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● 北から南から ● | |
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政狩 圭亮 (昭和28年卒) 千葉県 鎌ケ谷市在住 | |||||||
実はそれまでも五年間ぐらいは年に一ないし二回、内藤啓爾君、保崎満君などを中心に五、六人ぐらいが集まってはいたのですが、名前が付いたのは十年ぐらい前。 人数も少しずつ増えてきたことでもあり、せめて会の名前ぐらいはあったほうがいいんじゃない?ということで、ない知恵をしぼり合い、幾つかの候補の中から多数決でこの名前が決まりました。 残り少ない人生でも、せめて夢の一つ二つは失わないでいこう、といった程度の意味だったと記憶しています。 それ以来、毎年二回、春と秋に二十名程度が集まっては気勢を上げています。 最近では島田公嗣君が世話役を勤めてくれていますが、春の観桜会が好評です。アルゼンチンタンゴのコンサートに時々出かけるグループもありますが、これは立間準治君の感化でしょうか。 会則もなく、会費も取らないかなりいい加減な会ですが、楽しくやっています。 名前を挙げた方のほかで最近の熱心な参加者としては・・・ 江口寿志、岡野義男、小野正雄、片山聖三、熊代政雄、黒住一太、小出光雄、谷田志津雄、田淵一郎、中村健士、野方泰志、波多野淑弘、藤田一郎、本城保彦、松本道介、三宅政彦、森本梯正、森山健一郎、脇本英輔といった錚々たる面々に、大塚(藤原)久子、岡田敬子、小川(渡部)京子、小橋(宮本)操、坂本(村上)文、佐藤(村上)美弥子、武本(歳森)明子、田淵陽子、遠山(辛島)郁子、中尾(竹内)雅子、布施(大石)智子、山田(石原)貞子、山本(小林)秀子などの美女・ ・・がいます。 布施さんには京浜同窓会の幹事をお願いしています。 私の場合、年に二、三度は岡山に帰っていますが、高校卒業以来、岡山を離れていることもあり、今でも列車が岡山に近づくにつれて「情緒不安定」になるのを覚えます。 主な想い出は丸の内中学校と朝日高校にからむのですが、それらは人生のなかで最も多感な時期のことなので、当時そのままに、今もはっきりと胸に残っているように思われます。 列車が相生を過ぎるあたりから少しずつ胸が熱くなり、操山が見えてきだすともういけません。 なかでも一番の胸キュンは相生橋の上で、お城、旭川、後楽園の三つが同時に目に飛び込んできますと、胸の高鳴りは最高潮に達します。 岡山を離れてもう五十年以上。そのなかでたったの三年間の朝日高校での学生時代がいかほどのものかと自ら問うてみても、はっきりとした答えは見つかりません。 ただ言えるのは、防衛大学校への進学に迷っていた私に、たった一人だけだったけれども進学を勧めてくださった先生が朝日高校にいらっしゃったこと、何人かの同級の友が、当時「税金泥棒」とまで言われた自衛官の道を進んだ私との付き合いを温かく続けてくれたこと、などが今の私を育ててくれたということです。本当に感謝しています。 (私は防衛大学校から航空自衛隊に進み、憧れのジェット戦闘機パイロットとして約三十五年の勤めを終えた後、昨年は古希を迎えました。千葉県在住。) (写真は十七年四月、東京千代田区北の丸公園にて、岡田敬子さん撮影の観桜会風景) |