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国内で活躍する同窓生(敬称略)
野田弘子 (昭和 54年卒)    東京都在住

思いもかけずに外資系企業に勤めて&義太夫が私を支えてくれる

 同窓会への寄稿のご依頼をいただき恐縮です。さして話題もないのですが・・・
2010年の京浜朝日同窓会の学年幹事を勤めさせていただいて以来、S54の結束も固くなってきました。新年会、暑気払い等が高齢化でなくて恒例化しそうです。なんだか30年ぶりの文化祭を乗り切った気分ですね。

 高校時代から大学

 私の高校時代の思い出といえば、受験勉強はもちろんのことですが、応援団に茶道部。乱読に近いような読書。学校帰りの本屋さんでのマンガの立ち読み。特に朝日高校は自主自律ですから、中学時代と比べて自由だったのが楽しかったですね。

 で、大学で東京に出たわけですが・・・当時は男女雇用機会均等法前で、私はかなり鬱屈した大学生活を送っていました。日本の憲法では男女平等が定められている。でも、平等なのは大学までで、社会は全く違う。今でもよくお話しするネタなのですが、4年生の時、男子には段ボール3箱の企業案内。私に来たのははがきが3枚。しかも私は法律家になるとか役人になるとかいうことに全く興味が持てず、どうしたもんかいなあと悩んでいたわけです。で、やっぱりそんな社会が悪いんじゃないかとか、だとしたら自分はどう生きるべきかとか、くどくど考え込んでいたわけです。結論として、社会に出たい、働きたいのなら資格を取るしかないと公認会計士になることを決意したのはもう4年の秋でした。

 外資系企業で

 その後、会計士の二次試験に合格して監査法人に入るも、すぐに外資系金融機関に転職、企業内会計士、つまりは経理部員として通算約20年間3社に勤めました。外資といっても最初は上司も周りも日本人ばかり、本店とのやり取りもそれほどではありませんでした。しかし、時は1980年代後半、金融自由化の真っただ中、あっという間に上司も周りも外国人だらけになったのです。岡山にいたころは外国人といえばM教の宣教師を表町で見たぐらいでしたし、英語は受験勉強はできたものの、留学もしたわけでもないのでしゃべるのが一苦労。また、仕事も厳しかったです。それまでは一生懸命やればいいと思っていたのですが、それは通用しない。結果がすべて。阿吽の呼吸もない。スピードも要求される。マネジメント層が変われば、何か変化が求められるのでいつもプロジェクトがある。そのうち、金融機関への検査も厳しくなってきて、通常業務、プロジェクト、監査や検査対応、常にピリピリしてました。

 業界はどうかといえば1990年代後半からはそれまでは考えられない、大手証券会社や銀行の破たん、外資系への売却が続き、日本の右肩上がり経済の終わりを実感しました。同時に外資(特に米系)金融機関に食い物にされているとしか思えない国内金融機関が情けなくて、いったいこれは何だろう、と考え込んでしまいました。それまでは金利も、貸倒れ一つも自分で決められず、すべて大蔵省の指示で動いてきたが、それがもう通用しない時代になった、でも、自分で考えて動くことに慣れていないのでやはり他社はどうしている?が気になってタイムリーな決断ができない。出世するのは敵を作らない人柄のいい人、では太刀打ちできない時代だが相変わらずの人事。日本のよさ、謙虚さ、一生懸命さ、まじめさが、もう通用しない時代なのか、日本人であるとはどういうことかと悩んでしまったわけです。

 義太夫との出会い

 そんな時に出会えたのが義太夫です。そもそも、歌舞伎に外国人を連れて行ってもろくろく説明できない、日本文化について聞かれても答えられないという忸怩たる思いがあったのですが、あるとき歌舞伎座に”これであなたも歌舞伎がわかる 1日義太夫教室”というチラシがあったんですね。この1日教室ではまりました。結局義太夫協会の教室に1年通い、語りに三味線も習いました。最後の発表会も同期の方たちと一緒に出させていただきました。今はお稽古はしていませんが、文楽・歌舞伎に素浄瑠璃、暇を見つけて通っております。

 義太夫というと分かりにくいかもしれませんが人形浄瑠璃(文楽)の舞台の上手の語りと三味線のことです。義太夫は情を持って語りなすといわれる、人間の情、親子、夫婦の愛情、恋愛、恩義、等々、人が人を思う気持ちを語るものです。義太夫のおかげで、自分の中の人を思いやる気持ち、これは当たり前なんだ、と思えたんですね。また、義太夫(浄瑠璃)に登場する人たちは、人としての責務のために自分の命や自分の子供を、女性が自分の容貌を犠牲にする。これにはいろいろな見方があると思いますが、私は人として生まれてきた以上、自分のエゴを守るよりも大切なものがあるはずだと教えてくれているととらえています。こんな物語を何百年も前に作り、それを大事にしてきた日本人は素晴らしいと思います。私の日本人としての誇りを支えてくれている大きな柱の一つです。

 ビジネスの場では情は不要と思われがちですが、果たしてそうでしょうか?これからスキル(戦略)よりもスピリット(感性)が重要視される時代が来るのではないでしょうか?横並び意識や前例主義では生き残れないでしょうが、日本人が昔から大事にしてきた相手を思いやる気持ちが生きる時代が来る、そんな予感がします。
 

 外資系企業での女性たち

 先ほども述べましたが、男女子機会均等法以前世代ですので、マネジメントとしての女性の先輩がいない時代でした。そんな中、外国人の女性たちの活躍ぶりには目を見張りました。カナダの銀行にいたとき、本部に出張したので、ついでにチーフアカウンタント(日本でいえば主計のトップ)の女性に会うことになりました。なんとなく、堅そうな年上の人をイメージしていたのですが・・・金曜日でカジュアルデーだったこともあるのですが、ひざ上20センチぐらいのミニスカートにロングヘアーの同世代の女性が出てきたのにはぶっ飛びました。その銀行では当時、次期頭取の席である副頭取の一人は40代の女性でした。日本にも女性がどんどん要職に登用される時代がすぐそこまで来ていると思います。ビジネス社会で出世することだけが幸せではないと思いますが、それを目指す方には頑張ってほしいです。

 当時、アジア地域の上司はシンガポールにいるイギリス人で、彼女が東京に来るたびによく飲みに行ったものです。口癖は”work hard, play hard” 、仕事の要望レベルは高かったですが、遊ぶときは徹底して楽しむ。写真はこの会社を離れた後、彼女の家でのパーティーに行ったときのものです。姉御肌で面倒見のいい人です。国境を越えて仲良くなれることを教えてくれました。

 最後に

 外資系企業のサラリーマン生活は2006年に終了、その後は元々人に接する仕事をやりたかったので内部統制コンサルタントやセミナー講師等の仕事をしています。会計のセミナーを知識を伝えるだけでなく、双方向で楽しく、しかも考えながら学べるものにしたいと思っています。国際会計基準について議論されていますが、そもそも、現在の日本の基準と国際会計基準の背景や内容をしっかり把握することが大切で、一概に賛成するのも排除しようとするのもおかしい、ということを一生懸命布教中です。

 とりとめのない話になりましたが、グローバル化といっても英語だけの話ではないし、外国のルールに従うことでもないと思います。英語で話す前に自分の考えがあることが必要でしょう。また、相手のルールに従えないのなら自国のルールはどんなルールか、どこがどう違うのか明らかにすることが必要でしょう。グローバル化が避けられない今だからこそ、日本の歴史や文化を勉強することが大切になっていると思います。
 

   
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