▼板 谷 正 夫 校 長 先 生 |
−我が人生最高の日々− 昨晩3月27日は、私の本校勤務2年間の中でとりわけ忘れがたい一夜となりました。本校管弦楽団の「春うららの音楽会」の、一夜明けてもなお胸にさざ波が寄せては退いている中で、退任のごあいさつを書いています。生徒たちは、岡山シンフォニーホール満員の聴衆を前にして、松北教諭の見事な指揮のもと、すべての聴衆に、文字どおり琴線に触れる演奏をし、深い共感と感動を与えました。 多くの1年生は、弦楽器を本校に入学して初めて手にしたにもかかわらず、1年未満でよくここまで技量を高めました。2年生は、上級生としてリーダーシップを発揮して、団員全員の調和を心掛け、高い音楽性を披露しました。また、卒業したばかりの3年生は、受験を終えて再び楽団に戻って下級生を支えました。さらに、バイオリニストの瀬崎明日香さんには、何度も指導と助言をしていただき、技量のレベルアップはもちろんのこと、音楽を愛することは人間性を高めることなのだということを教えていただきました。瀬崎さんの言葉一つ一つに集中する団員全員の眼には、優れた演奏家への憧れと尊敬、そして感謝の気持ちがつぶさに見て取れたと、松北教諭から聞きました。 これこそが、高い志を持つ岡山朝日高校ならではの生徒たちです。先人が築かれた全国屈指の伝統と輝く学校文化を、3年間(補習科を入れて4年間)に学ぼうとする一途な思いとひたむきな努力の生徒たちです。 こうした素晴らしい生徒たちの教育に、同志の先生方と共に熱い情熱を持って携わることができたことは、我が人生最高の日々でした。 同窓会の皆様の本校の教育にかける大きな期待にどれだけお応えすることができたかを、これからしみじみと考えながら日々を過ごすこともまた楽しみであります。 皆様のご支援に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
岡山朝日高校同窓会は日本一の同窓会です。 |
平成21年3月28日 |
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▼一 色 節 二 先 生 【社 会】 |
−愉快な思い出−
朝日高校には教員生活の三分の一にあたる12年勤務しました。その間の愉快な思い出を、ひとつふたつ書いてみます。
赴任してすぐ囲碁将棋部の顧問をしました。当時、部室は合併教室に付属した四畳半に満たない小さな木造小屋でした。毎日、放課後に数名の部員が対局したりダベったりしていましたが、多いときは十名を超えることもありました。座が傾き、床が抜けることもありました。部員は、談論風発というか侃々諤々というか局後の検討や対局とおよそ関係のない議論を延々とやっていました。それを聞いているのは愉快なことでした。あの懐かしい部室は、解体されて今は存在しません。
一昨日、五年前の卒業生達と京都の美術館や清水寺の夜桜を観てきました。既に職に就いているもの、これから職に就こうとしているものたちでしたが、皆それぞれの気質を保ちながら大きな人間的成長を感じさせるものでした。まことに愉快な一日でした。教職に従事してきたことによってあたえられた有り難い縁として、感謝しています。 |
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▼佐 藤 克 己 先 生 【保健体育】 |
私はこの3月をもちまして母校岡山朝日高等学校を最後に定年退職いたしました。
昭和45年6月の教育実習時(当時1年A組 早瀬・岡学級 昭和48年卒)に贈ってもらった生徒の感想文や送別会での激励の言葉に感銘し教師になりたいという憧れの気持ちが、強い志望へと変わりました。また司法試験を受験する同期生の猛勉強している姿に影響を受け、自分も教員採用試験に合格するのだという気持ちになりました。多くの同窓生に支えられ夢が叶いました。
教室は在学・在職中にプレハブ校舎・木造校舎・階段校舎・新校舎と校舎は変わりましたが、充実した日々を送らせていただきました。現在廃部となっている体操(競技)部の部史や部員名簿の作成ができたことは母校に勤務させていただいたからできたものと感謝しています。
また、校内理事として、京浜・近畿同窓会に出席させていただき同窓生の活躍を目の当たりにし、自分も頑張る気持ちを抱きました。9年間の在職中、同窓生の多くの方々からご厚情をいただき充実した教壇生活を過ごさせていただきました。教職の最後を母校の教壇に立たせていただき感謝しています。本当にありがとうございました。 岡山朝日高校と同窓会のさらなる発展をお祈りしてお礼と退任の挨拶といたします。
同窓生の皆様もお元気でご活躍ください。
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