1時間のところ、トゥレーヌ地方といいます。「フランスの庭」と呼ばれるこのロワール一帯は自然が美しく文化歴史遺産が多いことからユネスコの世界遺産に指定されています。15世紀ジャンヌ・ダルクを迎えたシャルル7世のシノン城から、フランソワ・プルミエ(一世)が建てたシャンボール城まで、その間無数の城・館が宝石のように散らばっています。16世紀イタリアから来たレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした館もアンボワーズに残っていますし、カトリーヌ・ド・メデシス后が王の愛人ディアヌ・ド・ポワチエに取られたシュノンソー城も今では優雅な姿を静かにシェールの川面に映しています。
ラブレー、デカルト、リシュリュー、文学者では、特にバルザックが有名で多くの作品にトゥレーヌ地方が描写されていますね。アンドル川の深い緑の流れが「谷間のゆり」を思い起こさせてくれます。
『ちょうど芸術家が芸術を愛するように、私は、トゥレーヌを愛するのです。』とはバルザックの「谷間のゆり」の中の一文です。このような土地では、当然食べるものは何でも美味。おいしい野菜果物が安く手に入ります。勿論欠かせない米や醤油、中華の材料も地元ですぐ見つかりますので、和洋折衷の食事も大丈夫です。
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パリのシャンゼリゼの年末イリュミネーション
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1980年代は日本の経済力に合わせて、こちらでも日本語学習熱が旺盛でした。最近、熱は冷めても根強い日本びいきがあると思うのは、私のひいき目でしょうか?「マンガmanga」が仏語になって若者に人気です。外国で暮らすと、日本が美化されて見えるようです。(それにしても日本の政治にはよいところは全然見えませんが。)
さて最近は親も老い岡山に時々帰りますが、そのたびに人ごみの中で同一感に埋まり、暖かい(生ぬるい)安心感があります。(これを人ごみ浴といいます。)その反面、フランスに戻ってくると、一人の個人として、他人との違いを感じる緊張感があり、またいいものです。いろいろな皮膚の色の国民で成り立っているフランス社会ですからそれは差別というものではありません。日本人の良さは私の心に残っていると思いますが、フランスに同化・帰化してきた今、自分の前世がフランスにあったような気がしているこのごろです。
フランスの生活について時々寄稿している山陽新聞HP「ロワールの岸辺から」 がありますので、お時間のあるときにお立ち寄りください。