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家族と |
大学を卒業後、造船会社で真面目なサラリーマンをやっていたが、その会社の独身寮が中山競馬場のファンファーレが聞こえるような場所にあったことが人生を思わぬ方向に導いた。
最初はギャンブルとしての趣味の域を超えなかったが、ある日ふと手にした転職雑誌に競走馬事業を営む会社の求人広告が載っていた。
興味があったので電話を入れてみると直ぐに会いたいという返事。
そこからは高いところから水が流れるように新しい進路が延びて行ったように思う。
事務屋だったのでデスクワークを希望したが、商品を知らなければ商売にならないという事で北海道の牧場へ研修に出された。
25歳で馬に乗ることを教えてもらい、下手くそながらも継続は力で次第に馬自体の魅力に惹かれて行った。
その世界が判って来ると自分でやってみたくなるのが自然な流れで、平成5年に北海道浦河郡という土地の廃墟となっていた牧場跡地を借りて自営の競走馬育成牧場を開業した。
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日高と十勝を結ぶ天馬街道 |
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冬の調教風景 |
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芝での調教 |
10年経った。いろんなことを経験した。
従業員を交通事故で亡くした。逆に従業員が交通死亡事故を起こし、その家族と会って事後処理をした。
馬も病気や怪我で何頭も殺した。辛い事の方が多く思い出す。
しかし、辛い事を経験することで免疫のようなものが出来て少しの事では動揺しなくなった。
育てた馬の何頭かは中央競馬で大きなレースを勝った。しないと思っていた結婚もした。信じられない事だが3人も子供が出来た。
今は大きな自然の中で、澄んだ空気を腹に吸って、馬という自然と向き合いながら摂理を学ぶこの暮らしを満喫している。
開業当時は若さに任せて自然に抵抗し、願えば何事も叶うといった態度であったが、何度も跳ね返され、泥を噛むような気分を味わいつつ、自然に逆らわずに大きな流れに身をまかす生き方の方がうまく行くケースが多い事を学んだ。
競走馬は本来は競馬のトレーニングなどしたくない。人間のように名誉か金が得られるなら話は別だが、無酸素運動で死ぬような思いをするのは嫌なはずだ。
人間がその興味の為に作り上げたサラブレッドを扱う商売をしている事自体に基本的な矛盾を感じることもあるが、馬は可愛い。我が子のようなその馬たちが、無事に育って、持っている能力を100%発揮出来るようにしてやり、競馬場という戦場でいろんな人に愛されるようになる事態が理想である。馬から学ぶ事は数限りない。
夜、風呂から上がって神棚の前で手を合わせ、今日一日の出来事を反省する。
「今日はあの馬には少し叱り過ぎてしまったな」「今日は従業員に冷たい態度を取ってしまったな」「今日は子供とあまり遊んでやれなかったな」等々。
翌朝、4時過ぎに起きて、「昨日反省した事を今日はもっとうまいことやろう」と思って仕事に取り掛かる。
こんな暮らしをずっと続けて行きたいと思っている。 |
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