イラストレーター:水落侑子(みずおちゆうこ)(本名:田所優子)
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朝日高校を卒業してから、28年が過ぎました。28年前に女子美術大学にたまたま受かった私は、母が決めてくれたアパートに向けて上京しました。中野駅からバスでやっとたどり着いたアパートでは、私の世間知らずから様々なトラブルにみまわれ、おまけにあろう事か、やっと入った訳だった大学も1年もしないうちにあっさり止めてしまいました。今思えば、何と言う若気の至りでしょうか。その後も絵に描いたような挫折の青春時代。あこがれの東京も、六本木でディスコに通う事など夢のまた夢。その代わりにあやしげな中野ブロードウェイを散策したりしていました。ちなみに、中野ブロードウェイは今もあやしげです。
「私は絵で何かをやるんだ。」と言う志は良かったんですが、現実的にとか、具体的に、とかの地に足が着いた考えは、当然のごとく空気よりも希薄でした。夢と現実は両立しないモノでは無くて、両立させる過程がなかなかどうして大変なのですね。それがやっとわかったのは、子育てで悪銭苦闘をしてからでしょうか。上京当時と近い場所に今も住んでいて、その頃と何も変わっていない様な気がしますが、38才でギャルだった時に厄病神(今の夫)に見初められて、土石流に流される様にあれよあれよと言う間に結婚、長女を出産、二年後には二女に恵まれました。
子供を育てる中で、否応なくそれまで触れなかったものにも触れさせられます。死ぬ程退屈だと思っていた教育テレビの子供番組、子供向けの教材、様々なおもちゃ。その中で子供は色んなキャラクターに触れ、親も否応なくキャラクターに付き合わされます。そのウチに私もキャラクターと言うモノに興味を持つ様になりました。「可愛いってなんだろう?」と言う素朴な疑問が始まりでした。そして私なりの「可愛いとはこういうモンじゃぁ〜〜!」と言うのを描いてみたくなりました。
アナログでのデザイン稼業をフリーで続けてはいましたが、子育てやなんやかやでその日暮らしをしている間に、あっと気が付けばこの業界もすっかりデジタル。それまでにつちかったノウハウは全く役に立たない代物になっていて、追い付こうとしても、皆は100キロ先を踊る様に歩いているではないですか。「私、高校の最初の数学の授業で爆死したから文系にしたのに、何で今さらパソコン仕事をしなくちゃいけないの。」と言う言い訳もすでに自分にすら通用しなくなりました。
パソコン自体はかなり前から買ってデジタルの絵も少しは作っていましたが、だいたいはパソコン通信やインターネットにはまるだけ(そのパソコン通信で今の夫に目をつけられてしまったのですが)。パソコンに入れてある有能なソフトも放りっぱなし。そんな私に世の流れと言うものが、背中をドンと蹴りついでに頭も踏んづけて下さいました。3っつ覚えたら2つ忘れる、4っつ目が来たら頭が真っ白になる、と言う脳みそを抱えながら、デジタルでの自分の「デザイン」と「絵」と言うのをやり直しています。
ホームページに上げる新しいキャラクターを描いたら、誉めて欲しくて子供達を呼びつけて見せます。「かわいいーー!」と言ってくれるのはありがたいのですが、「この目の描き方はこうした方が良いよ。」とか、「あたしが教えてあげようか。」とか言うのはちょっとうざいです。おまけにママの為にと参考作品とかを描いてよこしたりします。それがまた本質的に私が描いたのより可愛かったりすると、くやしい以前になるほどー、と思ってあっさりエキスを盗まさせていただいています。
子供を連れて岡山に帰ると「岡山ってこんなに風光明美で、しかもおシャレな街だったんだ。」といつも胸を打たれます(最近はなかなか帰る事も出来ませんが)。故郷を離れ、北から南からどこに住んでも住めば都。だけど岡山から上京し、年月が経ってからわかる岡山の良さ。心の中に植わっているそれに、なかなか気が付け無かったなぁと今頃になって思っています。 |
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