「同窓会名簿発行を記念し朝日高校の歴史を語る会」 |
さる平成15年12月28日(日曜日)午後6時より岡山市内 えきまえミヨシノにおいて
「同窓会名簿発行を記念し朝日高校の歴史を語る会」が開催され、私も出席させてい
ただきました。
この会は『同窓会員名簿』第42号発行を記念し特集「部活動・生徒会自主活動小史」
作成に関与した方々に集まっていただき、限られた文字数の原稿で表現できなかった、
あるいはその後、これをきっかけに思い出された 朝日高校の歴史と伝統を、世代を
越えて語り合おうと、第42号の平成15年度名簿委員長である若林久義氏、前委員長の
高原勝哉氏が中心となり企画されたものです。
当日参加されたのは、旧職員の方2名と昭和27年卒業から平成13年卒業までの34名
の「部活動・生徒会自主活動小史」に原稿をお寄せ下さった方、写真・資料をご提供
いただいた方、歴代生徒会役員の方などと名簿作成関係者のかたでした。
私は開場時間の30分前に着いたのですが、もう三々五々と集まられた方々は、入口
で名札をつけられた後、顔なじみ同士テーブルに集まり、思い出話に花を咲かされて
いました。
午後6時、若林先輩(新聞部の1年先輩)の司会で会は始まりました。
続いて、高原氏から、同窓会名簿42号について、「同窓会名簿は 毎回同じような
もので芸がない。そこで第42号発行にあたり、いい大学に行って活躍している者だけ
でなく、部活・生徒会活動に力を入れた人にも裏から光を当て、後神先生の編纂して
いる正式の校史に対してもう一つの校史があってもいいじゃないかと『部活動・生徒
会自主活動小史』を特集した。」という経緯、この会の「出席者のうち同窓会で役員
をしている者は半分であり、残りの人達にも、この会での生徒会活動・部活の思いで
を通じて母校愛を盛り上げ、より強い絆にしたい」という趣旨説明がありました。
高祖理事長の「成績は復活した。部活動も活発になっているので文武両道の朝日高
校にしましょう。」という音頭で乾杯をし、、その後、出席者全員による、スピーチ
が始まりました。 一人ずつの持ち時間は2〜3分と短いのですが、サッカー、野球、
ラグビー、バレーなど古くからある部活動の当時の想い出や、生徒会活動、その前身
である総務の時代の話、また自分自身にとっての朝日高校等、濃い内容を聞くことが
出来ました。
たとえば、昭和35年卒の江田氏、昭和36年卒の尾崎氏、小嶋(旧姓重政)さんは、総
務(生徒会役員の前身)時代の話をされました。
「邑久町で見知らぬ人から声をかけられた。実は、その人は、かつて朝日高校の総
務の呼びかけで県下の生徒会が蒜山でキャンプをしたとき来ていた人で、このキャン
プをきっかけに県下の生徒会の横の連絡が一斉に出来た。」
「生徒会長の直接選挙とファイヤーストーム復活をした。」
「修学旅行の復活に努め37年から実施され、後輩から感謝された。」
などなど、同窓会誌(42号)にも詳しく書かれてあり、校正した私は何回か読んでい
る内容ながら、生の声で聞くとそれは「歴史」ではなく「過去の出来事」として臨場
感をもって脳裏に浮かび、感激でした。
28年卒の古南氏は、野球部の話をされ、
「入学前、グランドに行ったらもう、高祖氏(理事長)が来て練習していた。また、42
年卒の金馬氏のお父さんも野球部だった。」
と、語られました。
あとで、金馬氏より直接お聞きしたのですが、お父さんは当時、鳴尾球場であった
全国大会で2勝したときのピッチャーだそうです。
27年卒の日高さんはサッカー部で
「小学生の頃、広島の付属小のグラウンドでサッカーを始め、現在も現役の選手であ
る。」
とのこと。一瞬、私も学内大会でプレーした東雲グラウンドのサッカー場が思い出
されました。
平成12年、13年の卒業の若い世代の卒業者も自分が後輩に引き継いだ「伝統」を語っ
てくださったのは興味深くまた、心強いことでした。記録を取ろうと持参したビデオ
カメラに全てのスピーチをおさめられなかったこと、またこの場に全ての方の要約を
ご紹介できないことはとても残念です。
最後の一人のスピーチ(実は私です)が終わった時は、もう閉会の時間となっていま
した。皆さんが、それぞれ 大変熱のこもった、またそれぞれの朝日高校「愛」が詰
まった話をされたので、時が経過したのを気づかなかったのです。最後に、記念撮影
をし、またの再会を約束して解散となりました。
その後、それぞれ旧友同士による二次会も行われたようですが、私を誘ってくださっ
たグループは、御卒業が30年代後半、40年代前半の世代の先輩方4人と平成10年代の
後輩3人でして、世代を越えて、双方さらに同窓会活動についての熱を帯びた話が盛
り上がったことをこの紙面でお伝えしたいと思います。そして、若い世代が、同窓会
活動に積極的に参加してくれると話していたことも。
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昭和51年卒、名簿委員会 瀧本 得幸記 |
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