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● 北から南から ● | |
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中川 博之 (昭和46年卒) 東京在住 | |||||
昭和44年は東京大学の安田講堂事件で東大入試が中止になった年です。 昭和45年は大阪万博が開催されました。 その頃朝日高校のブラスバンド部は、三校戦・演奏会・コンクール・文化祭の他高校野球岡山大会の応援と1年中部員は仲良く活動していました。 昭和44年卒から47年卒までのブラスバンド部OBで,京浜地区に在住しているメンバーは,年に1,2回集まっています。 この集まりは高校卒業当時からずっと続いてきたもので,かれこれ30年以上にもなります。なぜか不思議に先輩・後輩の分け隔てなく気の合う連中で,適当な理由を見つけては集まってワイワイやっています。考えてみれば本当に不思議な縁でして,面倒見のいい安田康彦(45卒)さん,料理のうまい川西敬治(45卒)さん,一風変わった横田鏡之介(45卒)さん,といった個性派が揃っていたことが今日まで継続している理由かも知れません。 高校を卒業して初めての上京。大学進学は果たしたものの親元を離れての一人暮らし、たよりになるのは自分だけという、不安の中での大学生生活のスタートでした。
そのような生活の中で同郷の先輩・後輩たちと交流できることは大きな勇気と励ましでした。その頃は年に数回も集まって,時には土曜日の夜、川西さんの下宿にみんなで集まり川西さんの手料理と持ち寄ったお酒を飲みながら、また、渋谷の寿司屋に集まって寿司をほおばりながらお互いの近況等を確かめ合っていました。 また,後輩が卒業して上京してくると,皆で暖かく迎えました。この出会いがきっかけで結婚にまで発展したカップルもできました。就職して社会人になると,だんだん集まる回数も減ってきましたが,メンバーの結婚式で再会したり,関西に就職したブラスバンド部OBが出張等で上京してきた時に集まったり,と今日まで継続しております。 たった3年間の高校生活の部活でしたが,そこで知り合ったメンバーとずっとお付き合いできる,これは何と素晴らしいことではないでしょうか。まさに一生の宝物です。 自分の子供が高校生になった時,「高校時代の友達は一生もの」と言った記憶があります。これはまさに自分の経験から出た言葉です。このような「一生の宝物」を数多く持ち,今後とも大切にしていきたいと考えております。 |