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刀鍛錬
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刀には、子供の頃より憧れがありました。ただ普通なら、刀を使用する武士とか武術に、そうでなければ美術的な刀剣に興味を抱くのが普通なのでしょうが、なぜかそれを作る、知りもしない見たこともない刀鍛冶に憧れてしまいました。
刀を作っているカッコイイ自分の夢もよく見ました。でもそれは、大きくなったらウルトラマンになるというのと同程度のものでした。
大きくなれば子供の頃の夢など、当たり前のごとく脳みそのどこかへ埋没してしまい、忘れてしまったとばかり思っていました。
しかしながら、博物館への刀見学は欠かさず続き、造る事など思いもよらぬ、ただ漠然と見る人となっていた大学四年の頃、埋没していた鉱脈にぶち当たるがごとき出来事がありました。そのきっかけは、顔見知りとなっていた岡山県立博物館の学芸員の方からの一言でした。
「そんなに刀が好きなら刀鍛冶さんの所へ見学に行けば」・・・・
一度ぐらいは、本当に刀を作っているところを見るのもいいかなと思い見学へ出かけることに。まだこの時点では刀鍛冶になろうとは夢にも思っていませんでした。
私は、見学に行ったつもりでしたが、先方は何かの勘違いで弟子入りに人が来ると思っていた様子で、そのまま弟子入りの話に。こちらも先の進路については当ても無く、よく考えれば子供の頃よりの夢、これ幸いと人が止める間も無く大学も辞めて入門、昭和58年の秋でした。
ところで皆さん、なんと刀鍛冶は文化庁管轄の国家資格なのです。名前は美術刀剣類等製作承認というわけの分からない名前です。条件は、内弟子として5年修行を積むこと(大学をとっとと辞めて入門したのもこの条項があったため)。もう一つは、1年に1回しかない、10日間(今は8日間)で刀を審査員の前で1本造って見せると言う、単純明快ながら、とてもしんどい試験に合格することです。
何とか試験にも合格し、晴れて刀鍛冶の免許を頂いたのが、元号も変った平成元年2月1日でした。平成2年備前長船博物館の付属鍛刀場にて、独り立ちの仕事を開始。平成7年熊山町に自前の鍛刀場を持ち現在に至っています。
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たたら操業、砂鉄入れ作業
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日本刀について、豆知識です。日本刀の構造は、軟らかい芯鉄を硬い皮鉄で包むという二重構造になっています。この構造によって、「折れず曲がらずよく切れる」という性質を造り上げています。先人達はまだまだ多くの工夫を凝らし、日本刀と言う武器を製作していました。
現代にも引き続かれている、日本人の物を作るということに対してのこだわりの強さ表すものの一つではないでしょうか。その事を究極まで煮詰めていく作業のなかに、単なる道具を芸術にまで昇華させる何かがあるような気がして、刀造りに励んでいます。
ところで、日本刀の材料をご存知ですか。もちろん、鉄であることには違いありません。ただ、現代の製鉄所で造られている鉄ではありません。たたら製鉄と言われる、日本古来より行われてきた製鉄方法で製造されてきた鉄です。現在の、刀造りでも同じです。
なぜ今でもそのような鉄を使うかというと、鉄の純度という点です。
近代以降の製鉄、溶鉱炉を使う製鉄では、化石燃料を使用するため、リン、硫黄という鉄にとって有害な物質を多く含むためです。
それに比べたたら製鉄では、化石燃料を使用せず木炭を使用するため、リン、硫黄を殆んど含みません。そのため、切れ味においても、美術的にも優れたものが造れるために、21世紀の今でも使用され続けています。ただこの製鉄方法は、非常に生産性が悪いため、明治期近代化の波の中で衰退、昭和に入り終戦と共に絶えました。しかしながら昭和50年代、日本刀の材料が枯渇。かろうじて戦前からの技術者が生存されていたため復活することができました。
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