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● 岡山一中六二会最後の同期会 ●
(昭和19年卒) 
平成26年4月5日  みよしの岡山駅前店
 満開の桜も散り始めた4月5日正午より、岡山一中六二会の最終回を開催しました。参加人員は18名、夫人2名の合計20名でした。
 会員全員で恩師同期の方々のご冥福を祈って黙祷を捧げ、金政君の挨拶、林君の乾杯の音頭で始まり、各人3〜5分のスピーチを挟んで午後3時頃迄和やかに歓談し、最後に同期の桜、岡山一中校歌を合唱して終了しました。
(幹事 柳井誠一)
岡山一中六二会最後の同期会を終えて

 「おい、残念じゃけーど最後の集まりになってしもうたのー、それにしちゃー集まりがちょっと少なくねえでぇ!。齢う考えりゃーこんなもんかの!」と異口同音に囁かれた。柳井君の報告にあるように、東京からの二人を含め十八人の元気な顔が集まった。角帽を被せれば七十年前の童顔を彷彿とさせる面々であった。楽しい三時間もあっという間に過ぎ、一部は二次会に繰り出して最後を楽しんだようだ。数年前から卒業七十年を節目に同期会は打ち止めにしようとの約束であったが、考えてみるとよく続いたものだと思う。

 我々が岡山一中に入学したのは日支事変が始まった翌々年の昭和十四年、そして三年生の昭和十六年には大東亜戦争勃発と、五年間は戦争の真っ只中であった。それでも岡山一中では戦争はどこ吹く風というような本当に良い中学生活を送らせてもらったことは感謝に耐えない。そして多くの良い友を得たことも、優雅な烏城での生活のお蔭と云えよう。

 その友情と結束を今に維持できたのは、毎年のように行われた春の同期会、そして年末の忘年会であったのではなかろうか。行く道はそれぞれに異なったが、学を終え職に落ち着いた昭和三十年頃から同期会が始められた。それからの長年の間に、世話役を買って出てくれたのは、岡山在住の数名の有志であったように思う。

 故人から挙げさせて頂こう。口八丁手八丁であった原敏君は仕事柄の幅を利かせて奇想天外の企画で皆を楽しませてくれた。岡山城月見櫓の下にあった割烹「観水」を予定しながら、突如お堀土手に茣蓙を敷いての花見酒と洒落て、警察から咎められたこともあった。六二会記念誌の初版卒業四十周年号と五十周年号を手掛けて見事な作にしてくれたのは、流石報道人の腕であったか。次に挙げたいのが、つい先日他界された安宅忠夫君であろう。清濁合わせ飲んだ中学生活から得た付き合いと顔の広さで、二百五十人全員を把握していて、名簿整理には抜群の貢献をしてくれたのではないかと思う。

 そして最初からの世話役は勿論、特に最近ははっぽねで世話役をやってくれて、今日まで同期会を続けてくれたのが福田建吾君と柳井誠一君であろう。全国レベルの会と岡山小会を織り交ぜて年二回の会を休むことなく続けてくれたことは特筆に値する。ここで特に申し上げておきたいことがある。吾々が古希を迎えた平成七年頃に福田君の提案で、岡山県の県木「クロガネモチ」を昔の校庭の理科教室跡に記念植樹をしたことである。しかし、最近、その地が烏城公園風致地区であるため移転を余儀なくされ、旧校門正面の濠外苑の道路脇に移植さされたが(記念植樹標記あり)、大きく成長しつつあるので序での時にお立ち寄り頂きたい。それと平成十五年には六二会記念誌の卒業六十周年号の大作(当時の生存者百六十五名の中から、半数の八十二人の寄稿を頂いた)を柳井君と共に上梓に漕ぎ着けてくれたことであろう。

 さて、柳井君には同期会七十年の全経過に亘って深く係わって頂いたが、特に最近の企画運営は彼に任せっきりであったように思う。奥方のパソコン力に頼っての連絡は実に綿密かつ正確にして頂けた。しかし、彼曰く「同期の者皆が超高齢域に入った今、次世代家庭への移入等で住所変更が目白押しになったため、宛先把握には苦労した。だけど、岡山一中同窓会の後を継いでくれている岡山朝日高同窓会が着実に住所などを把握して下さっているので、何かとご援助ご協力を得ることが出来た。これこそが、同期会が長期に亘れたことの大きな要因だ」とのことで、六二会からも岡山朝日高同窓会へ改めて満腔の謝意を表したく思う。そして、この度の最終同期会の企画及び連絡など、全て柳井君ご夫妻の体調不良を押してのご尽力によることを申し上げ、打ち上げにあたってご両人に深甚の謝意を表したい。更に毎回の同期会にあって、早くから会場に現れて、受付、会費徴収などの責務を担ってくれた国府島弘史君・三木淳平君・鷲見博生君に大いに感謝したい。小生は六高同窓会に専念していたため、何一つお手伝い出来なかったことを懺悔しておく。

 皆さんの関心を惹くために項を替えて述べるが、柳井君には本会以外に小集まりながら毎月第一土曜日(正午から約二・三時間)に「駅前みよしの」で、岡山在住有志の昼食会までやってくれていたことお知らせしておきたい。そして、先日のお別れ時に「これだけは自然消滅するまでやろうゃ!」との衆議一決に達して、今後も続けられるとの事だ。時間の許せる方、偶然その時来岡の方は是非「駅前みよしの」に顔を出して頂きたい。

 ところで、同期六二会の現況はと云うと、入学時の二百五十名中現在九十名の生存が把握出来ている。今八十七・八歳を迎えている我々の生存者三十六%は日本人男性の平均生存率をはるかに凌駕している。それに日本人男性の健康寿命は現在七十歳であることを思うと、十七・八年を過ぎてなお日常生活・社会生活が立派に送れる同期の連中はさすがと云うしかない。思うに寅年の根性と厚かましさ、それに岡山一中で鍛えられた知性のなせる業かと感に入っている次第である。諸兄よ!同期会は打ち止めになったとは言え、何時までも元気で頑張ろうぜ!。そして、五年後に声を掛け得る元気者はいると思うので、その時は、「余禄同期会」をやろうではないか。

 末筆ながら岡山朝日高同窓会に重ねてお礼を申し上げると共に、本同窓会の益々のご繁栄をお祈りする次第である。
 柳井君の要請により駄弁を弄したがお許しの程を。諸兄の末永いご健勝・ご多幸をお祈りしつつ筆を擱かせて頂く。
平成二十六年四月吉日
一年ノ組の田舎っぺ  金政 泰弘

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