● 北から南から ●

全国で活躍する同窓生からのメッセージ(敬称略)

湯浅 宣子(昭和 48年卒) 岡山県岡山市在住

英国で宮廷舞踏を学ぶ

ルネッサンスダンスのデモンストレーション(左端本人)

 ハリー・ポッターが魔法の学校ホグワーツへ旅だったのは、ロンドンのキングズ・クロス駅。不思議なことが起こってもおかしくない雰囲気の古い駅舎だ。1995年夏、私はその駅から列車に乗り、北イングランドに向かった。ヨークシャー地方の北、ダーラムのパブリックスクールを会場に行われた舞踏コースに参加したのだ。

 「地球の裏側から来た」とか、「最長距離の移動者」と呼ばれるほど、宮廷舞踏には欧米以外の参加者は稀だ。前後して参加したベード・カレッジでの音楽コースでも、私は始めての日本人だった。音楽コースの主宰者は私を家に招待してくれ、ある午後舞踏の練習場へ私を迎えに来た。私は舞踏コースの主宰者ペギーに彼を紹介した。「長年互いに名前は知っていたが、日本人に紹介してもらおうとは!」と二人は笑いあった。

 スコットランドとの国境へ向かって、羊が草を食む緑の丘をいくつも越え、車は1時間ほど走っただろう。古い農家で中世の家具や楽器に囲まれた暮らし。戸外での昼食はキッシュ(卵と野菜のパイ)と珍しい野菜のサラダ。ダーリンと呼んで二人で片付けをする老夫妻は映画の1シーンのようだった。ひなたで黒猫「ノアール(黒)」がくつろぎ、私達はガリアード(ルネサンスの舞踏)を踊った。彼は英国出身ニュージランド移民の子孫で、音楽を志して渡英して来た。その時、奥さんにプロポーズして共に国を後にしたという。
 

 あの夏から9年。南フランス山奥の城やニューヨーク近郊での講習会にも出かけた。ロンドンの会議で紹介されたのは16年前の知己、英国のダンサーだった。しばし互の顔に十数年前の面影を探った。その出会いをもたらした友人が亡くなって3ヶ月後のことだった。 クリーム色の太い帯となって空の真中を流れるミルキーウェイ(天の川)、次々流れ落ちる流星、月明かりに浮き上がって見える河口と湾、シャンデリアの様な光りが延々と続く蛍の群れ、犬も積んだ10人乗りの低空飛行から見る緑の起伏と谷あいの村々、…。

カスタネットのデモンストレーション

カップルダンスのデモンストレーション

 幼い頃あこがれて、しかし手が届かないと思っていた遠い世界の舞踏だ。現実にその舞踏に接して、学術と芸術の両方の分野にまたがる、奥深いものである事を知った。手にいれた資料をもとに、帰国して自分で学び、更なる機会を求めて、英国に通った。ただただ舞踏が目的で海外に出かけるのだが、そこには西欧の国々からこの舞踏を志す人達が集まり、ネットワークが世界に広がって行く。偶然遭遇する自然の美しさ、古い建物でのコンサートやパフォーマンス、舞踏仲間との別れと再会。歴史と文化のバックグラウンドを知ってこそ意味のある宮廷舞踏は、頭と体だけでなくこんな経験からも熟成されて行くのかもしれない。

来日メンバー

 宮廷舞踏は、おもに15世紀初頭のルネサンスから18世紀末の貴族社会の崩壊まで、つまり宮廷文化が咲き誇った時代、その文化の中心にあった舞踏を歴史的資料から研究し、上演するものである。広義には中世や18世紀始めまでを含んでいて、英国ではアーリーダンスと総称されている。ルネサンスダンス、バロックダンスと時代別に呼ぶこともできる。

 宮廷では舞踏がマナーの一環として学ばれていて、舞踏と共に貴族らしい所作を学んだ。舞踏教師は宮廷に必須のもので、王侯貴族に仕えたり、上流の家庭に出向いて教えたりしていた。彼らは舞踏を教えるだけでなく振付もして、小型バイオリンなどの伴奏楽器を演奏し、作曲をすることもあった。

 また舞踏の振付が添付されたマナーの本を書き記し、バロック時代には毎年宮廷で課題となる舞踏集も出版した。それらは、古い時代には言葉で書き記され、バロック時代には舞踏譜という記号を用いたシステムが発明された。こういった資料を読みとり、解釈することも面白さの一つである。

 いずれにしても、資料が残されているおかげで、研究できるのであり、どう解釈・再現するかというのが、一人一人の感性と研究の成果でもある。資料を読んでいると当時の振付家たちが考えていた事が、すっと頭に浮かぶことがあり、その瞬間彼らがすぐそばにいるような気がするのである。

 さて、長い待機の年月を経て猛烈に進み出した私と舞踏との付き合いであるが、ついにこの秋、私の所属するバロックダンスのグループに、来日してもらう事になった。昨今ルネサンスやバロックのダンサー達が来日するようになったが、それぞれに趣の違いがあり、初来日となるこのグループのダンスの美しさを是非日本の皆様に見てもらいたいのである。同時に、英国の仲間達に日本という国を見せたいのだ。出発はささやかな私の願いだったのだが、岡山2公演、東京2公演、名古屋、大阪での公演のほか、各地でのワークショップやレクチャーと、盛りだくさんになった。各地の生徒さんや友人たちにも見せたい、公演以外に交流の出来る機会を作りたいと、これも私の思いからである。すべて自主企画で、友人や生徒さん達が運営スタッフである。

来日メンバー(左端本人)

 この夏英国では、10日間の舞踏講習の間、日本公演のリハーサルと話題がひっきりなしに行われ、多くのダンス愛好者が日本を身近に感じた事とおもう。会場準備や曲目選定、演奏者や楽器の準備、チラシ・パンフ・衣装づくり、もちろんダンスの練習と、両国を行き来して1年8ヶ月の準備を行ってきた。打ち合わせは、仔細に渡る事が重要で、インターネットなしではやっていけない。

 日本では、衣装という視覚的な効果や西欧への夢から、公演の来場者には女性ファンが多く、マスコミで取り上げて頂くこともしばしばある。11月5日から14日まで上記開催地の公演にて、このダンスを多勢の方が楽しんで下さり、未知の体験をして下さる事を願っている。

【付】 舞踏のこととなるとよくしゃべると言われる私ですが、かろうじて母親業もやっておりまして、上の2人の子供が今年と来年、同窓会に入らせて頂きます。長女の入学まで1度も足を向けることの無かった母校ですが、しばしば通い、同窓会の先輩・後輩たちとも知り合う機会を得、朝日高・同窓会の面白さを満喫しています。レポートを読んでくださった同窓生の皆様とも、お目にかかる日を楽しみにしています。


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