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世界で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)
植松 みどり  (昭和53年卒) カナダ エドモントン

カナダより愛校心と友情を込めて

 インド人の友人とインド民族衣装、
サルワカミーズを羽織って

 同窓生の皆様、こんにちは。ご健康が守られ皆様それぞれの分野でご活躍、ご発展のことと思います。

 私は2006年から、カナダのエドモントンに住んでいます。朝日では、英語で苦戦していた私ですが、卒業後、アメリカの大学に進み、7年余りアメリカで学び、働き、生活し、またニュージーランドでも生活しましたが、結局落ち着いたのは、ここカナダとなりました。

 カナダは、日本国土の27倍、世界第2の国土面積を有する広大な国で、人口は約3,100万人です。歴史的にも移民受入れに積極的で、毎年20数万人がカナダの永住権を取得しています。私自身も、2009年にSkilled Worker Class(翻訳者の分類)でカナダの永住権を取得しました。アメリカは、人種のるつぼと呼ばれていますが、カナダは人種のモザイクと呼ばれていて、移民がそれぞれの国民性、伝統、文化を大切に保ち融合させながら、カナダ国家に貢献しています。

紅葉する家の前の街路樹

 真冬のルイーズ湖

 現在暮らしているエドモントンは、今年バンクーバー冬季オリンピックが開催されたブリテッィシュコロンビア州の東に隣接するアルバータ州の州都です。1988年に冬季オリンピックが開催されたカルガリーはエドモントンの南(高速で3時間)にあります。

 人口はおよそ108万人(国内6位)で、北米大陸内の100万人都市としては最北端に位置し、オーロラも見ることが出来ます。尚、北海道が州でないのでアルバータ州と北海道は姉妹州とは言えないでしょうけれど、実質姉妹関係を結んでいます。今後多面において交流が深められ、カナダにとって日本が、日本にとってカナダがより一層近くなることを期待しています。

 夏は短く、冬が長く、厳寒期には摂氏零下40度以下に下がることがあります。2009年12月には零下46.1度を記録しました。日中でも零下30度という猛烈な冷え込みとなる日もありますが、日常は、ほとんど建物の中にいますし、屋内はガレージも含めて全て暖房されていて、半そででも快適です。私にとっては、冬の日本家屋の方が寒く感じます。

 市民は冬の運動不足を、ショッピングモールの中を歩くことによって解消しています。エドモントンには、世界最大のショッピングセンター「ウエスト・エドモントン・モール」があります。店舗数は800店余り、レストランやフードコートは110店にものぼり、さらに遊園地、スケートリンク、ホテル、プール、ミニゴルフ、インドアの湖、イルカのショーや水族館などの施設が整備されています。ダウンタウンでは、地下街、またビルとビルを繋ぐ連絡通路が完備していて、外に出なくても、移動が容易に快適に出来ます。冬期は路上に常時積雪が30センチ以上ありますが、晴天の日が多く、青空が大変美しく、晴れ晴れした気分になれます。

 実は、私が初めてエドモントンに来たのは、アメリカの東南部にある大学に留学していた1984年の冬でした。エドモントン出身の留学生の友人が、クリスマス休暇をエドモントンの両親の家で一緒に過ごそうと誘ってくれたのがきっかけでした。その大学からカナダの西部にあるこのエドモントンまで車で片道3日間の長旅の末エドモントンに着きました。この雄大な北米大陸横断のノンストップの旅は実に感動的で、私の視野、見聞を広げ、世界観を変えるものだったと言っても過言ではありません。

 その数年後、彼女が結婚することになり、たまたまアメリカに滞在中だった私はエドモントンでの結婚式に招待されました。これが二度目のエドモントン訪問となりました。「二度あることは三度ある」とありますが、それから20年以上経った今、また、エドモントンを訪ねここに永住するようになるなんて、想像だにしたことはありませんでした。人知で計り知れない不思議な縁があったのであろうと思っています。


エドモントンのダウンタウン 三角錘の建物は植物園 住宅に囲まれる湖 広がる大空と低く見える雲
 
 エドモントンの第一印象は、何と落ち着いていて穏やかできれいな都市だろうという感じで、一目ぼれしました。4年経った今でも、こんな素敵な街に住めるなんて、何と恵まれているのだろうと感謝しています。エドモントンの人口1人当たりの公園面積はカナダで一番広く、街は緑に包まれています。車で4時間程走ればロッキー山脈まで行け、雄大で美しい大自然に圧倒され、その只中に身を置くことが出来ます。広大でゆったりとした自然の中で暮らしていますから、人々の心もおおらかで優しく純粋です。

セミナーの疲れを癒す休憩時間のアフタヌーン−ティー バンフにて

 現在私は二足のわらじを履いています。一つは、エドモントン日系人会の歴史編纂プロジェクトの研究員として、日系カナダ人の足跡を調査する仕事です。こちらの日系人の初代の方々は、1900年頃にエドモントンに移民されています。1世を除く2世、3世の方々の多くは、日本語が話せません。エドモントン在住の日系人、日本人の数は少なく、普段生活をしていて、日系人、日本人に会うことは、めったにありません。

 また、もう一つの仕事は、お年寄りや子供の世話をする職業に就く人々を養成する学校の講師として、栄養、料理、幼児教育を行う仕事です。来年からは、日本領事館のサポートで、エドモントン市内の中学2年生の文化交流クラスが週2回開設されますが、私は講師として教壇に立ち日本文化と日本語のクラスを担当することになっています。

サリーを装うインド人、ケニア人の友人達と
サルワカミーズを羽織る
カナダのジャパニーズ・インディアン?

 物価は、日本とほぼ同水準で、日本料理の食材も殆ど手に入り不便を感じません。健康の面においても医療制度が完備しているので、安心して生活が出来ます。オイルサンド産業が盛んなアルバータ州は経済が豊かで、その豊かさが州民の幸せの土台である健康管理に還元、反映されていて医療費、健康保険料ともに無料です。こちらには親切な人々が多く、北米では治安が良く、人種差別も少なく、寒い気候を除けば、大変快適に生活ができます。世界各国から移民が来ていますから、世界各国の友人に恵まれています。
 朝日の体育祭の仮装行列で、私はインド人に仮装したのですが、こちらでは、多くのインド人の友人も与えられ、本物のインドの民族衣装もプレゼントされ、時々着ています。言語は英語とフランス語が併用されています。数年前、1年余りフランス語圏のケベックシティで暮らしましたが、私には英語圏の方が、馴染み易いです。

 カナダは、自然も経済も心も豊かな暮らしやすい国で、私にとっては「乳と蜜の流れる地」です。私はこの地にあってカナダ文化を深く理解し、日本で受けた教育、訓練と経験を生かして微力ながら両国の多岐にわたる交流の懸け橋の一端を担えればと願っています。今後ともよろしくお願いします。

 皆様のご健康と益々のご活躍、ご発展を心よりお祈りいたし、カナダよりのご挨拶とさせて戴きます。

 カナダ、エドモントンより愛校心と友情をこめて、植松みどり (S.53年卒)


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