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国内で活躍する同窓生(敬称略)
吉田 みづ絵(平成4年卒) 滋賀県大津市在住

大津市石山地区紹介

唐橋の川下。見えている鉄橋が新幹線のものです。
 京都駅で新幹線を降り東海道線に10分ほど揺られると、琵琶湖を抱いた大津の町が眼下に広がってきます。
 結婚を機に移り住んで9年、まだまだ他所者気分が抜けないものの、気付けば岡山で過ごしたのと変わらぬぐらいの時が流れていました。気軽に岡山に帰り、仕事も遊びも京都、という生活から大津中心の毎日になってからでも6年、そろそろ地元と呼んでもいいかしらぁ?との思いから、今回はここ、大津市の石山地区を紹介しようと思います。

 石山は、琵琶湖から流れ出る唯一の川である瀬田川(京都で宇治川に改名、その後、桂川、木津川と合流して淀川に)の起点にあたる地域で、紫式部が源氏物語を書いたと言われる石山寺や、旧東海道の瀬田の唐橋が有名です。
 この唐橋、京都を通り過ぎたばかりの新幹線からよく見えるのですが、「急がば回れ」のもとになったことはあまり知られていないのではないでしょうか。

   武士のやばせの舟は速くとも急がば回れ瀬田の長橋

 都の直前である大津の宿を目指して琵琶湖を船で渡ろうとすると、比叡山から吹き降ろす突風で難破する危険にさらされたことから、唐橋経由の迂回を勧めた歌だそうです。今なら車で30分足らずの距離、間近に迫った山の向こうには都、しかし目の前には湖、天気がよければ港同士見えているでしょうからショートカットしたくなる気持ちにも納得がいきます。ちなみに、今でもこの辺りには橋が少ないので、唐橋は交通の要所として(渋滞の名所として?)健在です。
瀬田の唐橋。3月になると料亭の屋形船や学生のボートが橋の下を通り始めます。

 
 さて、その唐橋付近、平坦で景色もよく、子連れで散歩をするには絶好のスポットなのですが、最近「風林火山」の幟がたちました。大河ドラマにあやかっているのは分かるのですが、なぜここに武田の軍旗なのでしょう?

 実はこれ、上洛途中に亡くなった信玄が「唐橋に旗を立てよ」と言い残したことから、「430年の時を経た浪漫の実現」として山梨市の観光協会が企画したのだそうです。「なんで?」と思って調べた私は思う壺なのでしょうが、当の信玄、都の入口とは程遠くなったこの橋に驚いていないかしら、と心配したのも私だけではないはずです。
 
      
マンション14階から臨む琵琶湖南端。右端の鉄橋あたりが湖と川の境界です。

 このように、京都との近さが町の発達に大きく影響したこの地域ですが、今では京都どころか大阪のベッドタウンとしてマンションの建設ラッシュが起こっています。隣接県ではないのに乗り換えなしで45分の距離ですから、充分な通勤圏なのでしょう。
 ただ、若い世帯が急増して町並みや雰囲気が変わりつつあることに抵抗のある人も多いようで、反対運動の立て看板を見かけることもあります。
でも、私には、交通の利便性から栄えた歴史が今尚続いている、なるべくして迎えた変化のように思えるのです。まぁ、こういう捉え方をすることこそが他所者の感覚なのかもしれませんが。

草津市矢橋(やばせ)から琵琶湖越しに見える大津市街。

 そんな私は今ここで、二人の息子の背中を追い回す生活をしています。この春年長さんになる長男は4歳になる頃まで周囲に類を見ない程のやんちゃ坊主で、物は壊す、人は泣かせる、健診の度に居残りの上再面談で、トラブルを避けて人のいない公園にしか行けないような状態でした。

 出産直前まで働いていた私には当時近所に相談相手も無く、どこへ行っても「悪い子とその親」として見られて悩んでいたのですが、今通う幼稚園の入園式で暴れて途中退場した時に、先生から「それも個性。人と違うって素敵なことやん。初日からお母さんなしであんだけやれんねんから、しっかりした子ぉやと思っとき。」と言って貰えたお陰ですっかり気楽になり、「入園式だけでクビになったらどうしよう?」なんて心配していたことも笑い話になりました。

      
 息子たち、平安神宮の神苑にて1月に撮影。
 学生の頃自転車で気軽に来ていたお気に入りの場所なので、 今でも年に数回遊びに来ています。4年間ゆっくり観光するつもりで京都に進学した私だったので、いまだに観光気分が抜けないのかもしれません。近いって素敵(笑)。

 その長男も幼稚園で2年過ごすうちに驚く程人間らしく(?)なり、今では2歳の次男が心底憧れる程の頼れるお兄ちゃんで、私の方も母として少し逞しくなりました。
 高校時代、行きたい学校はイメージできてもやりたい仕事を思い描けなかった私が、先生から「スペシャリストを目指せ」と言われて頭に浮かんだのは、子供と同じレベルで笑って泣いて喧嘩して、子供の「何で?」を一緒に考えられる、スーパーお母さんでした。
 先生の意図したものとはズレた夢だったのでしょうが、スーツ姿で走り回っていた頃よりも、今の方がずっと私らしく笑えている自信があります。
 まだまだ先の長い母親業、この水辺の土地で、のんびり先を目指して行くつもりです。


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