● 北から南から ●

全国で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)

梶谷 健三(昭和 39年卒) 埼玉県さいたま市在住

卓球と人との交流

SPTの人々

 朝日高校時代卓球部に所属していましたが、卒業後は暫くラケットを振る機会もありませんでした。長男が小学校に通い始めたとき、その小学校にPTA卓球同好会(校庭開放活動の一環)があったので、早速に夫婦で参加しました。
 生まれたばかりの三男を揺り籠に入れて体育館に連れて行きました。その三男も高校、大学と卓球部に入り、卓球に明け暮れる毎日でしたが、この春から社会人となりました。

 外地勤務の際も卓球で地元の人との交流を図りました。1987年から1993年までのロンドン勤務の際は、南ロンドンWANDSWORTH地区リーグに所属するST. PAUL TABLE TENNIS CLUBに所属し、夏は週一回クラブで練習、冬(9月から3月)は地区リーグのリーグ団体戦(3人で9シングル、1ダブルス)に参加しました。

 WANDSWORTH地区リーグは7部(1部6チーム)制で我チームは1部と3部の間を行ったり来たりしていました。各部内で総当り団体戦をHOMEとAWAYで試合を行い前期(9月からクリスマス)と後期(1月から3月)にそれぞれ各部の最下位チームと次の部の一位チームが入れ替わります。

SPTのEMBLEM

 当時日本人は私だけで、ペンホールダ-グリップでしたので、随分と珍しがられました。練習や試合が終わった後のパブでの一杯が、「又楽しからず哉」。尤も南ロンドン特有の訛で話されるので、自分の知らない話題に移った途端に、話の中身が全く分からなくなりましたが・・・

 ロンドンでは、この他にもWEST WIMBLEDON SOCIETYという地元の人の集まりに参加しました。ここでは、卓球の好きな人が火曜日と木曜日の夜集まり卓球というよりピンポンの合間に編物をしたり、本を読んだり、お茶を飲んだりしていました。冬の夜長を気の合った仲間と集まって楽しむという雰囲気でした。こちらのほうには家内と二人で参加しましたが、今でも忘れられないのが、このピンポンの間に飲んだ紅茶です。大きな薬缶にタップリとお湯を沸かし、ありふれたTEA-BAGを入れ十分に香りが出るまで待ち、ミルクティで飲む。本当に美味しいと感じました。

 このWEST WIMBLEDON SOCIETYでは、別の思い出もあります。会員になって三年位経った時、土曜日の定期会合で日本の話をしてくれないかと頼まれ、良い経験になるだろうと思って引き受けました。日本の歴史や気候、食べ物、文化等改めて整理し直して、イギリスとの比較などについて約2時間話しました。参加者80人の内日本に行った事のある人はゼロ。講演の間の休憩時に家内に手伝ってもらって、羊羹と日本茶を皆さんに試してもらいました。羊羹はともかく、日本茶は余り歓迎されませんでした。彼等の顔には、「日本人は何て不味いお茶を飲んでいるのか」と書いてあるような気がしました。

「あさひ呑友会」の集まり

 1999年から2001年までのタイのバンコク勤務の時にも、「卓球をやるぞ」と意気込んで参りました。何とか卓球が出来る場所とコーチを見つけて練習に出かけました。言葉は十分には通じませんが(片言のタイ語と片言の英語)、ルールと目的がハッキリしていますので、練習やゲームをするには問題はありません。バンコク市の小学生大会に出場していてトップクラスの成績であるというタイ人の少年と練習試合をしましたが、結果はーー(ご想像に任せます)。

 小さなプレハブ風の部屋で冷房も無く、あまりの暑さに数回練習に行っただけでギブアップしてしまいました。屋外でゴルフをするのは問題なかったのですから、暑さだけでは卓球をギブアップした理由にはならないでしょうね?

 現在でも、土曜日は公民館の卓球クラブ、日曜日は小学校の同好会に所属し最低週に1回は卓球で身体を動かすようにしています。年に一度か二度、市の卓球大会の団体戦に小学校同好会で出る事もあります。成績は、万年最下位といっても良い程度です。
 

 来年還暦を迎えますが、今後とも、健康維持と人との交流の手段として、卓球或いはピンポンを出来るだけ長く続けて行きたいと思っています。又、人との交流という面では、東京近辺在住の同期生で「あさひ呑友会」と称して年に数回集まる様になりました。こうした同じ故郷を持つ人々との交流も大切にしていきたいと思っています。
 


  岡山朝日高校同窓会公式Webサイト