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メディアに登場したホットな同窓生をご紹介(敬称略)

清水 慶一 (昭和50年卒) 


自分中心に扇形家系図作成


清水さん(右)、日系四世、谷・ジェフリーさん(左)と
昨年井原市下稲木小迫谷家墓地で撮影

 平成元年、32才から家系に興味を持ち、調査を始めました。 漠然とした関心は幼小児期からあったように思います。先祖や縁戚関係、いろいろな話をしてくれていた祖母が昭和59年に亡くなり、聞き流し、こぼれ落ちた話の断片を拾い集めたいという気持ちがありました。

 私の生家は、江戸時代「間野」という姓を名乗っていましたので、いまの清水にかわって未だ4代しか経っていません。改姓の根拠、子どもの頃から聞いていた「間野五三兵衛(まの・ごさんべえ)」という人物との関係が知りたくなり、ヒントを与えてくれそうに思った古い縁戚、石原家の流れを調べるようになりました。

 つまり、ふつうの家系調べと同様、私もはじめは自分の直系先祖を目指していましたが、8代も前の配偶者(石原氏)の家系調べの必要性を感じて横道に逸れ、更に祖母を中心とする他家の縁戚関係の掘り起こしに興味を持ったために、親2人、祖父母4人、曾祖父母8人・・・、と2の累乗で増える先祖をたどる作業に軸足が移りました。

 これを新聞紙上で「末広がりにたどる扇形の家系図調べ」と紹介されました。

先祖書から
(6代前茂利治が祖父の実家に
ついて記した箇所)

 2の累乗で増える先祖があれば、それらの兄弟姉妹、更にその配偶者の家系、系図の橋は何処までも続いて行きます。そうして限りない橋をたどって行くと、また自分のもと居た場所に戻っていることを経験します。

福田新田之過去帳から
(8代前に婿養子として入った利八郎実家
石原家の過去帳 清水家所蔵)


 もともと関心の程度に差もありますが、ある程度の調査をして熱が冷めて行く人たちの大半は、直系先祖に拘りすぎるために、夫婦養子や何処からか移住した代など、先祖をたどる小さな難所で挫折されてしまうようです。調査対象を広くとっていれば、右に進んで行き詰まったから今度は左の方を掘り進めてみようというふうに、簡単に挫折しないで済むのです。

 更に、一見自分の直系先祖とは関係がなさそうな遠縁の家系にも自分の直系先祖に関わる重要な情報を含んでいることがあるのです。なぜなら、かつての日本社会の縁組みは親戚の上を親戚関係で塗り固めるというようなことが繰り返されていたからなのです。

 私のホームページを見て頂くとそのことがよくお解りになると思います。また、前記の夫婦養子や何処からか移住した代などの難所は見方を変えると、先祖をたどるための貴重なヒントになっているわけです。

 現在の底なし沼をさらうような調査に発展、継続したのは、次々にいろいろな人たちとの出逢いがあったからです。そのいくつかをご紹介します。

清水家系図
(利八郎曾祖父清水彌右衛門祖父
までを記した箇所)

 5年位経ったころ、遠縁の老婦人から、日本の先祖を調べにきている日系四世の青年を紹介されました。アレックス・ヘイリーの「ルーツ」を思い出し、さっそくお会いすることにしました。

 彼は日本の大学に留学中で当時27才、米国では同年代の若者がたくさんルーツ調べをしていて、それらの情報を管理し、ボタン1つで様々な形式の系図を描くことの出来るソフトが何種類もあるということを聞いて驚きました。

 ホームページを開設して9年、寄せられるメールは30代の方が多く、欧米に比較して日本人も決してこの方面への関心は劣ってはいないと思います。放送・出版業界でご活躍の方からもお便りを戴くようになり、故平野勝巳氏との出逢いもそうして生まれました。

 彼が、最初のメールに自己紹介代わりに案内されたURLを開くと、「岡山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業」とあるので、もしかしたらと思って高校の同窓会名簿を開けてみると、はたして1級上の先輩であることが判りました。

 そういうわけで、「あなたの活動を誌上で紹介したい」と訪ねてこられた時から旧知の友のように話が弾みました。雑誌はPHP研究所から発行されている「歴史街道」で、ルポ・家系図をつくる人々 ルーツ・ヒーリングを探る 第十三回 家系で無限につながる「縁の輪」として、平成16年1月に紹介されました。

 平野氏は、最近の凶悪事件を起こす児童たちが、数親等以内のごく近い親族との付き合いも薄い、特殊な家庭環境に育っていることに注目しておられました。

窪屋郡生坂村(現倉敷市生坂)の生坂神社
地所有権について記録した古文書の一部
福田新田之過去帳と同じ利八郎
実兄小右衛門の筆による

 古い仏壇を拝み、書きつながれた系図・過去帳を所蔵しているような家は、その地域社会で代々暮らしてきた家で、社会的信用を積み重ねています。その信用を根こそぎ崩して悪いことは出来ない、そういう社会監視の目が日本社会で犯罪抑止に役立ってきたのかも知れません。  

 ホームページはまた、私にとっての貴重な情報集めの場にもなっています。祖母の曾祖母純は河野伯淳という医者の娘です。河野家の系図を拝見し、純の姉が妹尾道順という医者に嫁いでいることを知り、そのことをホームページで紹介していました。それが運良く道順の子孫に拾われ、文通による情報交換に発展しました。

 暫くして、「岡山に帰る用事があるのでお会いしましょう、ついでに叔父にも紹介してあげます」という手紙が届きました。

 その方の叔父様というのは重井医学研究所の名誉所長妹尾左知丸先生で、お会いしてお話しをお聞きしていると、高校時代に英語を教えていただいた廣畑脩先生のお名前が出てきて驚きました。 妹尾家に養子に入られた左知丸先生のお父様の実家が廣畑家だったのです。

 この様な面白い出逢いを経験するたびに調査は深入りし、不思議な縁の力に引き回されているような錯覚にまで陥りますが、落ち着いて考えてみると、もともと世の中そうしたもので、普段はそういう縁(えにし)に気付かずに生活しているだけなのではないでしょうか。

 今後も系図の橋をかけ続けるつもりでいます。皆さんのお宅に、或いはお近くにひょっこりお邪魔することがあるかもしれませんが、ご協力よろしくお願いいたします。

◆清水さんのホームページ◆
http://gos.but.jp/

 

 
 
岡山朝日高校同窓会公式Webサイト