● 受付と校内風景 ●

懇親会風景
今年の懇親会は、17:00から朝日高校の近くの三光荘で、2階と3階に会場を分けて開催されました。
2階は立食形式、3階はテーブル席、合わせて282人(内学生5人)の同窓生が集まりました。

懇親会受付の様子

 三光荘での初めての同窓会懇親会ということで、どの位集まるか期待と不安で一杯の日々も、当日多くの方にきていただき、それなりに新機軸は意味があったのではないかと思っています。三光荘には、明治時代の岡山中学大先輩・内田百閨i小説家)の文学コーナーがあり、もう17年ほど前に私自身がこの建物の建設時にコーナーの設置を提案しました。一階のスペースの使い方などについて議論したこともあり、朝日高校にも近いので同窓会にもいいのではないかと思いました。
 受付では当日参加の方が相次ぎ、当日欠席も多かったのですが、最終的に予測人数とどんぴしゃでほっとしました。当番学年や次年度の多くの方にお手伝いいただき、本当にありがとうございました。  (昭和48年卒 岡将男)
懇親会会場風景(2階)
 今年の1月に、大幹部から「集合!」がかかって以来10ヶ月間、月に1回のペースで会合を重ねて臨んだ「母校交流フェスティバル」でした。新機軸を打ち出すこと、母校で同窓生が集えること、若い方々にも集まりやすい条件を整えることを目標にして企画を練ってきました。 
48年卒の分担は「懇親会」。「48は宴会好きじゃから、頼むわ」と、宴会の席で決められたような、、、記憶があります。 
会場は、朝日高校から近くが良いとの判断で、三光荘に決めたところ、250人以上集まると会場を分けなければならないとのこと。そんな訳で、前代未聞の2階、3階に分かれた懇親会になりました。テレビカメラを入れて、同時中継するなどの案は、予算の関係で瞬間にボツ。
46年卒のラインで分かれて頂いて、また、人数調整の関係で当番学年は2階会場に集まって頂きました。
私は、気楽?な、2階会場の司会を担当させて頂きましたが、皆さんのご協力もあり、数々の不手際はありましたが何とか最後の「締め」まで会を進めることができました。「締め」の幹事年交代式での、応援団OBの力強いエール。幹事年の方々の安堵の表情と、次回幹事代表の決意表明など、10ヶ月間の準備の思い出が交錯する瞬間でした。
その後、2次会、3次会と、新しいメンバーも加わり、「やっぱり朝日高は良かったなぁ」との思い出に浸ることができた、一日となりました。  (昭和48年卒 高橋 邦彰)
 今回の懇親会は、前回までとは趣向を変え三光荘を貸し切るかたちで開催されました。
会場の都合で、2つのフロアにまたがっての開催となり、我々の学年は立食形式の会場(アトリウムホール)に参加しました。
若々しい声で定評のあるS48卒高橋先輩の司会で会が始まり、参加者各自、久しぶりの再会を喜び、昔話や近況報告で盛り上がったあと、全体で当番学年・次年度当番学年の紹介があり、急きょ結成された応援団の”あさひや”エールが飛び出したり、恩師を囲んで写真を撮影したりと最後まで大いに盛り上がりました。当番学年としての役割を果たした我々の学年は、懇親会の後、勢いそのまま、同期の山下君のお店「くし焼き 頌(しょう)」へ繰り出し、夜遅くまで飲み、語りつくしました。(詳しくはS58卒ホームページへ)。   (昭和58年卒 武内 克之)
懇親会会場風景(3階)
 今日は長くなるなあと思いながら家を出た私でありましたが、朝日校内の受付の準備から始まって三光荘の懇親会までがあっと言う間の出来事のように感じられた一日でした。
校内でのお手伝いもそこそこに早めに三光荘に出かけ、会場の音響やテーブルの配置確認を済ましたらもう終わったような気になっていました。担当の3FはS45卒以上の着席会場とあって(年配の気の早い人が多かったからか)早くから続々と校友が集まり、料理のスタンバイ遅れもあってなかなか開場できず、ちとハラハラいたしました。でも始まってしまえばこちらのもの(いや失礼)とばかりに是石嬢(H5卒)と多少とちりながらもどうにか司会をあい勤めさせていただきました。とは言いながら、実際は途中の合間に2Fに遊びに行くわ、先輩の席でおよばれの美酒をいただくわと私も十分に楽しませていただきました。昭和28年卒の高祖理事長からは日本酒の差し入れ、昭和40年卒の岸野理事からは中国野菜「空心菜」の差し入れがありました。  (昭和48年卒 亀池弘二)

 

 
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト