■薄田泣菫について■
明治10年(1877年)5月19日、岡山県浅口郡大江連島村(現在の倉敷市連島町)で、薄田篤太郎、里津の長男として生れました。
薄田家は、代々文学を好む人が多く、泣菫も読書好きの大変優秀な少年で、連島高等小学校の当時から雑誌に詩文を投稿していました。父は村役場の書記で、俳諧を
趣味としていました。
玉島高等小学校を経て、岡山県尋常中学校(後に第一岡山中学校。現在の県立岡山朝日高校)を中退。明治27年(1894年)に上京し、上野書籍館に通いながら独学
で学びました。明治30年(1897年)帰郷すると、いくつか詩を作り「新著月刊」に投稿しました。それは、後藤宙外、島村抱月らに絶賛され たといわれています。
翌年第一詩集『暮笛集』を刊行、「小天地」を編集しながら「明星」などに詩を載せ、『ゆく春』『白羊宮』など、古語や漢語を多用した詩風で、蒲原有明とともに泣菫・有明時代を築き、島崎藤村、土井晩翠後の明治後期の詩壇を背負って立
ちました。
明治32年(1899年)、22歳にして、最初の詩集『暮笛集』を出版して以来、明治34年『ゆく春』、明治38年(1905年)には『志ら玉姫』をはじめ、「公孫樹下に立ちて」の詩篇を収めた『二十五絃』を刊行し、島崎藤村後の第一人者として、明治詩壇の頂点を極め
ました。
この年の秋に発表した「ああ大和にしあらましかば」は、名詩中の名詩とされ、多くの若者に親しまれました。明治39年(1906年)の詩集『白羊宮』は、円熟期を迎えた泣菫の総てを集成したもので、この後、徐々に活動の場を詩から散文へ移していったが、新体詩(文語定型詩)を発展させたことが泣菫の大きな業績である
といえます。
明治の終わりごろから一時、小説に興味を移したり、随筆も書き、詩作を離れました。国民新聞社、帝国新聞社に勤めた後、
大正元年(1912年)、大阪毎日新聞社に入社しました。大正4年(1915年)、「茶話」の連載が開始されました。博識のうえ、話術も巧みだった泣菫の作品は、多くの読者を魅了し
ました。また、芥川龍之介、菊池寛などの新進作家を積極的に発掘し、文学界の発展にも貢献しました。
大正6年(1917年)、パーキンソン病 を発症、体を動かすことが不自由になり、大正12年(1923年)新聞社を退社しましたが、口述したものを夫人が筆記して随筆を書き続けました。その後、次第に症状が重くなり、昭和20年(1945年)、少年時代を過ごした連島の実家に帰り、68歳の生涯を閉じました。
■薄田泣菫生家について■
泣菫が少年時代の多感な時を過ごした倉敷市連島町連島の生家は、現在は泣菫
の詩集や自筆の書などを展示し、一般に公開されています。小高い山の麓の静かな所に生家があります。
建物は、江戸末期から明治始めの頃のものといわれていて、庭に泣菫ゆかりのタラヨウの木、キンモクセイ、エンジュ、竹などが、裏庭には御所柿、夏みかんなどの果樹が植えられています。
また屋敷内に、泣菫自筆の「大和にしあらましかば」の詩碑(備前焼の陶板)があります。
生家は、老朽化が進んでいたので、地元住民の保存運動が起こり、それを受けて市が整備し、2003年7月に開館しました。
生家には泣菫の写真などの他、芥川龍之介 島崎藤村 北原白秋 武者小路実篤 菊池寛 志賀直哉 谷崎潤一郎 与謝野鉄幹・晶子など大勢の有名人の書簡が展示されています。また、RSKが放映した「ふるさとの人物風土記・薄田泣菫」のビデオを見ることも出来ます。他にも、愛用した机・本箱・レコードケースなども展示されています。
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薄田泣菫生家
・場所 〒712-8011
岡山県倉敷市連島町連島1284 Tel 086-446-4830
・開館時間 9:00〜16:30
・休館日 月曜日、祝日、年末年始
・料金 無料
・交通 JR倉敷駅からバス20分 (大江バス停下車5分) |
■薄田泣菫の碑について■
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倉敷市連島町厄神社境内 「ああ、大和にしあらましかば」 詩碑
昭和27年、三宅千秋(連島町長)、松枝喬(倉敷市議)、服部忠志(岡山一中教師)の三氏が中心となって薄田泣菫詩碑建立会が設立され、昭和29年11月23日、野田宇太郎氏、堀口大学氏ほか、全国の詩人、文化人の協力を得て、厄神社境内に詩碑が建立されました。発起人は、土井晩翠氏、高浜虚子氏、日夏耿之介氏、西条八十氏、久保田万太郎氏、川田順氏、松村緑氏など、そうそうたる顔ぶれが並びました。
詩碑は、六枚の乱れ屏風の形で構成されています。泣菫の詩集「白羊宮」に載せられている代表作「ああ、大和にしあらましかば」が、直筆の原稿から版を採った伊部焼(備前焼)に、刻まれています。詩碑の中央からやや左手に、黒色の石で作られた「筆塚」があり、その地下には、泣菫が生前使っていた筆が納められています。
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津山市井口長法寺 「公孫樹下にたちて」 詩碑
明治34年(1901年)津山を訪れ滞在した時に、長法寺の大イチョウを歌った詩<公孫樹下にたちて>の詩碑が大イチョウの下に建ってい
ます。
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公孫樹の木の元にたつ詩碑 |
銘木百選の大公孫樹 |
案内板 |
<公孫樹下にたちて>の一部
銀杏よ、汝常盤樹の 神のめぐみの緑葉を、霜に誇るにくらべては、いかに自然の健児ぞや。
われら願はく狗児の 乳のしたゝりに媚ぶる如、心よわくも平和の 小さき名をば呼ばざらむ。
絶ゆる隙なきたゝかひに、馴れし心の驕りこそ、ながき吾世のながらへの栄ぞ、価値ぞ、幸福ぞ。
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井口長法寺(通称、あじさい寺)
・場所 〒708-0885
岡山県津山市井口246 Tel 0868-22-6436
・駐車場 有り(無料)
・交通 JR津山駅から車約10分、またはJR津山口駅から徒歩約5分 |
■取材協力のお礼■
薄田泣菫生家を取材させていただくにあたり、大変快く、撮影を許可していただきました。ありがとうございました。
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